夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

再整理 浜田庄司 (塩釉)絵刷毛目茶碗 & 掛合釉方瓶

2022-06-19 00:01:00 | 陶磁器
浜田庄司の作品の整理はまだまだ続きますが、そろそろ飽きてきましたので、ちょっと目先の違った作品を紹介します。


浜田庄司の作品における技法のひとつに「塩釉」という作例があります。15世紀頃にドイツで生まれた技法のようです。資料では「浜田庄司が欧州から帰国した1953年(昭和28)頃から、日本の陶芸家としては初めてこの技法を試み始めた。」とあります。


***********************************

塩釉:焼成中に窯の中に岩塩を投げ入れ、それが釉薬同様の効果を生み出すものですが、高温のため色釉としてはコバルト(藍色)、鉄(褐色、黒色)、マンガン(あずき色)などが呈色剤として用いられます。たとえば素地にコバルトを塗っておくと、鮮やかな藍色の発色が得られます。コバルト釉や灰釉を焼き上げ、火を止めてから食塩を撒くとガス化して艶やかな肌に一変します。


焼成は,窯の温度が1200℃くらいに達したとき,窯の中に食塩を投げ込むことによって,食塩の塩化ナトリウムがソーダと塩素に分解され,ソーダは胎土のケイ酸とアルミナと化合し器の表面をガラス質で覆うことになります。塩釉は、塩素ガスが出たり、塩が窯を痛めるため、普通の窯では何度も焼くことができず、窯を使い捨てのため特別な窯が必要です。塩釉では素地に釉薬は施さず、塩が素地につくことで化学変化が起こり、ガラス化することで独特の肌質が出ます。


浜田庄司の代表的な塩釉の作例をインターネット上で見つけることができます。

塩釉流掛茶碗  
        

藍塩釉茶碗


塩釉面取茶碗


浜田庄司の技法では一般的に貝殻を置いて焼く「貝積(かいづみ)」により、底には貝殻の跡が付着していることが多いとされます。

***********************************

本日紹介する作品は箱書には「絵刷毛目茶碗」とありますが、一般的には「塩釉」に分類される作品と推定しています。

*共箱の箱書は下記の写真のとおりです。



(塩釉)絵刷毛目茶碗 浜田庄司作(茶碗 その1)
共箱 誂塗二重箱 
口径121*高さ105*高台60


塩釉は、塩素ガスが出たり、塩が窯を痛めるため、普通の窯では何度も焼くことができず、窯を使い捨てのため特別な窯が必要ですので、作例は非常に少ないようです。


この技法は浜田庄司のもとで修業した島岡達三によって数多く作られていまし、現代でも多くの作家が作っています。ただし当初は浜田庄司もかなりの試行錯誤を繰り返し、とくに窯の中に食塩を投げ込むタイミングが解らずに苦労したという記録があります。この作品は浜田庄司の塩釉の作品でも晩年の傑作のひとつです。


ところで浜田庄司に作品に銘がなく、そのため共箱が有力な手掛かりとなるため、偽の箱書がたくさんあります。ただ本物は印に使う朱肉が特別なため色がどす黒い色になる特徴があります。

下記写真は左が本作品の箱書の朱肉の色で、左が偽の箱書の朱肉です。偽の箱がかなり下手な出来ですので、すぐに解りますが、よくできた贋作の箱には書体も印の色もまったく区別がつかないような贋作もあります。

 

当方でも迷うような箱に出会う時があります。下記の写真の共箱がそうです。とくに初期の頃の作品は解りにくいので共箱を重視する傾向がありますので、要注意ですね。

*晩年の作は明らかに作品のみで判別できるほど贋作とは出来に違いがありますので、晩年の作については作品本体で容易に判別できるようになります。

**なお真作にも工房作品や門窯の作品もあります。その中には本人自身や島岡達三らが作った作品もあるようですが、基本的にまったく区別がつかない作品でも評価は下がります。

縁黒茶碗 その2 伝浜田庄司作
共箱 
口径125*高台径60*高さ65

上記作品の共箱です。作品の説明は省きますが、この箱の作品は初期の作で箱は本物かな?


塩釉の作品でも迷う作品があります。たとえば下記の作品ですが、塩釉としてはあきらかに不完全な作品です。ここでは「贋作考」として取り上げてみました。→下記の作品は最終的には贋作と判断される作品です。

贋作考 塩釉流掛茶碗 伝浜田庄司作
共箱
口径148*高さ89*高台径


上記の作品の箱書は下の左の写真で、本物の箱書は右の写真です。書体は贋作とは思えないですが、僅かにうますぎる点と朱肉の色に若干の違いがありますね。ただし箱の木地に艶あるので朱肉の色はそのせいの可能性もあります。明らかな贋作の赤い朱肉とも違います。

*贋作なら字体と朱肉においてここまで真似たかと感心するくらいです。

 

本作品は「貝積(かいづみ)」がないこと、朱肉がちょっと赤いことから贋作とするにはちと早計かもしれません。ときとして初期の頃の作品には少ない根拠で贋作とは簡単には結論づけられない作品もあるものです。

改めて真作として認められない根拠は
1.真作とと箱書が酷似していますが「箱書は真似て書かれたもの」の可能性がある。

2.箱書の印の「朱肉の色」が違う可能性がある。

3.「胎土」が違う点です。

下記の写真での左は昭和20年代と思われる工房作品の真作です。


4.焼成方法が「塩釉とするには無理がある点」ですね。海鼠(掛合の)釉薬のような感じです。そもそも「塩釉流掛茶碗」という作品名がおかしい・・・?? 

*胴には胴紐状の形状がありますが、ただしこれは浜田庄司が得意とした意匠の形です。

5.「高台の作りが浜田庄司の茶碗としては違和感がある点」と「高台が貝積(かいづみ)ではない点」

よく観るといくらでも贋作とする判断材料があるように思います。


*まずは箱書でごまかされないことです。この贋作の共箱はかなり良くできている箱ですね。もしかすると箱は本物で中身をすり替えた可能性もあります。つまり作品そのものをよく観ることです。掛け軸においての印章偏重が禁物なのと同じです。


本作品は資料として保管しておくことにしています。


以上が塩釉というより海鼠釉の作品への考察ですが、あきらかに浜田庄司の作とは言えませんが、銘も何もない作品なので普段使いの茶碗などに使うには何ら問題はないでしょうね。売買や人への贈答しない限り目くじらをたてて論争する必要はありません。

さて次の作品紹介は下記の作品で、よく見かける「掛合釉方瓶」ですが、ただし出来が格段にいい晩年の作です。むろん真作です。


浜田庄司の作品は赤絵がいいとか、大皿がいいいとかではなく、その釉薬で価値が決定します。同じ種類でも出来の判断が必要でしょうね。


共箱は杉箱ですね。


掛合釉方瓶 浜田庄司作(花入 その6)
杉共箱入
高さ250*幅125*奥行き120*口径100*高台径95


浜田庄司の晩年の釉薬の凄みが伝わる逸品です。


釉薬と共に釉薬の掛け具合が素晴らしいですね。


やったことのある方ならご存知のように釉薬の掛け方はまったく小細工が通用しません。


コンマ何秒の勝負です。


そこに浜田庄司の凄さがあるように思います。


前面に柿釉、口廻りを灰釉薬に付けて、さらに柄杓で灰釉薬を掛ける。その間はおそらく数秒・・。


河井寛次郎は造形の天才、浜田庄司は努力の釉薬の天才と言えるでしょう。


浜田庄司の作品の着眼ポイントは釉薬・・・。

*インターネットオークションを含めて市場には浜田庄司の贋作が数多くありますが、騙されてみないと鑑識眼は身につきませんね。失敗は成功のもとは骨董蒐集も同じです。ただし失敗という言葉はチャレンジと読み替えられます。恐れていては真作を蒐集できないのは真理です。贋作をつかん口惜しさがばねになり、この悔しさがいいものへの執着となって、入手への思いきりによさとなります。この悔しさがないといくら鑑識眼のあると豪語する人でも金銭的な障害を克服できないものです。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。