夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

平野五岳 その2 山水図

2012-11-19 05:06:52 | 掛け軸
昨夜は故郷から初雪の便り・・、例年より遅い気がしますが、天候は最近不順のようです。
姉からはきりたんぽ・・、亡くなった家内の実家からとで今シーズンに入って2回目です。家内が両親が旅行のため犬の世話で実家に帰っているので、とりあえず全て冷蔵庫へ・・。


今週の日経新聞「文人って何だ?中」には夏目漱石と南画の関わりが記載されています。夏目漱石が絵を描いてたことさえ知らない人が多いようですが、大病後から亡くなるまでも夏目漱石は南画をも描いていました。ゴッホの絵に対する夏目漱石の印象などの記事は面白かったです。記事の最後のほうに「フェノロサが否定した「詩書画一致」の精神は、近代作家漱石の心の渇きを癒す泉だった。」という文章がまた印象的です。近代画家が忘れ去った日本画の精神が今また改めて評価されても良いと思います。

明治32年日田の専念寺を訪れた夏目漱石は「詩僧死して凩の里なりき」の句を残しています。南画のみならず、詩・書にも長じた平野五岳は「鎮西の三絶僧」と呼ばれたそうです。

本日投稿する平野五岳は、その詩才において広瀬淡窓門下の逸材であり、清貧に甘んじ、その高潔な人格から五岳上人と称えられたそうです。

「詩は白楽天に私淑して、平易を旨とした」とインターネット上では説明がありますが・・、平易??? 本作品は難解???

最初の投稿とはまた違った趣向の作品です。西郷隆盛の肖像を描いた画家としてもまた著名です。

山水図 平野五岳筆
紙本水墨軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦2010*横670 画サイズ:縦1310*横520



賛は「□□老僧高臥穏 白雲一片亦天恩」とあり・・・、意味は解読中・・。左に「□□柳舎 長」と号が記され、印章は白文朱方印「□□五岳」、朱文白方印「古竹園主」が押印され、賛の上には朱文印で「□□」が押印されている。



墨一色にみずみずしい山水を自由自在に描いています。技法を使っていないようできちんと使っています。実に構図といい、筆の勢いといい常人離れしています。


平野 五岳:1809(文化6)年~1893(明治26)年 豊後国日田郡幕府領渡里村(現日田市)生まれ。江戸時代後期の画僧。名は岳、字は五岳。号に竹邨方外史、古竹園主、古竹老衲など。正念寺に生まれ、のち、専念寺の養子となり同寺を継ぐ。

11歳の頃から儒学者広瀬淡窓に学び、淡窓の私塾咸宜園の人々と交友する。本格的に画作に取り組み始めた30歳代の頃は、田能村竹田の画に学び描いていたが、50歳代に入った幕末頃より独自の画風を確立していく。実際の景色を描くのではなく省略化された画面は前衛的でもある。明治初年、日田県知事となった松方正義は五岳の書画を高く評価し、それによって中央でも知られるようになった。文人のたしなみである三絶(詩、書、画)に通じ、高い評価を受けている人物である。





三絶僧 平野五岳とは:
三絶とは,詩,書,画が揃って一幅の絵の中に調和させる事ができると言う意味です。明治時代に於ける南画の名手で,文化6年(1809)3月26日日田郡光岡村渡里の正年寺小松氏(長善寺)の子として生まれています。幼い頃竹田村専念寺(願正寺の前房)のもとに養子となり平野と称しました。

実名:聞恵,名を岳,字名を五岳,雅号も五岳。由来は阿蘇の五岳による。古竹はその園号,古竹邨舎(こちくそんしゃ)とも号しています。



文政2年(1819),11歳で咸宜園に入塾。その詩才は師淡窓も「古人の言に詩は別才あり,とあるが,五岳の如きを言うのであろう」と語られたといいます。

詩は白楽天を私淑し,画は田能村竹田に私淑,山水画は菘翁(海屋)の啓発によります。海屋,逸雲,對山,小華,幽谷,杏雨,直入,清嘯等の名手の中にあって三絶僧と呼ばれました。

又当時の日田縣知事,松方正義は五岳の絵を見ると心がなごむと絶賛し,東京に持ち帰りました。二幅の絵は,その後大久保利通をへて,明治天皇に差し出され,明治天皇は,井上元帥,黒田候爵に御下賜になったそうです。



ある時学友達が,カニか,ガニかで喧々顎々の論争をしていた。決着がつかないので五岳の所に聞きに来た所、五岳は絵筆を取って岡の上と水の中にカニの絵を描いた。学友達がその意味する所を尋ねると、「岡の上がカニ、水の中は水をかき混ぜて濁らすから濁って呼ぶからガニ」と答えたと言う。

「我が好きは,酒と肴と,碁と相撲,金と,女は言うまでもなし」

晩年,臨終近くの歌
邪魔になる 自力を捨てて 今ははや みだのみくにの たのもしきかな

西光寺老僧雪叟の見舞いの歌
行く道はわかれ別れに 違えども 流れは同じ はすのうてなに

五岳辞世の句
いざ西に 向かいて お先に出かけます そろそろござれ あとの連中

明治26年3月3日 85歳を古竹園に終ゆ.玄通院釋聞恵

とにもかくにも浮世離れした面白い句を詠まれたものです。













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4 コメント

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Unknown (観月)
2012-11-19 12:35:56
賛の左の部分についてですが、「古竹邨舎 岳」
印章は白文方印「岳字五岳」、朱文方印「古竹園主」
関防印は朱文方印「知雨」
遊印はよく見えませんが、白文方印「楽琴書以消憂」
だと思います。
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解読 (夜噺骨董談義)
2012-11-20 05:28:49
ん~、素晴らしい。よく遊印まで解読できましたね。
おかげさまで当方の資料に追記できます。

できれば賛の意味まで解読できると誠にありがたいのですが
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参考になれば・・・ (観月)
2012-11-21 02:00:27
当方漢詩の勉強はしていないので解釈までは上手く説明できません。
手持ちの平野五岳の資料で以下の漢詩があったので参考にして下さい。

乱山堆裏掩柴門
繞屋松泉聞不喧
誰使老僧高臥穏
白雲一片亦天恩

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漢詩 (夜噺骨董談義 )
2012-11-22 08:15:05
観月様
平野五岳の資料にある漢詩の後半二行が一致するようです。意味はほんとうにどういう意味でしょうか?
不勉強ながら、当方でも解釈を検討してみます。

本当にいろいろとご指導いただきありがとうございます。
おかげさまで当方の資料が少しずつ解らなかった部分が埋まっていきます
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