
本作品は作品中の裏に印銘「民」が押印され、表には「皥々斎」・「舜民」の累印が刻されていますが、両方の刻銘のある作品は非常に珍しく、鎹の補修跡はあるものの出来の良い、源内焼としてとても貴重な作品です。当方では100点を超える源内焼の作品がありますが、両方の印のある作品は2点ほどのみです。

源内焼 三彩鶴仙人図輪花皿
表「皥々斎」累印 裏「民」印
鎹の補修跡あり 口径240*高さ30 誂箱

鯉に乗った仙人(琴高仙人)の図柄の絵画などはよく見かけますが、鶴の乗った仙人の図柄の作品はこれまた非常に珍しい作品ですね。鶴に乗った仙人図柄については下記のような記述があります。
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鶴に乗った仙人:周の霊王の太子晋(しん)が仙人となり、白い鶴に乗って去ったという「列仙伝」の故事からの図柄でしょう。
漢から六朝期へと経過する中で鶴は隠遁者の寓意を持つようにもなります。さらに時代が進むと、隠遁は神仙思想と結びつき、多くの仙人たちの登場をうながすようになりました。そして、彼ら仙人の付属物・乗り物としての鶴という「仙家の霊鳥」としての 鶴が誕生するようになります。そうした仙禽としての鶴が登場する代表的書物の一つとして「列仙伝」や「神仙伝」が挙げられますが、そのひとりに王子喬(周の霊王の太子晋)という人物がいます。その記述は下記のようになっています。
「王子喬なる者は、周の霊王の太子晋なり。好んで笙を吹き、鳳凰の鳴を作す。伊・洛の間に遊びしとき、道士浮丘公、接して以て嵩高山に上る。三十余年の後、之を山上に求むるに桓良を見て曰く、「我が家に告げよ。七月七日、我を?氏山の巓に待て」と。時至り、果たして白鶴に乗り、山頭に駐まる。之を望むも、到るを得ず。手を挙げて時人に謝し、数日にして去る。亦祠を?氏山の下、及び嵩高の首に立つ。」
この王子喬のように鶴に乗って昇天・昇仙する仙人だけでなく、中には本人自身が鶴に化す丁令威という仙人まで現れるようになります。

列仙伝:中国の仙人の伝記集。2巻。伝説上の神農,黄帝の頃から,前漢の武帝~宣帝間の仙人 70人について逸話的な伝記を記したもの。前漢時代の劉向 (りゅうきょう) の作といわれる。しかし,内容からもっとのちの人の作であるとする説が有力。六朝時代晋の葛洪の『神仙伝』とともに,中国古代の神仙伝説を知るための貴重な資料。
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この図柄の作品は源内焼の図集にも掲載がなく、おそらくこの作品は源内焼として稀有な作品だと判断しています。

前述のように裏面に陰刻のある作品は源内焼ではほとんどなく、とても珍しい作品です。そてほど力を入れた作品でおそらく源内焼の初期にあたる作品と推察されます。

貴重な源内焼の条件は下記の項目とされます。
1、 地図皿
2、 大型の抜けのよいもの
3、 印のあるもの(瞬民、志度瞬民、民など)
4、 多彩釉(3~4彩、出来れば黒・藍などの色があるもの)
5、 擦れなどがなく、壊れていない完全なもの
とくに地図皿と印のあるものが重要なポイントです。このような作品は市場にはまずない・・・。また大型の図柄が克明である作品や色彩に擦れが少ない作品を選んだ方がいいでしょう。図柄が不鮮明であったり、擦れの多い作品はほとんど価値がないものとなります。源内焼は軟陶なので保存状態の良い作品は少ないものです。

本作品は鎹での補修跡があることから所蔵者が大切にしていた作品でしょう。源内焼のような軟陶に鎹で補修するのはとても難しい技術です。

裏には「民」という刻銘まであります。

この「民」の印は各種あります。一例は下記の写真のとおりです。

知られている源内焼の陶工として、源吾、松山、舜民、珉山がおり、さらには主な陶工としては、堺屋源吾、五番屋伊助(赤松松山)が活躍したと資料にはあります。その中でも代表的な陶工である舜民は志度房前の人物で姓は脇田、号は皥々斎であり、源内焼の代表的な陶工ですが、本作品は「舜民」の作とされる作品です。

一般に「皥々斎」累印は不鮮明で判読しずらいものが多くあります。

詳しくは五島美術館出版「源内焼」に僅かに紹介されていますが、図集に掲載されているのは「三彩寿老人図脚付角鉢」という作品NO73&74の作品のみです。

「民」の印影も図鑑に掲載されています。当方にも同図の作品があります。
源内焼 その11 三彩寿老紋様陽刻四方皿
縦220*横220*高さ30*高台160 合箱

この作品には鮮明に「皥々斎」・「舜民」の累印が刻されています(左写真参照)。本作品(右写真参照)との比較ですが、本作品も「皥々斎」・「舜民」の累印に相違ないでしょう。

ともかく本作品は図柄、出来ともに源内焼として資料的価値の高い作品のひとつです。

源内焼 三彩鶴仙人図輪花皿
表「皥々斎」累印 裏「民」印
鎹の補修跡あり 口径240*高さ30 誂箱

鯉に乗った仙人(琴高仙人)の図柄の絵画などはよく見かけますが、鶴の乗った仙人の図柄の作品はこれまた非常に珍しい作品ですね。鶴に乗った仙人図柄については下記のような記述があります。
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鶴に乗った仙人:周の霊王の太子晋(しん)が仙人となり、白い鶴に乗って去ったという「列仙伝」の故事からの図柄でしょう。
漢から六朝期へと経過する中で鶴は隠遁者の寓意を持つようにもなります。さらに時代が進むと、隠遁は神仙思想と結びつき、多くの仙人たちの登場をうながすようになりました。そして、彼ら仙人の付属物・乗り物としての鶴という「仙家の霊鳥」としての 鶴が誕生するようになります。そうした仙禽としての鶴が登場する代表的書物の一つとして「列仙伝」や「神仙伝」が挙げられますが、そのひとりに王子喬(周の霊王の太子晋)という人物がいます。その記述は下記のようになっています。
「王子喬なる者は、周の霊王の太子晋なり。好んで笙を吹き、鳳凰の鳴を作す。伊・洛の間に遊びしとき、道士浮丘公、接して以て嵩高山に上る。三十余年の後、之を山上に求むるに桓良を見て曰く、「我が家に告げよ。七月七日、我を?氏山の巓に待て」と。時至り、果たして白鶴に乗り、山頭に駐まる。之を望むも、到るを得ず。手を挙げて時人に謝し、数日にして去る。亦祠を?氏山の下、及び嵩高の首に立つ。」
この王子喬のように鶴に乗って昇天・昇仙する仙人だけでなく、中には本人自身が鶴に化す丁令威という仙人まで現れるようになります。

列仙伝:中国の仙人の伝記集。2巻。伝説上の神農,黄帝の頃から,前漢の武帝~宣帝間の仙人 70人について逸話的な伝記を記したもの。前漢時代の劉向 (りゅうきょう) の作といわれる。しかし,内容からもっとのちの人の作であるとする説が有力。六朝時代晋の葛洪の『神仙伝』とともに,中国古代の神仙伝説を知るための貴重な資料。
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この図柄の作品は源内焼の図集にも掲載がなく、おそらくこの作品は源内焼として稀有な作品だと判断しています。

前述のように裏面に陰刻のある作品は源内焼ではほとんどなく、とても珍しい作品です。そてほど力を入れた作品でおそらく源内焼の初期にあたる作品と推察されます。

貴重な源内焼の条件は下記の項目とされます。
1、 地図皿
2、 大型の抜けのよいもの
3、 印のあるもの(瞬民、志度瞬民、民など)
4、 多彩釉(3~4彩、出来れば黒・藍などの色があるもの)
5、 擦れなどがなく、壊れていない完全なもの
とくに地図皿と印のあるものが重要なポイントです。このような作品は市場にはまずない・・・。また大型の図柄が克明である作品や色彩に擦れが少ない作品を選んだ方がいいでしょう。図柄が不鮮明であったり、擦れの多い作品はほとんど価値がないものとなります。源内焼は軟陶なので保存状態の良い作品は少ないものです。

本作品は鎹での補修跡があることから所蔵者が大切にしていた作品でしょう。源内焼のような軟陶に鎹で補修するのはとても難しい技術です。

裏には「民」という刻銘まであります。

この「民」の印は各種あります。一例は下記の写真のとおりです。

知られている源内焼の陶工として、源吾、松山、舜民、珉山がおり、さらには主な陶工としては、堺屋源吾、五番屋伊助(赤松松山)が活躍したと資料にはあります。その中でも代表的な陶工である舜民は志度房前の人物で姓は脇田、号は皥々斎であり、源内焼の代表的な陶工ですが、本作品は「舜民」の作とされる作品です。


一般に「皥々斎」累印は不鮮明で判読しずらいものが多くあります。

詳しくは五島美術館出版「源内焼」に僅かに紹介されていますが、図集に掲載されているのは「三彩寿老人図脚付角鉢」という作品NO73&74の作品のみです。


「民」の印影も図鑑に掲載されています。当方にも同図の作品があります。
源内焼 その11 三彩寿老紋様陽刻四方皿
縦220*横220*高さ30*高台160 合箱

この作品には鮮明に「皥々斎」・「舜民」の累印が刻されています(左写真参照)。本作品(右写真参照)との比較ですが、本作品も「皥々斎」・「舜民」の累印に相違ないでしょう。


ともかく本作品は図柄、出来ともに源内焼として資料的価値の高い作品のひとつです。