夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

渓谷の猿 福田豊四郎筆 昭和13年頃 その163

2024-04-26 00:41:00 | 日本画
明日より帰郷となります。そこで同郷の画家の作品紹介ですが、本日紹介する作品は福田豊四郎では珍しく猿を描いた作品です。



渓谷の猿 福田豊四郎筆 昭和13年頃 その163
紙本着色額装 タトウ入+黄袋
F8号程度 額サイズ:縦643*横555 画サイズ:縦475*横385



本作品を描いたのは昭和13年頃と推察していますが、福田豊四郎の初期の頃の作品となります。



この頃の作品で状態の良い作品は珍しいと思います。しかも題材が面白い・・。福田豊四郎の郷里である秋田県北部には猿の生息地はないと思いますが・・・。



戦前の福田四郎の画歴は下記の通りです。

********************************

1930年(昭和5年)26歳の若さで第11回帝展の特選を受賞。同じ特選受賞者で新進気鋭の日本画家、小松均と吉岡堅二に出会っています。3人は1934年(昭和9年)「山樹社」を結成。当時の日本画壇を代表する作家たちの作品に不満を持ったことと、里見勝蔵、長谷川三郎、宮本三郎ら、当時前衛と呼ばれた若い洋画家たちとの交流が同社の結成に影響していたようです。

その後、日本画家・岩橋英遠らを加えた14名で「新日本画研究会」を結成。さらに同会を拡大する形で1938年(昭和13年)「新美術人協会」を発足、これは新日本画を志す有力団体として戦後1947年(昭和22年)まで続いています。



このようにして様々な団体を結成しながら日本画のモダニズムを推し進め、戦前の日本画革新運動の先導者として活躍しています。戦前の代表作《樹氷》(1937年、第1回新文展)は郷里の八幡平を描いた作品で、単に写実ではなく、洋画に通じるモダンなフォルムの樹氷と、旧来の日本画的な表現によって天空へ駆け抜ける鹿たちが対照的に描かれていています。

********************************

本作品は「新美術人協会」を発足した頃の作品と推定されますね。



ちょうどこの頃、1938年(昭和13年)陸軍従軍画家となり、吉岡堅二と共に満州、華北、華中へと赴いています。二人は中国について早々に大連で新作画展を開いており、また数ヶ月に及ぶ従軍行では多くのスケッチを残しています。1939年(昭和14年)陸軍美術協会にも早くから加入していますが、具体的に作品をもって活躍しだすのは太平洋戦争以降のことです。



福田豊四郎はこの時期にどこで猿を見たのだろうか? 郷里ではあまり猿の話を聞いたことはなく、あるとしたら京都での修行時代?



「生」に字を落款に記入したのはこの頃までか?  

*例外もありますが、「生」の字を落款に用いるには修行時代というのが通例です。



なかなか珍しい画題なのでしばらく展示室に飾っておきました。



まだまだ続く郷里出身の画家の作品蒐集・・・。帰郷でまたなんらかの作品と縁があるかもしれません。












最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。