
寺崎廣業は唐美人図を初期の頃から数多く描いていますが、一般に寺崎廣業の美人図の作品は数が少なく人気も高いので贋作が多くあります。本日の紹介する作品もどうもその怪しい作品に分類されるようです。

真作とは断定できないので「伝」(この表現は贋作と考察しているということです)としている作品の紹介です。

贋作考 芙蓉下唐美人図 伝寺崎廣業筆 明治30年(1897年)頃
絹本水墨軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1975*横497 画サイズ:縦1060*横363


贋作に見られるいやらしさはないのですが・・。

寺崎廣業のさもありなんと思われる初期の頃と思われる作品ですが、やはりちょっと違和感がありますね。

作品自体は面白い出来・・。

画力はそれなりに・・。「寺崎廣業の美人画は足が少し見えるはず・・」という御仁もいますが、それはあまりあてにはできないと思っています。

落款と印章は「二本廣業」時代と「宗山」の号の印章ですね。明治25年邨田丹陵の娘「菅子」と寺崎廣業は結婚し、これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えらます。よって「宗山」の印章、号のある作品は明治25年以降の作と推定され、落款はこの頃に変遷が幾つかあり、この落款の書体からは明治30年代の作と判断されます。
*この頃の贋作は少ないようですが、意外にあるようです。

資料の印影(下写真右)とは異なる点があり、真作とは断定できない作品となりますね。


「宗山」の印章を押印した初期の頃の作品には贋作は今までにはなかったのですが・・。
*ちなみに「宗山」の印章はいくつか種類があり、晩年にも押印している例はあるようです。