本日は郷里出身の画家の平福穂庵の作品の紹介です。子息の平福百穂共々、本ブログにて紹介していますが、明治の頃の作品ですので痛んでいる状態の作品が多々あり、修復を必要とすることがあります。
下記の作品は以前に本ブログにて紹介した作品ですが、この度修復致しましたので、修復後の状況を投稿します。
象使い図 平福穂庵筆 明治7年(1874年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱二重箱
全体サイズ:横681*縦1840 画サイズ:横590*縦1012
*分類第2期:職業画家をめざして(明治1年~10年)
2023年7月改装:染抜き水洗い程度 軸先は添付の物を使用 ¥30,000二重箱は概存箱を使用
調整のため鉋かけで調整多当紙新調 ¥5,000
この頃には海外の動物の多くが日本に紹介されたようで、虎やライオンと共に象を描いた作品が数多く見受けられます。
象使いと小禽が一緒に描かれた作品です。
大幅の作品でしたので、それなりに費用がかかります。
これ以上痛むと鑑賞に堪えらない状況になりますので、改装と致しました。
シミ抜きを施していますが、この状態までの復旧が限度のようです。
表具材は極力、元の表具や作品に見合ったものを選ぶようにしています。
破れた状態は極力、補修しています。
落款や印章、筆遣いから真作と判断しています。
郷里出身の画家は整理棚を別にしていますが、そろそろ満杯状態です。
さて、本日紹介する作品です。
水墨画の多い平福穂庵の作品で着色された作品には丁寧に描かれた作品が多いようです。本作品は平福穂庵の作品中では佳作と判断してよい作品でしょう。
白梅ニ軍鶏図(仮題) 平福穂庵筆 その45
絹本水墨着色軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1850*横470 画サイズ:縦990*横345
*北海道渡航時代:職業画家をめざして(明治5年~16年)?
落款には「羽後(陰)穂庵」とあり、「羽後(陰)」という落款は主に平福穂庵が北海道に渡航していた頃の作品に多いとされます。
北海道のアイヌを取材した新たなモチーフの作品の画中に、署名の先に「羽陰」と書かれた作品が多くあります。ただ「羽後」もしくは「羽陰」と記されたからといって、必ずしも北海道への渡航時期とも限らないようです。
穂庵の北海道への渡航歴は明治5年から始まり、明治14年から頻繁となり、明治16年まで続きます。
「庵」の第一画と第2画が付いているのはこの時期でも時代が早く、離れているのは晩年期に近くなります。
また「庵」の最終の跳ねが90度以上の跳ねあがるのも第1期から第2期にかけてで、第3期からは90度ほどになり、跳ね上がりも極端ではなくなる傾向にあります。以上から本作品は初期の頃と推定され、明治初期(明治10年前後)頃の作と思われます。この頃には平福穂庵の代表作のひとつである「乞食図」を描いた時期と同じ頃です。
印章は多少不鮮明ながら、白文朱方印「芸耕之印」、朱文白方印「穂庵」が押印されていますが、この印章はこの時期に限られているようです。印影は真印と違和感はありません。
この時期の平福穂庵は近代画家としての要素が発芽し始めている時期と称せられています。
つまり
① 写生(スケッチ デッサン)という制作姿勢をもっていた。
② 写生を生かせる筆力はすでに持っていた。
③ 現代の社会に目を向けその具体化に強い関心があった。
④ 公的な展覧会では注目を浴びる必要性を強く感じていた。
現在人気の高い渡辺省亭の数少ない交友相手のひとりが平福穂庵でした。