Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヘブライ訛りの節回し

2021-04-09 | 
音楽家ダニエル・バレンボイムに関する話題で賑わっていた。6月に訪日して、ピアニストとしてリサイタルを開くという事である。様々に興味深かった。平素は日本では人気が無いとされるが、その販促の仕方などは結構昔風のメディア主動のイメージ作りが更に強化されている。昨年のロックダウン中に録音などをしてそれが発売されているらしい。

バレンボイムを評価するのはとても難しく複雑である。様々な視点で捉えないとそのタレント像も浮かび上がらない。それでも一つだけ気が付いたことがある。ベルリンに来てからのその仕事ぶりは、態勢が変わって不安定だった座付楽団を再び首都の伝統ある劇場のそれにした功績は大きく、サイードとの企画と共に、現在の業界での地位やその権勢の源となっている。同時にその音楽には嘗ての神童ピアニストから天才指揮者とされたことの輝きは無い。

その原因が何となく分かった。それは氏のドイツ語能力にも表れている様に、やはり独墺音楽を演奏しても違和感があるという事に尽きる。そもそもそれほど違和感があるどころか、ピアニストとしても本格派として扱われていたのだが、ベルリンにおいてはなにか無理をしているような面が目立ってしっくりしていないのである。

子供の時のフルトヴェングラーと共演するというオファーがあって皆喜んだようなのだが、父親がユダヤ人としてそれは不味いと止めたという事を氏は何度も無念そうに語っている。その後このイスラエル人がドイツとの間で幾らかの齟齬を抱えたままになって仕舞ったことはそこに始まっているかもしれない。ドイツの市場も我々の気持ちもその齟齬を見逃さない。

それ故に座付管弦楽団を引き連れてヴィーンや東京などでは大きな演奏会を催してもドイツ国内では全く馴染みが無いのである。同様な状況はバイエルンの放送交響楽団にもあるのだが、国としては外貨を稼いでくれるこうした文化使節は喜ばしいに尽きるのだ。

バレンボイムの指揮もピアノも沢山の録音が手元にあって、カラヤンのそれより多いかもしれないぐらいで、それら以上にとても役に立っている。なんといっても英国のアウシュヴィッツの生き残りの女性が創立した室内管弦楽団とのEMI録音の数々はこの音楽家の代表的な業績だと思われる。その後でのシカゴ交響楽団を振ったシェーンベルクなどはこの音楽家の業績の超点ではあると思われるが、ロンドンでの仕事は原点であった。

日本でカルト的なレコード評論家の宇野功芳がセレナーデ二曲のアルバムのライナーノートでこの音楽家をロマンティストと呼んでそこで最上の姿が示されていると書いているが、ここでの評価以上に的確なものを知らない。英国音楽アルバムも勿論モーツァルトのピアノ協奏曲全集もこの種のものとして出色の出来である。

そしてそのどれもにもアングロサクソン風というよりもユダヤ風の音楽的な特徴が聞こえるのは、まさしく氏のドイツ語であれ何語でもあれ話す言葉のヘブライ訛りである ― なぜか小澤の英語にケチをつける日本人もバレンボイムの訛りには触れない。イスラエル人であるから当然なのだろうが、現在の若い指揮者シャニなどは上手い。その点がなによりもベルリンでは違和感を誘っているところだろう。音楽的な訛りはロシア人であろうが日本人であろうが中々取れないのだが、キリル・ペトレンコなどは殆どヘブライ語も出来ない様なのがその音楽的な特徴でもよく分かる。

朝は放射冷却で冷えた。森の中も摂氏4度ほどだった。それでも寒さは過ぎた。陽射しは強く、ショーツで走れた。短いコースの上りをやっと7分台に戻した。2017年以来かも知れない。但し下りて来て16分38秒掛かっていて、当時の15分52秒や15分30秒には及ばない。直線では時速17.1㎞を毎分193歩で達成しているので他の場所でもう少しスピードアップすればよい。心拍数は163しか上がっていないので計測不備だと思う。バンドが確り締められていなかったのだろう。



参照:
社会的距離感への不満 2020-09-01 | マスメディア批評
多重国籍の奨めと被選挙権 2017-03-15 | 歴史・時事 
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