
平維茂戸隠山鬼女退治之画 月岡芳年作
版画額装710*238
昨日も会食・・・帰宅するなり
ブログを綴る時間がありませんね、なんとか
さて、真贋続きで嫌気がさしてきましたので浮世絵版画を一作掲載します。
別に浮世絵コレクターではありませんが、骨董市や骨董店でたまたま見かけた興味を惹かれる作品を買うことがあります。
そんな作品の中から自慢の逸品

浮世絵版画は現存数以外は復刻版によってしか増えることはないので、機会を逃すともう手に入らないものばかりですが、今は本当に売りに出ている数が少なくなりましたね
浮世絵の欠点は飾っておけないこと、特に日光など強い光は苦手・・色が変色します
浮世絵は状態が命です、保存が悪いと驚くほど価値が下がります。
裏打ちがあったりしただけで半値以下になったりします。
でも、飾らないで机の中というのもどうかと思い、三代歌川豊国の版画などは額に入れて楽しんでいます。
月岡芳年の本作品は竪2枚シリーズとして有名な作品であり、版元は芳年の門下生の松井栄吉でです。恩師と門人によって晩年の記念的シリーズは生まれました。明治20年の作品。
3種類の作品が盛岡の古陶庵で入手され、その中から本作品を購入しました。
状態は最良・・価格はたしか12万と記憶しています
3枚とも有名な図柄で欲しかったのですが、懐事情によりこの1枚のみ購入しました


下図は購入できなかった他の2枚・・・
欲しかったな~~

「戸隠山へ紅葉狩り鬼女退治の図」

信州の戸隠山に更科姫という姫が住んでいたが性悪しく人々に難澁を与えていたが或る秋、平維茂が紅葉狩りをしようとして戸隠山に登った折、姫は酒肴をもてなし、大いに之を歓待して誘惑せんとしたが平維茂の帯びていた小烏丸の太刀の功徳に依り姫は本性を顕わし、鬼女の姿となったので維茂は小烏丸を振い鬼女を遂に退治したという伝説に基づいて、長唄や歌舞伎にもなっている紅葉狩りは鬼女退治の図である。
月岡芳年:本名吉岡米次郎、のち、画家月岡雪斎の家を継ぐ。(月岡雪斉については後日
)
号は玉桜、魁斎、一魁斎藤、大蘇など。
芳年は、天保10年(1839)3月17日、商家吉岡家の次男として生まれ、12歳で歌川国芳(1797~1861)に入門したと伝えられる。はじめ役者絵を中心に描くも、文久3年(1864)から幕末にかけては武者絵を描くようになり、殺伐とした世相を反映した残酷絵、血みどろ絵と呼ばれる一連の作品で一躍有名絵師の仲間入りを果たす。
明治5年(1873)に神経を病むが翌年快復し、後「大蘇」の号を用いて精力的に作品を刊行。新聞錦絵、怪奇画、美人画などのジャンルで人気を呼ぶが、とりわけ歴史画は芳年の独壇場だった。
晩年、再度神経を病んで発狂し、明治25年6月9日、54歳で没した。そして芳年の死とともに浮世絵は終焉を迎えたといわれる。
版画額装710*238
昨日も会食・・・帰宅するなり

ブログを綴る時間がありませんね、なんとか

さて、真贋続きで嫌気がさしてきましたので浮世絵版画を一作掲載します。
別に浮世絵コレクターではありませんが、骨董市や骨董店でたまたま見かけた興味を惹かれる作品を買うことがあります。
そんな作品の中から自慢の逸品


浮世絵版画は現存数以外は復刻版によってしか増えることはないので、機会を逃すともう手に入らないものばかりですが、今は本当に売りに出ている数が少なくなりましたね

浮世絵の欠点は飾っておけないこと、特に日光など強い光は苦手・・色が変色します

浮世絵は状態が命です、保存が悪いと驚くほど価値が下がります。
裏打ちがあったりしただけで半値以下になったりします。
でも、飾らないで机の中というのもどうかと思い、三代歌川豊国の版画などは額に入れて楽しんでいます。
月岡芳年の本作品は竪2枚シリーズとして有名な作品であり、版元は芳年の門下生の松井栄吉でです。恩師と門人によって晩年の記念的シリーズは生まれました。明治20年の作品。
3種類の作品が盛岡の古陶庵で入手され、その中から本作品を購入しました。
状態は最良・・価格はたしか12万と記憶しています

3枚とも有名な図柄で欲しかったのですが、懐事情によりこの1枚のみ購入しました



下図は購入できなかった他の2枚・・・

欲しかったな~~



「戸隠山へ紅葉狩り鬼女退治の図」


信州の戸隠山に更科姫という姫が住んでいたが性悪しく人々に難澁を与えていたが或る秋、平維茂が紅葉狩りをしようとして戸隠山に登った折、姫は酒肴をもてなし、大いに之を歓待して誘惑せんとしたが平維茂の帯びていた小烏丸の太刀の功徳に依り姫は本性を顕わし、鬼女の姿となったので維茂は小烏丸を振い鬼女を遂に退治したという伝説に基づいて、長唄や歌舞伎にもなっている紅葉狩りは鬼女退治の図である。
月岡芳年:本名吉岡米次郎、のち、画家月岡雪斎の家を継ぐ。(月岡雪斉については後日

号は玉桜、魁斎、一魁斎藤、大蘇など。
芳年は、天保10年(1839)3月17日、商家吉岡家の次男として生まれ、12歳で歌川国芳(1797~1861)に入門したと伝えられる。はじめ役者絵を中心に描くも、文久3年(1864)から幕末にかけては武者絵を描くようになり、殺伐とした世相を反映した残酷絵、血みどろ絵と呼ばれる一連の作品で一躍有名絵師の仲間入りを果たす。
明治5年(1873)に神経を病むが翌年快復し、後「大蘇」の号を用いて精力的に作品を刊行。新聞錦絵、怪奇画、美人画などのジャンルで人気を呼ぶが、とりわけ歴史画は芳年の独壇場だった。
晩年、再度神経を病んで発狂し、明治25年6月9日、54歳で没した。そして芳年の死とともに浮世絵は終焉を迎えたといわれる。
小学校6年生の時、図画の時間に「ビードロを吹く女」を描いて先生が驚いたのを覚えています。
また、中学生の時に、前にもコメントしましたが映画の「炎の画家ゴッホ」をみて浮世絵が印象派に与えた影響に感動したものです。
今回の作品は、浮世絵の初期が静だとすると近代版画に見られる動の世界なのでしょうか?
私はどちらかといえば静の浮世絵版画の中でも春信のさらりとした若い女性の色気のある方が好みです。男子はみんな一緒ですけどね!
心得ました・・探してみましょう。
米吉さんが若くて元気な源ですね