中国では17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅しましたが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめました。これらを南京赤絵と称します。
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親孝行したいと思ったときには既に親は居ず・・という言葉がありますが、親に限らず大切な人を失った後に「ああしてあげればよかった。」とか「あんなふうに言わなくてもよかった」と後悔することが多いものですが、後悔することのないように日々努力するのが人としての日々の努めです。
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晩年、坂本に庵を構え、米櫃の米が少なくなると、地元の人々に絵を描いては米をわけてもらっていたことが、書状から判明しています。横井金谷の名声は、絵による蕪村というより、彼自身の山伏としての地位によるものでしょう。山伏の絵師が彼の真の姿です。
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落款も無く、共箱でもなく、氏素性は中途半端な作品かもしれませんが、息子の初節句祝いに購入した作品です。息子の初節句で購入したのは人形と鎧兜以外に、「鎧兜図」とこの「菖蒲図」です。なぜ「菖蒲図」を購入するか解らない?
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洋絵具を用いたので洋彩、または軟彩とも呼ばれる。(これに対し、五彩は、硬彩とよばれる。)この技法を用いたもののなかに古月軒と呼ばれるものがあり、これは宮廷画家などが絵付けをしたものといわれています。
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