人生はいつ何時何があるか分からない。そういうことを覚悟しているところから、日頃の生活のありがたさ、大切さが自覚できるものと思っています。当たり前のことですが、今回のコロナウイルス禍状下で改めて感じた人も多かったと思います。
さて都会はむろんですが、地方でも葬祭センターで葬儀を行うことが多くなり、唐突ですが「逆さ屏風」ということを知らない方が多いのではないでしょうか?
小生のように身内の多くを失い、複数の葬儀で喪主や施主を務めると、いつのまにか葬儀の所作には詳しくなってきます。葬儀では行われることで、日常では理解できないことで面食らうことが幾つかあります。その中で一番最初に理解できなったのは「逆さ屏風」です。
ということで本日は関連するということで屏風の作品の紹介です。
四曲半双屏風 藤井達吉画・作
紙本水墨淡彩軸装
全体サイズ:縦1760*横1380 画サイズ:縦515*横150など
「逆さ屏風」とは故人の枕元に屏風をさかさまに立てかけることです。
通常は亡くなった場合が病院の場合、亡くなった方を自宅にまず運びます。亡くなった家内や母は小生と家内が在京だったので、すぐに車を手配して郷里まで運びました。飛行機便と車で運ぶ場場合があります。各々手配の仕方が違いますが、現在は葬儀屋さんが段どってくれます。
自宅に到着するとすぐに必要なのが布団と屏風ですが、一般家庭には屏風などはないでしょうね。田舎では葬儀屋さんが手配してくれます。
最初に郷里の義父が亡くなった際には、病院から遺体を運び込むとすぐに親戚の方から「屏風を持ってこい! 逆さ屏風にするから・・」と指示を受けました。
屏風を逆さにする理由は、これは葬儀における「逆さ事」のひとつだそうで、葬儀において、通常とは逆に行うことを、「逆さ事」と呼んでいます。経帷子は左前に着せる、足袋を左右逆にはかせるなどが「逆さ事」です。
従来、人は死という特異な事態に対処するため、葬儀の際には死と自分たちが生きているこの世とを隔絶させようとしました。日常的に行うことを逆にする逆さ事もそのひとつのようです。また、この世と死者の住む世界では、物事が逆になっていると信じられていたことから、かつては夜に葬儀を行っていました。あの世は昼間で明るくて迷わずに済むという理由から、葬儀は夜に行ったといいます。
遺体に装束に着せ替える際にはブラインドにするためにも屏風は重宝だったのでしょう。
なぜ本日の作品である屏風を入手し、さらに「逆さ屏風」を説明したかというと、終活に入っている当方としては、つい思ってしまうのですが、自分が死んだ際に使われる屏風は何だろうと思っていたからです。逆さにして死を弔う作品とは・・屏風の絵柄はやはりり花かな?
山水画、人物、仙人図とか現在所蔵する屏風を頭に思い浮かべたのですが、いずれ郷里にあって東京には置いていません。それなりに場にふさわしいものがいいのだろうと・・。鶴と亀、金屏風などのめでたい席での屏風では天寿を全うしていないと不釣り合い?ということもありますね。
とりあえず藤井達吉のファンとしては、藤井達吉の作品でもあり、屏風のひとつくらい手元にあってもいいかなという衝動的な動機もありました。
*屏風の保存は昔はそれ専用の箱の収められていました。現在はその収納箱を不要としているようです。理由は箱ごと置くスペースがないからとのことです。私はその傾向に反対です。屏風を扱うと解りますが、一人で扱うには重いものです。ぞんざいに扱うと痛めてしまいますから、箱は重要です。この作品はそれほど大きくないので、タトウにしようかとかと考えています。
しかも、この作品は定かではありませんが、藤井達吉が自らコーディネートした可能性があります。絵の出来もよく、春夏秋冬の図柄と判断しました。表の表具の生地は2種類、裏の表具もセンスがいい。金具などは使わず染め物で繋いでいます。
ところで「逆さ屏風」に用いるのはいいとして、この絵の賛は何と書かれているのは気になるところです。
「前世を悔いあらためよ。」などという賛なら成仏できそうにありません・・・。
いつもながら藤井達吉の賛は読みが難解です。
なんとか成仏できるように内容は理解しておく必要がありそうです。
絵柄が「四季」なら時期を選ばない・・。(下記参照)
印章はすべての作品が「達翁」ですね。これは他の作品にもある印章で晩年の作と推定されます。
はてもさても縁起でもなく「逆さ屏風」の心配するようなのは小生くらいか・・。義母も家内もこの作品は気に入ったようですが、逆さ屏風の件は呆れていました。ところでそもそも「逆さ屏風」を念頭に屏風を描いた絵師や画家はいたのでしょうか?
「逆さ屏風」の話題はさておいて、改めて作品を観ると絵は四季を表現しています。
春夏秋冬でしょう。
春
夏
秋
冬
さらに本屏風の魅力は表具ですね。
藤井達吉のセンスの良さがよくわかります。
屏風は痛みやすいため、現在保管用の収納箱(軽めのタトウ)を製作依頼中・・・・・
さて都会はむろんですが、地方でも葬祭センターで葬儀を行うことが多くなり、唐突ですが「逆さ屏風」ということを知らない方が多いのではないでしょうか?
小生のように身内の多くを失い、複数の葬儀で喪主や施主を務めると、いつのまにか葬儀の所作には詳しくなってきます。葬儀では行われることで、日常では理解できないことで面食らうことが幾つかあります。その中で一番最初に理解できなったのは「逆さ屏風」です。
ということで本日は関連するということで屏風の作品の紹介です。
四曲半双屏風 藤井達吉画・作
紙本水墨淡彩軸装
全体サイズ:縦1760*横1380 画サイズ:縦515*横150など
「逆さ屏風」とは故人の枕元に屏風をさかさまに立てかけることです。
通常は亡くなった場合が病院の場合、亡くなった方を自宅にまず運びます。亡くなった家内や母は小生と家内が在京だったので、すぐに車を手配して郷里まで運びました。飛行機便と車で運ぶ場場合があります。各々手配の仕方が違いますが、現在は葬儀屋さんが段どってくれます。
自宅に到着するとすぐに必要なのが布団と屏風ですが、一般家庭には屏風などはないでしょうね。田舎では葬儀屋さんが手配してくれます。
最初に郷里の義父が亡くなった際には、病院から遺体を運び込むとすぐに親戚の方から「屏風を持ってこい! 逆さ屏風にするから・・」と指示を受けました。
屏風を逆さにする理由は、これは葬儀における「逆さ事」のひとつだそうで、葬儀において、通常とは逆に行うことを、「逆さ事」と呼んでいます。経帷子は左前に着せる、足袋を左右逆にはかせるなどが「逆さ事」です。
従来、人は死という特異な事態に対処するため、葬儀の際には死と自分たちが生きているこの世とを隔絶させようとしました。日常的に行うことを逆にする逆さ事もそのひとつのようです。また、この世と死者の住む世界では、物事が逆になっていると信じられていたことから、かつては夜に葬儀を行っていました。あの世は昼間で明るくて迷わずに済むという理由から、葬儀は夜に行ったといいます。
遺体に装束に着せ替える際にはブラインドにするためにも屏風は重宝だったのでしょう。
なぜ本日の作品である屏風を入手し、さらに「逆さ屏風」を説明したかというと、終活に入っている当方としては、つい思ってしまうのですが、自分が死んだ際に使われる屏風は何だろうと思っていたからです。逆さにして死を弔う作品とは・・屏風の絵柄はやはりり花かな?
山水画、人物、仙人図とか現在所蔵する屏風を頭に思い浮かべたのですが、いずれ郷里にあって東京には置いていません。それなりに場にふさわしいものがいいのだろうと・・。鶴と亀、金屏風などのめでたい席での屏風では天寿を全うしていないと不釣り合い?ということもありますね。
とりあえず藤井達吉のファンとしては、藤井達吉の作品でもあり、屏風のひとつくらい手元にあってもいいかなという衝動的な動機もありました。
*屏風の保存は昔はそれ専用の箱の収められていました。現在はその収納箱を不要としているようです。理由は箱ごと置くスペースがないからとのことです。私はその傾向に反対です。屏風を扱うと解りますが、一人で扱うには重いものです。ぞんざいに扱うと痛めてしまいますから、箱は重要です。この作品はそれほど大きくないので、タトウにしようかとかと考えています。
しかも、この作品は定かではありませんが、藤井達吉が自らコーディネートした可能性があります。絵の出来もよく、春夏秋冬の図柄と判断しました。表の表具の生地は2種類、裏の表具もセンスがいい。金具などは使わず染め物で繋いでいます。
ところで「逆さ屏風」に用いるのはいいとして、この絵の賛は何と書かれているのは気になるところです。
「前世を悔いあらためよ。」などという賛なら成仏できそうにありません・・・。
いつもながら藤井達吉の賛は読みが難解です。
なんとか成仏できるように内容は理解しておく必要がありそうです。
絵柄が「四季」なら時期を選ばない・・。(下記参照)
印章はすべての作品が「達翁」ですね。これは他の作品にもある印章で晩年の作と推定されます。
はてもさても縁起でもなく「逆さ屏風」の心配するようなのは小生くらいか・・。義母も家内もこの作品は気に入ったようですが、逆さ屏風の件は呆れていました。ところでそもそも「逆さ屏風」を念頭に屏風を描いた絵師や画家はいたのでしょうか?
「逆さ屏風」の話題はさておいて、改めて作品を観ると絵は四季を表現しています。
春夏秋冬でしょう。
春
夏
秋
冬
さらに本屏風の魅力は表具ですね。
藤井達吉のセンスの良さがよくわかります。
屏風は痛みやすいため、現在保管用の収納箱(軽めのタトウ)を製作依頼中・・・・・