白磁における人間国宝に認定されている井上萬ニの作品は、本ブログにおいては風鎮を紹介していますが、本日は水指の作品を紹介します。
「月月火水木金金で人並み以上に努力」 白磁緑釉牡丹彫文水指 井上萬ニ作
武雄にて平成8年6月購入止とメモあり 栞・共布有 共箱
口径152*最大胴径205*高台径125*高さ210
井上萬二の陶歴は下記の記述のとおりです。
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井上萬二:(いのうえ まんじ、1929年3月24日 ~)。日本の陶芸家、人間国宝。日本工芸会参与、有田陶芸協会顧問。
略歴:佐賀県西松浦郡有田町出身。生家は窯元であったが軍人を志し、1944年8月に15歳で海軍飛行予科練習生となります。鹿児島海軍航空隊に入隊し、まず鹿屋航空隊、次いで1945年6月に串良航空隊に配属されました。翌1945年に復員し、父親の勧めで酒井田柿右衛門 (13代目)の元で働き始めます。修行7年目の1952年頃に*奥川忠右衛門(下記注釈参照)の作品に衝撃を受け、門下生となり本格的に白磁や轆轤の技法を学び始めます。
1958年に酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務を始め、その傍らで独自の意匠や釉薬の研究に励んでいます。
1969年、ペンシルベニア州立大学から有田焼の講師として招かれて渡米し、5ヶ月間担当しました。海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など多岐にわたっています。
1968年、第15回日本伝統工芸展で初入選を果たします。
1977年に全国伝統的工芸品展通産大臣賞、
1987年には第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞しました。
1995年5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定、
1997年紫綬褒章を受章。
2003年11月旭日中綬章を受章。
2017年現在、有田町で息子の**井上康徳、孫の井上祐希と共に井上萬二窯と平屋建てのギャラリーを構えています。
華やかな絵付けが中心の有田焼の中で、白磁に徹するという独特の制作を続けています。教え子は既に500人、アメリカでも150人を超え、なお後進の育成にも力を注いでいます。
上記略歴に出ている奥川忠右衛門(おそらく初代のこと、現在は2代目を子息が襲名しています。)についての陶歴は下記のとおりです。
*奥川忠右衛門(初代):おくがわ-ちゅうえもん 1901~1975 大正-昭和時代の陶芸家。明治34年4月10日生まれ。有田焼大物成形ろくろ師。昭和35年日展入選,のち伝統工芸展最高賞を受けています。白磁の大型つぼ製作技術で39年選択無形文化財保持者。生涯蹴(け)ろくろのみを使用しました。
昭和50年10月11日死去。74歳。佐賀県出身。
**2022年に子息は亡くなっています。
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2023年の記事には「7年前は家内が亡くなり、2年前は頼りにしていた息子が亡くなり、もう何もやるもんかと思ったが、孫がやっているから孫のために10年長生きして、10年たったら少しは1人前になるだろうと、頑張ろうと思っている。」という記述ありました。さらに「2023年は、根強く麦のように成長するようにというメッセージを込めて、「麦」をモチーフとした作品作りに取り組み、6月に東京で開催される個展で発表するということです。」と記されています。
さらに井上萬二が93歳の時のインタビュー記事がありました。
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〈井上〉
確かに満93歳ですが、私は「ようやく39歳になりました」と言っているんです(笑)。
93歳といっても、ちゃんと朝8時から夕方5時まで、週6日間勤務して作陶に励んでおります。
日曜は来客の応対をしたり事務的なことをしたり、あるいは美術館へ展覧会を観に行って構想を練ったり。ですから、休みなく毎日働いていますよ。
――まさしく仕事と一体になっていらっしゃいますね。
〈井上〉
そういう生活を続けられているのは、運よく親が健康に産んでくれたこと。また、その時その時に鍛錬と精進を積み重ねてきたからです。
特に、15歳前後の若い時期に海軍での過酷な訓練を通して、強靭な体力と精神力を叩き込まれた。もちろん戦争は絶対にあってはならないけれども、人間形成という点では本当にかけがえのない経験だったと思うんです。
戦後、陶芸の修業を始めてからは、「域に達する」というのは限りがないけど、何の道でも「切り」っていうのはある。
一日でも早く一歩でも早く、そこに到達しようと思って、月月火水木金金で人並み以上に努力したんです。
17歳でこの道に入って、気づけば今年で76年。そういう精神でひたすら仕事に打ち込んできました。それが身体に染みついて、いまだにずっと続いているわけです。
――仕事に打ち込む、それ自体が健康の秘訣なのでしょうか?
〈井上〉
やっぱり仕事をしている時が一番健康的ですよ。93歳になっても若い者に負けないくらい、まだボケもしないし、溌剌としているし、発想も湧いてくる。
展覧会場で「なんでそんなに元気なんですか。秘訣を教えてください」とよく聞かれるので、「恋してますから」って言うんです(笑)。冗談半分ですけど、仕事とは死ぬまでが恋なんですね。
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「仕事とは死ぬまでが恋なんですね。」か・・・・、負けますね。当方も71歳ですが、仕事をして小学生の息子がいますが、さすがに91歳とはすごい!
井上萬二氏は長年にわたり白磁の技を追求し、「良い焼き物には雑味や雑念がない」という「名陶無雑」の精神のもと、白磁の第一人者として温もりの中にも凛とした風格が漂う造形美を極めた陶芸家と称されています。
赤絵や鍋島などの絵付が盛んな町である有田で、初めて白一色の白磁の制作に努め、白磁の第一人者となった井上萬二。ろくろ成形の名手と呼ばれる井上萬二の神業は、今までに数多くの端正で凛としたフォルムを生み出してきました。陶器に比して磁器はその轆轤技術が高くないといい作品はできませんね。その轆轤における神業は天から与えられたものではなく、一切のごまかしがきかない白磁の世界で自己を厳しく律し、日々鍛錬を重ねて習得した技術の結晶といえるのでしょう。
一方で白磁の金字塔として板谷波山がいますが、轆轤を原点とした技術の高さは井上萬二が第一人者ですね。板谷波山は自分で轆轤作業はしませんから・・。
共箱の書付は下記のようになっています。
義母が熱心に手入れしている庭の牡丹がありますが、その花の咲く頃にこの水指と使ってみようかと思っています。
「月月火水木金金で人並み以上に努力」・・・、今では死語かな??