夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

重陽の節句 その3

2010-09-12 23:38:03 | 掛け軸
菊 宇田荻邨筆
紙本着色短冊軸装 共箱二重箱 春芳堂表具
全体サイズ:縦1470*横265 画サイズ:縦360*横70

重陽の節句にちなんで三作目です


なかなか重陽の節句にちなんでの作品はこちら(社宅)にはなく、自宅に戻るといくつかいいものがありそうですが・・。

宇田荻邨の作品はなんとか欲しいと思っていますが、これぞと思うものはなかなか高価で手が出ませんね

それにしても、菊の絵はなにかの縁でしょうが悲しい時に入手となります・・・平福百穂の「菊と蜻蛉図」を購入したときは亡義父の病のとき、本作品は亡妻の病のとき・・・もう要りませんね

ところで、ものは所詮もの、という割り切りも大切ですし、人生にはいろんなことがあって、ものやお金という具象的なものより大切なものがたくさんあります。

でも、「ものが何だ、人間は死ねば同じ、棺桶には持っていけない。」という割り切りは危険です。その「もの」が人を救うときもあるのです・・固執してはいけませんが・・・。

相続において、骨董品やお金で争っている人がたくさんいますが、はたから見ると争っているもの同士、大切なものを失っています。人が「もの」の扱いを間違えていますね。

骨董など美術品は親族以外でもいいから好きな人が引き継げばいいのです。ただし、美術館などに寄付するのはもってのほかですよ。「もの」が人を救うことがなくなりますし、世に言う学芸員というものは財布をいためていないので「もの」を必ずしも理解していません
このことについては後日・・・・

このブログを読まれる人もだいぶ固定化されてきているでしょうから、今後は独り言が多くなります




  

京都の春芳堂の創業は幕末期、安政三年(1856年)。初代・丹波屋嘉兵衛は円山派絵画を学びましたが、師匠に勧められて、表具の道に入った。重厚な看板は、京都画壇の代表的存在である竹内栖鳳の原書によるもの。春芳堂は栖鳳のお気に入りの表具師という。非常に品の良い軸装である。






宇田荻邨:(1896~1980)三重県松阪に生まれる。名は善次郎。

小学校高等科在籍中の明治44年(1911)、15歳で絵画に関心を示しはじめ、高等科を卒業し三重県度会郡二見町在住の中村左洲、女流画家伊藤小坡に入門。

その後、菊池芳文(1862-1918)に入門することで本格的な歩みがはじまり、善次郎の進む方向が定まったといえる。
善次郎が「荻村」(のち荻邨に改号)の号を使いはじめたものこのころのことである。師の勧めもあって、京都市立絵画専門学校別科に入る。

毎年文展に出品していたが、落選続きであった。1937年(昭和12)、荻邨40歳のときに初めて個展を開くことができた。四条派を基礎に大和絵を研究、清澄で古典的な品格のある作風を展開する。

昭和3年に帝展審査員,4年より24年まで京都市立絵画専門学校で教鞭をとり,京都市展にも第1回より出品,審査員を重ねる。師契月没後,画塾白甲社を創立しこれを主宰。後進の指導、育成にあたる。芸術院会員。勲三等瑞宝章受章。昭和55年(1980)歿、83才


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