
昨夜の22時からのNHKは遊郭の花魁についての放映でした。花魁の重要のことは流麗なる手紙を書ける事であったらしいです。
本ブログで幾度か取り上げた源内焼と縁の深い鈴木春信の版画です。
そういえば、源内焼がネットオークションに出品されなくなりました。なぜ??
本作品は表具もそれなりに後世にて本格的に仕立てているようです。

本作品は以前に「二美人図 鈴木春信 250*345」と一緒に取り上げたことがありますが、写真を再度撮影しましたので投稿します。
文書く女 柱絵 鈴木春信
絹装軸紙本浮世絵版画箱入 柱絵 画サイズ:横117*縦632

鈴木春信の柱絵は140点にもなる作品を遺しているとのこと。さらに紅摺絵期間も含めるとさらに10点ほど増えるらしいです。紅摺絵は本ブログでも投稿した作品があります。
本作品は仙台の汲古堂より購入したもの。若干のしみが残念ですが、時代を考慮すると全体に保存状態は良好のほうでしょう。

柱絵は数が少なくなっていると聞いています。評価が低かったことで粗末にされたり、掛軸として掛けっぱなしのせいで状態が悪くなったりということから残存数が少なくなったことも推察されます。本作品のような若干のしみ跡はよしとせざる得ない状況です。

柱絵についてはなじみがないでしょうから下記に説明文の抜粋を記します。
「柱絵:縦約68㎝から74㎝、横約12㎝から13㎝ほどの極めて細長い画面に描いた浮世絵を指す。柱かくしともいわれる。簡単な軸装にして庶民の安普請による節だらけであった柱を隠すためにこれを掛けた。
奥村政信による発案といわれているが、鈴木春信や礒田湖龍斎らの頃、流行し始め、鳥居清長の頃に最盛期となった。この柱絵の極端に縦に細長い画面に見事に構図を収めた点は外国人を驚かせた。
錦絵版画に描かれたのは、元文(1736年-1741年)末頃と推定されており、肉筆浮世絵においても、ほぼ同じ頃から少しずつ描かれるようになったと思われる。
画面が以上に縦長であるため、特殊な画題を扱うか、構成の工夫を迫られるため、かえって面白味のある作品となることも多かった。

川又常正の「十六人図」などはその良い例といえる。この図は、十六人の様々な階層の人々を十六羅漢に見立てて描いたもので、その頭部のみを縦長の画面にびっしりと配置して、奇怪な趣を持つユーモラスな作品である。版画の方は、文化(1804年-1818年)頃まで連綿と描かれたが、肉筆に関しては明和(1764年-1772年)の頃には衰退している。」
単に柱隠しのほかに絵暦としての機能もあったと思われます。

浮世絵は当方のコレクションの範疇外ですので詳しくありませんが、だんだん見かけることが少なくなっているように感じます。前はどこの骨董店でもまとめて数十枚あったものです。

とにもかくにも浮世絵を集めるには現在は残存数が少なく、また高価であろ、収集が困難な状況です。浮世絵はシリーズや画家ごとに集める人が多く、コレクションと言うよりマニアックになる傾向があります。また後刷りが多く、判別が難しいこともあります。
その点で小生の浮世絵収集の苦手なところで、当方は余技といってはなんですが、ついでのときに購入しているような状況です。
本ブログで幾度か取り上げた源内焼と縁の深い鈴木春信の版画です。
そういえば、源内焼がネットオークションに出品されなくなりました。なぜ??
本作品は表具もそれなりに後世にて本格的に仕立てているようです。

本作品は以前に「二美人図 鈴木春信 250*345」と一緒に取り上げたことがありますが、写真を再度撮影しましたので投稿します。
文書く女 柱絵 鈴木春信
絹装軸紙本浮世絵版画箱入 柱絵 画サイズ:横117*縦632

鈴木春信の柱絵は140点にもなる作品を遺しているとのこと。さらに紅摺絵期間も含めるとさらに10点ほど増えるらしいです。紅摺絵は本ブログでも投稿した作品があります。
本作品は仙台の汲古堂より購入したもの。若干のしみが残念ですが、時代を考慮すると全体に保存状態は良好のほうでしょう。

柱絵は数が少なくなっていると聞いています。評価が低かったことで粗末にされたり、掛軸として掛けっぱなしのせいで状態が悪くなったりということから残存数が少なくなったことも推察されます。本作品のような若干のしみ跡はよしとせざる得ない状況です。

柱絵についてはなじみがないでしょうから下記に説明文の抜粋を記します。
「柱絵:縦約68㎝から74㎝、横約12㎝から13㎝ほどの極めて細長い画面に描いた浮世絵を指す。柱かくしともいわれる。簡単な軸装にして庶民の安普請による節だらけであった柱を隠すためにこれを掛けた。
奥村政信による発案といわれているが、鈴木春信や礒田湖龍斎らの頃、流行し始め、鳥居清長の頃に最盛期となった。この柱絵の極端に縦に細長い画面に見事に構図を収めた点は外国人を驚かせた。
錦絵版画に描かれたのは、元文(1736年-1741年)末頃と推定されており、肉筆浮世絵においても、ほぼ同じ頃から少しずつ描かれるようになったと思われる。
画面が以上に縦長であるため、特殊な画題を扱うか、構成の工夫を迫られるため、かえって面白味のある作品となることも多かった。

川又常正の「十六人図」などはその良い例といえる。この図は、十六人の様々な階層の人々を十六羅漢に見立てて描いたもので、その頭部のみを縦長の画面にびっしりと配置して、奇怪な趣を持つユーモラスな作品である。版画の方は、文化(1804年-1818年)頃まで連綿と描かれたが、肉筆に関しては明和(1764年-1772年)の頃には衰退している。」
単に柱隠しのほかに絵暦としての機能もあったと思われます。

浮世絵は当方のコレクションの範疇外ですので詳しくありませんが、だんだん見かけることが少なくなっているように感じます。前はどこの骨董店でもまとめて数十枚あったものです。

とにもかくにも浮世絵を集めるには現在は残存数が少なく、また高価であろ、収集が困難な状況です。浮世絵はシリーズや画家ごとに集める人が多く、コレクションと言うよりマニアックになる傾向があります。また後刷りが多く、判別が難しいこともあります。
その点で小生の浮世絵収集の苦手なところで、当方は余技といってはなんですが、ついでのときに購入しているような状況です。