平成29年4月2日は、本ブログでお馴染みの明治期の日本画家である渡辺省亭の100回忌にあたります。これまで大きく取り上げられることのなかった省亭の展覧会(回顧展)が、加島美術にて開催されるようですが、渡辺省亭について詳しく解説が書かれているサイトも既にオープンしているとのことです。ちなみに加島美術からはときおりカタログが届きますが、注文すると売約済みが続き、現在のところ当方とはまだ残念ながら縁がありません。
渡辺省亭については本ブログでも本日の紹介で「その12」となります。
月下湖麗望図(仮題) 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1270*横500
「平成29年4月2日は、明治期の日本画家である渡辺省亭の100回忌にあたります。これを機に本展では、個人蔵による渡辺省亭の作品を集めた初の回顧展を開催します。
またこれにあわせて渡辺省亭の作品を所蔵する都内各美術館等でも所蔵作品を自館で展示する予定です。これにより東京都内で渡辺省亭の代表作が同時期に見ることができます。 印象派の画家たちにも愛された省亭の洒脱な作品の数々の魅力をお楽しみください。」とのことですので、非常に楽しみですね。
「渡辺省亭は非常にモダンで洒脱な画を描く花鳥画家で、日本のみならず海外でも人気がある。ただ、今は省亭のような非常に巧い作家よりも味わい深い画を描く作家の方が評価される時代。」というのが、「なんでも鑑定団」に出品された際の渡辺省亭への評価ですが、あらたに見直されるかもしれません。
海外で高く評価され、岡倉天心、フェノロサにも認めれたにもかかわらず、弟子もとらず、どこの団体にも属さず、画業に専念した画家です。
他の著名な画家達への評価も厳しく、その性格が災いしたことも日本での現在の低い評価に繋がった可能性もあります。下記のエピソードがその例かもしれません。
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言いたいことは歯に衣着せずに言え、大正2年(1913年)第7回文展に出品された竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂らの作品を、技法・技術面から画家の不勉強と指摘している。
例えば、今日名作とされる栖鳳の「絵になる最初」(京都市美術館蔵)を、「先ず評判の栖鳳を見ましたね、いけない、あれは駄目だ、此前の「あれ夕立に」か、あれもそんなに佳いとは思わなかったが、今のよりはずっとよかった、あの時丈が一寸足りないと思ったが、今のは又ひどい、第一着物がいけませんよ、どうも塗り損なひぢゃないかと思う、それでなければ衣文の線がもっと見えなけりゃならない、一体あの紺と云う色は日本絵の具にはないのだからね、きっとありゃ塗り損ひだよ、うまく行かないから濃い墨で塗りつぶす、其上に藍をかけると丁度あんな紺に見えます、私もよくやった覚があるが……ハッハッ、それにあの手が骨ばって、女の手は肉で包んでなけりゃね、栖鳳と云う人は動物は描けるが人物は描けない人らしい、顔は大いし髪が又ひどいし、髪は生際が一番でね、西洋画ならいいが日本画ぢゃ生際が出来なければ髪が描けるとは云はれない、それから上方ではどうか知らぬがあの中を障子にして、上下にキラキラの型紙のある……あれは東京では引出茶屋にしか有りません、キラキラの型紙と云う奴がまた一番安っぽいものでね……」と談じている。
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省亭の作品は当時の来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出したことも日本での評価の低い原因と言われています。メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、ライデン国立民族学博物館、ベルリン東洋美術館、ウィーン工芸美術館など、多くの国外美術館・博物館に省亭の作品が所蔵されているそうです。
*本作品は髪の黒い部分に補筆の跡があるようです。
師とした菊池容斎とは対照的に弟子を取らず(水野年方が1,2年入門しただけという)、親友と呼べる画家は本ブログでお馴染みの平福穂庵(平福百穂の父)と菅原白龍くらいで、一匹狼の立場を貫き、省亭は悠々自適な作画制作を楽しんだ後、日本橋浜町の自宅で68歳で生涯を終えました。
当方での蒐集品はたいした作品はありませんが、その作品からうかがわれるのは、全体に淡い色調で描かれ、そのこころもとなさが好みによっては評価が分かれるところでしょうね。本作品は美人がの部分が珍しく強い色調で描かれていますが、渡辺省亭には珍しいことのように思います。
上記の作品は「五位鷺」という参考作品で、本作品と同一印章が押印されています。渡辺省亭の「省亭」という印章はかなりの種類があることが解ってきました。現在整理中です。竹内栖鳳などは当方もない種類の印章がありますが、そこまでは多くないようです。
渡辺省亭の作品は真贋云々より、出来不出来のほうが重要な要素と思われ、残念ながら出来の悪い作品も多くあり、出来の良い作品を取捨選択することが肝要のようです。
思うに渡辺省亭の作品で出来のよい作品はそれほど多くないように思います。数%くらいしか見るべき作品はないと思います。色彩が淡すぎてぱっとしない作品が多くあり、このような作品は見るべき点がありません。
本ブログで数多く投稿されている寺崎廣業と同じく多作であり、たとえ真作でも出来の悪い作品が横行していることは否定できませんね。
*上記の印章を違うものと判断する人もおられるようですが、そこまで神経質になる必要はありません。印章は押す時期や紙や絹の材質によって異なるように見えるときもあります。神経質なコレクターほど反面いいものが集まらないのも事実です。
展示室に飾って見ました。手前は以前に紹介した「壷屋焼」の作品です。
前にも記述したとおり、金城次郎の銘や共箱のある作品より、作品自体は気に入っています。金城次郎も渡辺省亭も同じで、吟味して取捨選択する必要のある作品ばかり・・・。繰り返すようですが、金城次郎の銘や共箱にある作品は見るに値しません。
渡辺省亭については本ブログでも本日の紹介で「その12」となります。
月下湖麗望図(仮題) 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1270*横500
「平成29年4月2日は、明治期の日本画家である渡辺省亭の100回忌にあたります。これを機に本展では、個人蔵による渡辺省亭の作品を集めた初の回顧展を開催します。
またこれにあわせて渡辺省亭の作品を所蔵する都内各美術館等でも所蔵作品を自館で展示する予定です。これにより東京都内で渡辺省亭の代表作が同時期に見ることができます。 印象派の画家たちにも愛された省亭の洒脱な作品の数々の魅力をお楽しみください。」とのことですので、非常に楽しみですね。
「渡辺省亭は非常にモダンで洒脱な画を描く花鳥画家で、日本のみならず海外でも人気がある。ただ、今は省亭のような非常に巧い作家よりも味わい深い画を描く作家の方が評価される時代。」というのが、「なんでも鑑定団」に出品された際の渡辺省亭への評価ですが、あらたに見直されるかもしれません。
海外で高く評価され、岡倉天心、フェノロサにも認めれたにもかかわらず、弟子もとらず、どこの団体にも属さず、画業に専念した画家です。
他の著名な画家達への評価も厳しく、その性格が災いしたことも日本での現在の低い評価に繋がった可能性もあります。下記のエピソードがその例かもしれません。
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言いたいことは歯に衣着せずに言え、大正2年(1913年)第7回文展に出品された竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂らの作品を、技法・技術面から画家の不勉強と指摘している。
例えば、今日名作とされる栖鳳の「絵になる最初」(京都市美術館蔵)を、「先ず評判の栖鳳を見ましたね、いけない、あれは駄目だ、此前の「あれ夕立に」か、あれもそんなに佳いとは思わなかったが、今のよりはずっとよかった、あの時丈が一寸足りないと思ったが、今のは又ひどい、第一着物がいけませんよ、どうも塗り損なひぢゃないかと思う、それでなければ衣文の線がもっと見えなけりゃならない、一体あの紺と云う色は日本絵の具にはないのだからね、きっとありゃ塗り損ひだよ、うまく行かないから濃い墨で塗りつぶす、其上に藍をかけると丁度あんな紺に見えます、私もよくやった覚があるが……ハッハッ、それにあの手が骨ばって、女の手は肉で包んでなけりゃね、栖鳳と云う人は動物は描けるが人物は描けない人らしい、顔は大いし髪が又ひどいし、髪は生際が一番でね、西洋画ならいいが日本画ぢゃ生際が出来なければ髪が描けるとは云はれない、それから上方ではどうか知らぬがあの中を障子にして、上下にキラキラの型紙のある……あれは東京では引出茶屋にしか有りません、キラキラの型紙と云う奴がまた一番安っぽいものでね……」と談じている。
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省亭の作品は当時の来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出したことも日本での評価の低い原因と言われています。メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、ライデン国立民族学博物館、ベルリン東洋美術館、ウィーン工芸美術館など、多くの国外美術館・博物館に省亭の作品が所蔵されているそうです。
*本作品は髪の黒い部分に補筆の跡があるようです。
師とした菊池容斎とは対照的に弟子を取らず(水野年方が1,2年入門しただけという)、親友と呼べる画家は本ブログでお馴染みの平福穂庵(平福百穂の父)と菅原白龍くらいで、一匹狼の立場を貫き、省亭は悠々自適な作画制作を楽しんだ後、日本橋浜町の自宅で68歳で生涯を終えました。
当方での蒐集品はたいした作品はありませんが、その作品からうかがわれるのは、全体に淡い色調で描かれ、そのこころもとなさが好みによっては評価が分かれるところでしょうね。本作品は美人がの部分が珍しく強い色調で描かれていますが、渡辺省亭には珍しいことのように思います。
上記の作品は「五位鷺」という参考作品で、本作品と同一印章が押印されています。渡辺省亭の「省亭」という印章はかなりの種類があることが解ってきました。現在整理中です。竹内栖鳳などは当方もない種類の印章がありますが、そこまでは多くないようです。
渡辺省亭の作品は真贋云々より、出来不出来のほうが重要な要素と思われ、残念ながら出来の悪い作品も多くあり、出来の良い作品を取捨選択することが肝要のようです。
思うに渡辺省亭の作品で出来のよい作品はそれほど多くないように思います。数%くらいしか見るべき作品はないと思います。色彩が淡すぎてぱっとしない作品が多くあり、このような作品は見るべき点がありません。
本ブログで数多く投稿されている寺崎廣業と同じく多作であり、たとえ真作でも出来の悪い作品が横行していることは否定できませんね。
*上記の印章を違うものと判断する人もおられるようですが、そこまで神経質になる必要はありません。印章は押す時期や紙や絹の材質によって異なるように見えるときもあります。神経質なコレクターほど反面いいものが集まらないのも事実です。
展示室に飾って見ました。手前は以前に紹介した「壷屋焼」の作品です。
前にも記述したとおり、金城次郎の銘や共箱のある作品より、作品自体は気に入っています。金城次郎も渡辺省亭も同じで、吟味して取捨選択する必要のある作品ばかり・・・。繰り返すようですが、金城次郎の銘や共箱にある作品は見るに値しません。