夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

養老孝子 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃

2020-08-19 00:01:00 | 掛け軸
どこも出かけなかった今年の夏は家で息子とトランプ遊び・・。七ならべは小生の勝ち、神経衰弱は息子の勝ち・・。要は戦略は歳の功、記憶力は若さの力・・・・



庭でのプール遊びは大人の涼、愛犬には水をかけられ迷惑このうえなく暑さの中、こそこそと犬小屋に避難。



さ~夏はそろそろお終い、「たまや~」、夏は思い出の季節・・・。



さて厳選された作品に絞って寺崎廣業の作品を蒐集していますが、よほど寺崎廣業は多作であったと思われ、凡庸な作品ばかりが目立つ寺崎廣業の作品です。そんな状況で、この作品は「養老孝子」という珍しい画題ということと共箱二重箱という誂から購入した作品です。

養老孝子 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱二重箱
全体サイズ:横600*縦2060 画サイズ:横400*縦1125

 

養老孝子とは下記の伝説からきた画題です。

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美濃の国に、源丞内(げんじょうない)という貧しい若者がいました。丞内は、老父を家に残して山へ「まき」を拾いに行き、それを売って米や父親のための酒を買うのが日課でした。老父は、目が不自由で日々酒だけが楽しみでした。



ある日、丞内が山の中で転んで眠ってしまったところ、夢の中で酒の匂いがしました。目がさめると、香り高い酒が湧き出る泉がありました。丞内は喜んで、老父にその酒を与えました。すると老父の目が見えるようになるではありませんか。酒の泉は、不自由な体を直すということで有名になりました。それが帝の耳に達し、親孝行の丞内は、美濃の守に任ぜられました。



*霊亀3年(717年)、奈良朝元正女帝は、この地を訪れ霊泉で体を洗われると、ご病気が全快しました。帝はこれをお喜びになり、年号を養老と改めました。この話も有名です。         

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落款から明治40年前後の「二本廣業」時代の作で、箱書きは後年の大正時代前後の「三本廣業」時代によるものと判断されます。

  

*「廣業印信」という白文朱方印については、意外に押印されている作品は少ないと言えるでしょう。

 

(誰からかの依頼で)描いた作品を表装し、後日箱を誂えて箱書きをしたのではないかと推察されます。あまり書き込みにある佳作とは言えませんが、この時期に凡庸な山水画の多い寺崎廣業の作品としては珍しい画題です。



こののち大正期に入って山岳画を本格的に描いていく前兆が窺われます。

さて我が息子も「孝子」となって欲しいものだが、こればかりは思うにまかせないようで・・・。香り高い酒が湧き出る泉はなく、来月は白内障の手術の予定です。


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