がん難民とか末期がんとか聞いている人は多いと思いますが、がんに患ったことがないと実感として湧かないと思います。治療方法がもうないと宣告されたときの絶望感は言われないようのないものです。その家族も・・。
今、画期的な治療方法としてがんワクチンが治験段階に入っています。相変わらず認可まで日本は遅いのです。アメリカは資金導入を豊富に行い研究を大幅に推進しています。
日本は・・、政治家が党の争いで選挙だと・・。選挙絡みで重要な法案が何度無視されたことか。国民はもっと政治を監視する眼を持たないといけません。
指導者が無能だと身の保全以外に祈ることしか出来ないものです。希望というものを見いだせる指導者が欲しいものです。企業も国も指導者によるところが大きい・・。
さて、本日は病気の厄を払うという観音の作品です。
祈ることが望みで観音を頼ることもあります。医療が発達している現代でもそうですが、古くはもっと多くの人がこの観音を頼ったことでしょう。
楊柳観音図 今尾景年筆 二条基弘賛
絹本水墨淡彩仏具表具共箱二重箱
全体サイズ:縦1995*横495 画サイズ:縦1295*横356
「柳塘観音」と箱書きされていますが「楊柳観音」が正しいと思われる。
「楊柳観音」は、相手や目的によって様々に姿を変える三十三観音の一つで、儀軌では右手に柳の枝をとり、左手に左胸をあてる姿とされるが、白衣に身を包む白衣観音のように表され、近くに花瓶に柳が生けられていることが多い。
慈悲深く衆生の請願に従うことが、楊柳が風に靡く様子に似ている(柳葉が風になびくように衆生の願いを聞く)ところからそのように称され、病苦消除(病魔の侵入を防ぎ健康を保つ、爪楊枝のイメージから口業を清浄にする等の願い)を本誓とするという。薬王観音ともいいます。
この観音様は画像に描かれる例が多く、女性的な優しい表現がなされます。
賛は京都に在住する二条基弘がしており、内容については後学とします。いまだ解読できず・・。
表具は軸先が金で誂えるなど仏具表具です。
二条 基弘(にじょう もとひろ、安政6- 昭和3年)は、日本の華族。宮中顧問官、正二位勲二等公爵となる。九条尚忠の八男で、二条斉敬の養子となる。
明治23年9月から大正9年1月まで貴族院議員を務める。二条正麿男爵は義弟。基弘は歌や書に優れていたという。名は基弘、字は長畝、号を孤鶴と称した。「二条基弘」の朱方印と「長畝」の白方印が押印されている。
今尾景年(いまお・けいねん)は1845年(引化2年)京都生まれ、1924年(大正13年)京都にて没する。享年80歳。幼名猪三郎。名は永勧、字は子裕、別号に聊自楽居、養素斎、梅川東居(浮世絵)、鈴木百年(円山四条派)に師事した。
家業である友禅図案に従事しながら力をつけ、確かな写生にもとづく優美で流麗な四季草木花鳥を最も得意とした。
京都府画学校に出仕、やがて京都画壇の社交機関の委員長として重きをなす。円山四条派の伝統に立つ彼華麗かつ精微な描写で、卓抜した技量を発揮した。明治期の京都画壇を望月玉泉とともに支えた一人である。
花鳥画を得意とし博覧会で多数受賞する。京都画壇に新しい息吹を吹き込み、国内外から高い評価を得た。門下に木島桜谷など。帝室技芸員、文展審査員、帝国美術院会員。今尾景祥は今尾景年の養嗣子である。
今、画期的な治療方法としてがんワクチンが治験段階に入っています。相変わらず認可まで日本は遅いのです。アメリカは資金導入を豊富に行い研究を大幅に推進しています。
日本は・・、政治家が党の争いで選挙だと・・。選挙絡みで重要な法案が何度無視されたことか。国民はもっと政治を監視する眼を持たないといけません。
指導者が無能だと身の保全以外に祈ることしか出来ないものです。希望というものを見いだせる指導者が欲しいものです。企業も国も指導者によるところが大きい・・。
さて、本日は病気の厄を払うという観音の作品です。
祈ることが望みで観音を頼ることもあります。医療が発達している現代でもそうですが、古くはもっと多くの人がこの観音を頼ったことでしょう。
楊柳観音図 今尾景年筆 二条基弘賛
絹本水墨淡彩仏具表具共箱二重箱
全体サイズ:縦1995*横495 画サイズ:縦1295*横356
「柳塘観音」と箱書きされていますが「楊柳観音」が正しいと思われる。
「楊柳観音」は、相手や目的によって様々に姿を変える三十三観音の一つで、儀軌では右手に柳の枝をとり、左手に左胸をあてる姿とされるが、白衣に身を包む白衣観音のように表され、近くに花瓶に柳が生けられていることが多い。
慈悲深く衆生の請願に従うことが、楊柳が風に靡く様子に似ている(柳葉が風になびくように衆生の願いを聞く)ところからそのように称され、病苦消除(病魔の侵入を防ぎ健康を保つ、爪楊枝のイメージから口業を清浄にする等の願い)を本誓とするという。薬王観音ともいいます。
この観音様は画像に描かれる例が多く、女性的な優しい表現がなされます。
賛は京都に在住する二条基弘がしており、内容については後学とします。いまだ解読できず・・。
表具は軸先が金で誂えるなど仏具表具です。
二条 基弘(にじょう もとひろ、安政6- 昭和3年)は、日本の華族。宮中顧問官、正二位勲二等公爵となる。九条尚忠の八男で、二条斉敬の養子となる。
明治23年9月から大正9年1月まで貴族院議員を務める。二条正麿男爵は義弟。基弘は歌や書に優れていたという。名は基弘、字は長畝、号を孤鶴と称した。「二条基弘」の朱方印と「長畝」の白方印が押印されている。
今尾景年(いまお・けいねん)は1845年(引化2年)京都生まれ、1924年(大正13年)京都にて没する。享年80歳。幼名猪三郎。名は永勧、字は子裕、別号に聊自楽居、養素斎、梅川東居(浮世絵)、鈴木百年(円山四条派)に師事した。
家業である友禅図案に従事しながら力をつけ、確かな写生にもとづく優美で流麗な四季草木花鳥を最も得意とした。
京都府画学校に出仕、やがて京都画壇の社交機関の委員長として重きをなす。円山四条派の伝統に立つ彼華麗かつ精微な描写で、卓抜した技量を発揮した。明治期の京都画壇を望月玉泉とともに支えた一人である。
花鳥画を得意とし博覧会で多数受賞する。京都画壇に新しい息吹を吹き込み、国内外から高い評価を得た。門下に木島桜谷など。帝室技芸員、文展審査員、帝国美術院会員。今尾景祥は今尾景年の養嗣子である。