Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

利いているか男の勘

2020-12-25 | マスメディア批評
一日中雨だった。朝も夜明け前だけはしばらく上がったが、それに遅れて短い距離しか走れなかった。それでも車は結構停まっていて、熱心に雨の中を傘をさしたりして常連さんが歩いていた。長めに走って濡れたくないので、週末に取り返す心算で短く切り上げた。足元が悪くて足に来た。

パン屋でも外で待たずに入れたので良かった。色々と月曜日までの分を購入して更にクリスマスプレゼントのヌードルを貰ったので白い手提げに一杯にしてトランクに隠していると、常連の親仁がサンタクロースみたいだなと。

それから肉屋に行って発注したものを引き取った。余分に干し肉とレヴァーのパスタートと牛肉薄切りを購入しておいた。週末には豚に飽きて青椒肉絲にしても良い。肉屋の再開は1月11日なので日持ちする物はそこまで楽しめる。

ローマからの生中継を聴いた。キリル・ペトレンコが夏のオープニングのプログラムの練習にサンタチェチーリア管弦楽団を振った。来年11月の東京公演で裏プログラムとして指揮する可能性が強い。最初のヴェーバーのホルンから特徴のある歌い込みをする楽団だなと思った。トリノの交響楽団ともミラノの座付楽団とも大分異なる。プロコフィエフのピアノ協奏曲一番もサイモンラトルが若い時にガヴリーロフとの共演でLP化していた曲だ。ピアノのレヴィットのいつもの音楽だが、さてこの曲の演奏としては放送ではとても評判が良かったが、日本公演で演奏したラフマニノフと比較してどうだろうかと思った。詳しく聴き直してみたい。そして最大の関心はシューベルトの大ハ長調交響曲だった。

様々な点を吟味しなければいけないのだが、この演奏会で終始感高い声で歌っていたペトレンコの頑張りも目立った。その最後に10秒ほどの沈黙が曲中のゲネラルパウゼ以上に印象深く、そしてなによりも演奏会前や後でのペトレンコが楽員にイタリア語で話していたことだ。オフで聞こえていただけであまり聞こえなかったが、結構喋り慣れていて驚いた。そうなるとどうしても我々が思うのは、「え~、イタリアにガールフレンドいるの」だ。勿論オペラや音楽用語でイタリア語は勉強しているだろうがそれとは違った。

そこから思い浮かぶのは、話題のローザ・フェオーラである。来年は五月のスペイン旅行のオイロ―パコンツェルトだけでなく、復活祭でも共演することになっている。既に「三部作」で共演していた。なんとなく思うだけなので、プライヴェートには関心が無いが、ただの男の勘である。

彼女の写真が載っているのが、先日のスカラ座からのガラ中継への文化欄の批評である。イタリアが古い劇場などでも早くオンラインストリーミング化を進めた背景には、ローマの政府がそのプラットホームの構築を進めたことがあるとしている。同時に1985年のアバド指揮ノーノ作「プロメテオ」の時とは変わって、その劇場のエピック劇場としての意味が変わってきているという事にある。今回のTV局の演出に関しては肯定的で、BR放送局などの批判とは異なる高尚なところでその創作を捉えていて、同時にそのスポンサー陣が示すようにデラックスさが売り物だったとしている。それは劇場が金満家の為に上演するというのではなくて、意匠としてのそれであって、実際にアルマーニ、ヴァレンティーノ、ドルツェガバーナなどの衣裳を着て、それを魅入る人の為にあるとしている。こういうのを読むとその内容が高級紙に相応しい文化欄のトップであり、国民総動員新聞の故吉田秀和や故柴田南雄の書く当時の朝日新聞の程度を比較することになる。



参照:
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
「ヤルヴィは一つの現象」 2018-05-13 | 文化一般
コメント
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