寺崎廣業の作品はある一定以上の出来のレベルの作品ではないと、蒐集作品が駄作のオンパレードになりかねません。本日紹介する作品はその分岐点にある作品でこれ以下の出来は蒐集対象にはできません。
寺崎廣業は明治43年(1910年)6月から8月まで横山大観、山岡米華と共に、上海、蘇州、西湖、長江、北京を遊学しています。その年の10月には「清国所見」と題して「夏の一日」、「長江の朝」、「長江の夕」を出品していますが、おそらく最初の本作品はこの頃の作、もしくはその遊学の経験をもとにとも描いたものでしょう。
長江之月 寺崎廣業筆 その111 明治43年頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横605*縦2040 画サイズ:横405*縦1140
表具の出来はこの時期の寺崎廣業の作品ならいい表具となっているはずです。
月の円の描き方などは修練の賜物なのでしょう。
波の描き方もうまいが、人の描き方はもう少し味があったほうがいいのだろう。
この頃の作風・・・。
流水の描き方にも品がある。
落款と印章から明治末年から大正の作品に相違ないでしょう。
前述のように良い表具仕立てになっています。
二重箱に収まってます。
表具の生地は面白い・・。
いい表具です。
軸先も象牙・・。
箱に押印されている白文朱楕円変形印「騰龍軒」は明治34年に小野湖山から画室にもらった名称であり、別号には「天籟山人」ももらい、画室の名称を宗山画塾がら天籟画塾に改称しています。作品中の印章は多くの作品に、長い期間に押印されています。とくに晩年の時期の作品に押印されています。
ついでにもう一作。こちらの作品中の印章は同じものです。
水墨山水図(瀧之図) 寺崎廣業筆 その112 大正6年(1917年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定箱
全体サイズ:横605*縦2040 画サイズ:横405*縦1140
よく見かける寺崎廣業の作品レベル。
この頃の寺崎廣業は多作すぎますね。過ぎたるは及ばざるごとし・・。
依頼されればすぐに描いたのでしょう。この頃の生活は派手であったようです。
箱は鑑定箱となります。こちらもよく鑑定してる鳥谷幡山。
箱書ともども違和感はありませんが、蒐集対象となるギリギリの出来。
寺崎廣業の作品には贋作や模倣作品、そして駄作も多いのですが、蒐集のレベルを下げないようにしないようにしています。
このあたりの出来が損益分岐点・・・。