夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

月下老狸図 三木翆山筆 その4

2017-06-16 00:01:00 | 掛け軸
狸は「他を抜く」という語呂から、出世の吉祥画題として描かれることの多い動物でもあります。

亡くなった家内に生前、「狸の絵が欲しいね。他の抜くということで縁起いいからね。」と話したら、「まだ出世とか、そんなことを考えているの?」と諭されたことがあります。

たしかに「他を抜く」というのは他人をだしにくようで、あまり品の良い表現ではありませんね。



もうすぐ家内の命日です。飛行機でとんぼ返りで墓参りの予定です。仏壇は展示室の一角に設け、毎日とはいきませんが少なくとも毎週末には線香をあげて拝んでおります。

本日は亡くなった家内の言葉を思い出させる「狸」を描いた作品です。

月下老狸図 三木翆山筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱
全体サイズ:縦1990*横575 画サイズ:縦1280*横425



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三木翆山:(みき すいざん、明治20年〈1887年〉7月15日 ~昭和32年〈1957年)3月25日〉
大正時代から昭和時代にかけての京都の日本画家、版画家。竹内栖鳳の門人。明治20年7月15日、兵庫県に生まれた。本名は三木斎一郎。明治36年(1903年)から竹内栖鳳に師事し、竹杖会において日本画の研鑽を積んだ。

  

竹内栖鳳の門人。本名三木斎一郎。兵庫県社町(現加東市)に生まれる。明治36年(1903年)から竹内栖鳳に師事し、竹杖会において日本画の研鑽を積む。



大正2年(1913年)第七回文展に「朝顔」を出品して初入選。以降、文展や帝展といった官展で活躍した。大正13年(1924年)に京都の佐藤章太郎商店という版元から、京都風俗を取り上げた新版画「新選京都名所」シリーズを版行する。昭和7年(1932年)第13回帝展からは無鑑査となる。



昭和17年(1942年)に師の栖鳳が没した後は画壇を離れた。しかし、昭和27年(1952年)から昭和33年(1958年)にかけて渡米し、美人画の個展を開催、メトロポリタン美術館から終世名誉会員の称号を贈られた。享年69。美人画や風俗画を得意とし、代表作に「嫁ぐ姉」、「元禄快挙」などがある。

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本作品は印章や落款から三木翆山の真作と判断されます。

三木翆山もまた美人画で著名は画家ですが、美人画と得意とした岡本神章と同じように美人画以外の画題を描いてもその画力には見るべきものがあります。



狸を描いている画家では木島桜谷、大橋翆石、望月金鳳などがいて、本ブログにもすでに投稿されています。狸の絵が多いから決して他人をだしぬこうなどとは考えておりませんが・・・



月の下で食い物を探して歩く狸が愛嬌があって好きなのです。



さすがに田舎の私の郷里でも狸は家の周りにはいませんが・・。



表具はなかなかいい表具です。

スケジュールが多い日が続きます。出張、大会、総会、祝賀会、帰郷、出張、検診・・・・・。ブログが途絶える日があるかもしれません





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