夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

お気に入りの作品 月明天壇 福田豊四郎筆 その188

2024-11-21 00:01:00 | 日本画
毎日帰宅してからの日課が息子とのキャッチボールですが、昨夜も九州から日帰りでの出張帰宅後、玄関にてキャッチボール。玄関でキャッチボールができる家はなかなかないのでしょうが、飾っている骨董品類などに害のないように柔らかいボールを使用しているので、意外にグローブによるチャッチが難しい。



さて本日紹介はお気に入りの福田豊四郎の作品です。福田豊四郎の作品は主に地元の骨董店やたまに加島美術や思文閣の入札会にて入手しますが、一方でヤフーオークションでもまた数多く入手しています。以前は良き作品がたくさん出品されていたのですが、最近では供給される作品の不足でしょうか、出品される機会が大幅に減少しました。そんな状況下で本日の作品をヤフーオークションにておおよそ15万円で入手しました。かなり珍しい作品で、大きさも15号と大きく、出来も金銀の彩色を用いたいいものです。



お気に入りの作品 月明天壇 福田豊四郎筆 その188
紙本着色金泥額装 共シール 誂タトウ+黄袋
全体サイズ:縦763*横611 画サイズ:縦612*横460 P12号程度



福田豊四郎は1938年(昭和13年)に陸軍従軍画家として北京に行っており、その際にスケッチした北京天壇の作品が素描画集に掲載されています。



本作品はその際のスケッチをもとに描かれた作品と推定されますますが、落款から1941(昭和16年)頃と思われます。ただ1956年にアジア連帯文化使節の一員としてヨーロッパ、ソ連、中国に約3カ月間派遣された際にも訪れており、それを機会に描いたとも推定されます。



福田豊四郎の落款と印章は戦前は数多くの変遷を経ていますが、戦前から戦後はある程度固定されており、意外にこの印章使用の制作時期の幅が長く、時期を絞る判断は難しいので、早計にこの作品の制作時期については戦前か戦後かなども断定できません。



写真では難しいのです、雲は銀彩、天壇部分には金彩もあしらわれています。



福田豊四郎の素描集の画集に掲載されている作品は下記の作品です。



北京天壇は瑠璃瓦で葺かれた三層の丸屋根が蒼穹に映える祈年殿。故宮(紫禁城)と並ぶ北京のシンボルとされます。この独特の建築が建つ天壇は、明清代の皇帝が天に祈祷を行った巨大な祭祀施設です。地を治める皇帝が、天を治める天帝から天命を授かる神聖な場所とされます。

天壇は1420年、明の永楽帝が故宮の東南に造営したもので、故宮の4倍もの敷地に、主要な建築物が南北一直線上に並んでいます。南端にある圜丘壇は三層の円形石壇で、古来中国で最も重要とされる数字9の倍数の石の欄干や石板で構成されています。皇帝は毎年冬至に、石壇中央の丸い石板の上に立ち祈りを捧げました。ここは天に通じる大地の中心だったようです。北端に建つのが冒頭に紹介した祈年殿で、春節(旧正月)に皇帝が五穀豊穣を祈ったところ。祈年殿と圜丘壇とは丹陛橋と呼ばれる通路で結ばれ、途中に建つ歴代皇帝の位牌が安置された皇穹宇は、天に属するとされていました。また丹陛橋の西にあり、祭祀の際に皇帝が泊まり身を清めたという斎宮など、天壇には明朝以来の多くの建物が残されています。重要な国家儀式の空間として、一般の立ち入りが禁じられていた天壇も、現在は公園として公開されています。



額の誂えは下記のようになっています。



額の裏面には共シールが貼られています。



本作品の落款と印章は下記の写真のとおりです。

  

福田豊四郎の新発見の作品となりのでしょう。



伊東深水のジャカルタで描いた作品と並べて展示しています。同じように戦時中に従軍画家として赴き、その縁で同地に戦後に訪れて描いたという経緯のある画家の両作品です。


このようなことをきちんと調べて、比較鑑賞するのは蒐集する者の特権です。蒐集作品同士のキャッチボールということでしょうが、美術館の鑑賞や図集では決して行きつかない境地です。両作品ともP15号の作品で、飾ってみると大きさも十分で写真より迫力があります。






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