夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

伝統日本画の亡霊と闘う画家 紫陽花 吉岡堅二筆

2023-01-27 00:01:00 | 日本画
年末年始の帰省は暇を見ては未整理の漆器類の整理をしましたが、暖房のない物置での作業となりますのでともかく寒い。

箱類には事前に用意した調べた資料を保管箱に入れて、さらに箱の中の作品が分かるように箱の外側にシールを貼ります。こんなことをする当方は余程こまめなのでしょう、、、。



箱類にもガタがきていますが、少しずつ修理しています。良き作品はそれなりの収納箱に収められているものですが、保全に努めないと作品までガタガタになります。おかげで現在は中身の作品は驚くほど健全です。



本日紹介する作品はちょっとマイナーな画家、吉岡堅二の作品の紹介です。



伝統日本画の亡霊と闘う画家 紫陽花 吉岡堅二筆  
絹本着色 
色紙サイズ:240*270



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吉岡堅二:明治39年(1906年)生まれ、平成2年(1990年)没。東京に生れ、東京で没。大正10年野田九甫に師事した。

昭和1年帝展初入選。
同5年第11回帝展、第14回帝展が特選となる。
一方、日本画革新運動に加わり、新日本画所究会、新美術人協会などを結成。
第二次大戦後の同23年創造美術を結成し日展を離れた。以後、創造美術、新制作協会、創画会の中心メンバーとして活躍。
同26年第2回毎日美術賞、芸能選奨文部大臣賞を受賞する。
同34年から同44年まで東京芸術大学教授。
同41年東京芸術大学中世オリエント跡学術調査団の一員として派遣された。
同42年法降寺金堂壁画再現模写事業(~43年)。
同46年日本芸術院賞を受賞する。伝統的な装飾的・感覚的形を現代の知性で再解釈し、より国際性のある新たな日本画の境地を開拓して、現代の日本画に多大な影響を与えた。代表作は「湿原」「楽苑」(東京国立近代美術館)などがある。

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吉岡堅二は、福田豊四郎らとともに創画会を興しています。福田豊四郎と名コンビと言われており、当方の蒐集対象である福田豊四郎と縁のある画家ゆえに作品が是非欲しかった画家の一人です。



「この二人の仕事ぶりは俗衆批評を超越して存在するのである。この二人の人気の本質に関して露骨な言ひ方をすれば、世間には福田、吉岡よりも、絵そのものの、うまい作家はザラにゐるのである。然しながら福田、吉岡の人気の高さは、絵のうまさだけでは凌げないものがある。・・・・」と評している文があります。言い得て妙かと思います。



西洋と東洋を融合させた常に新傾向の日本画を追求し続け「伝統日本画の亡霊と闘う画家」とも評されたようです。



1971年日本芸術院賞受賞しており、東京芸術大学教授(1969年退官)を務めていまいした。




この時代の色紙の作品は古い額装のほうが似合いますね。



マット、裏の細工など現代の色紙額よりよほど味のあるものが多いようです。吊り紐の取り付け部分の材料は皮です。古い額ではきおり見かけますね。



骨董類は誂えの良し悪しの判断も必要となるようです。














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