小生が息子と同じ頃に着ていた和服。これをきて初釜に家内とお出かけ。
さて本日、紹介する作品はときおり気に入った作品があれば入手している児玉希望の作品です。
心情を踏まえた風景画を描く当方の好きな日本画家には福田豊四郎、奥村厚一、山元春挙、そして児玉希望がいます。本ブログではこれらの画家をたびたび作品と共に紹介していますが、本日は久方ぶりに児玉希望の作品の紹介です。
青寥々 児玉希望筆
奥田元宗鑑定シール有 絹本水墨着色 共箱二重箱 色紙
全体サイズ:縦1370*横630 画サイズ:縦270*横240
本作品の題名は共箱に「青寥々」とあり、まず「寥々」とは寂しいさま、空しいさま、静かなさま、「的々」とは明らかなさま、言ってみれば無欲恬淡てんたんとして、真正直、何のてらいも、わだかまりもない清々しい感じをを表します。
禅語(「碧巌録」第三十四則」出=「人品の清廉潔白なこと」)では「清寥々、白的々」と表現しています。
*なお「青」は「清」と意味は変わらないとされます。
インターネットからの記事では「清寥々、白的々」について下記の説明があります。
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- 『新版 禅学大辞典』:「すこぶる清浄潔白の意。寥寥・的的は清・白の意味を強めた形容語。寥寥は何ものも隠さない明るいさま。的的は何ものも留めない空寂の意」とある。【清寥寥白的的】
- 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』:「人品の澄明潔白なさま」とある。【清寥寥、白的的】
- 柴山全慶編『禅林句集』:「ねり上げた悟りの絶對的境地の形容」とある。【清寥寥白的的】
- 『禅語字彙』:「寥々は寂靜。的々は明亮の義。向上一色、無心の境界をいふ」とある。【清寥寥白的的】
- 沖本克己/竹貫元勝著『これで大丈夫禅語百科』:「人品の清廉潔白なこと。出典は『碧巌録』。『青』字は元『清』に作るが意味は変わらない。寥々は厳しく静かな様さまをいい、的々は明白な様をいう」とある。【青寥々白的々】
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この作品はこの題名からも茶掛けにも使えそうですね。題字カバーなどしっかりとしている誂えは気持ちの良いものです。
誂えも二重箱に収納されており、しっかりしています。
作品中の落款・印章、共箱に落款、書体は下記のとおりです。
児玉希望の作品は本ブログにて6作品目となりますが、本作品は書斎に飾って愉しんでいます。
*なお本作品には奥田元宗による鑑定シールが添付されています。そういう観点からもこの作品を入手した動機です。
奥田元宗は1931年(昭和6年)に上京し遠戚の児玉希望に師事、内弟子となりますが、1933年(昭和8年)に自身の絵画技術に疑義を持ったことを発端に児玉門下を出奔、その間文学、映画などに傾倒したものの、その後1935年(昭和10年)に師児玉に許されて再び門下に戻りますが、外弟子に降格されています。門下生ということから児玉希望の鑑定の多くを奥田元宗が行っています。
さて俗世間では「黴臭い」と近年嫌われている掛軸ですが、下衆な当方は好んで蒐集しています。とくに打ち捨てられているような状態の作品には情けが芽生えてついつい購入して、痛んだ作品を修理しています。
現在も多くの作品が修理すべく山積みされていますが、児玉希望の作品もその例外ではなく、下記の作品が打ち捨てられてようとしていました。
湖上行島 児玉希望筆
絹本着色軸装 軸先鹿骨 共箱
全体サイズ:縦1650*横510 画サイズ:縦910*横410
風袋がとれて無くなっていますね。よほど長い間飾りっぱなしであったのでしょう。日焼けした跡もあります。
作品自体には痛みはないようです。
折れと絹本の浮き・・。
作品自体はいい作品ですね。
共箱はなく合わせ箱です。
今なら染み抜きせずに、改装時の洗い程度できれいな作品になります。
「黴臭い」と掛軸を嫌う御仁は扱い方、表具の良し悪しの理解がないと思われます。今一度、日本の美術文化のひとつである掛軸を見直してみて欲しいものですね。