二度寝して11時までベットにいた。バーデンバーデンからの中継で、来年はペトレンコ指揮でオペラが上演できると世界中の人が待ち構えていると語っていた。要するに五月の事は一切触れなかった。つまり中止になりましたとも言わなかった。そもそも広報術として、来年の事が重要で、五月の事などはさらさら言及する意味などない。祝日明けに何が出てくるか、様子を見てみよう。4月2日付けの更新には500人入場の座席表と新たなコロナ基準が新たに貼ってあることに気が付いた。そして5月6日からの公演の発券の可能性に言及してある。つまり聖金曜日の時点では準備をしていることが分かる。気が付いたのはマスクの始終着用だが、劇場が特製を8ユーロで売っているというのはOPマスク以上の不織布なのか?有り得るのは布で済ましてしまうという可能性である。
今後どうなるのか?祝日中ではあるが死亡者数が50人にまで落ちてきている。全国で少なくとも一回接種した人は12%を超えているので、本来ならばもう死ぬ人はそんなにいない筈だ。要するに50人ほどの死者は社会が許容できるだろう。そこで出てきたのが、ブリッジロックダウンで、四月に二三週間完全にロックダウンをすれば全て終わるという意見だ。既にアビテューア試験の中止も議論されてきたので、やって仕舞えば、脱出が大分早くなるだろう。夏にはマスクからも開放される唯一の方法だと思う。是非やって欲しい。
エクサンプロヴァンスからの中継を観た。ロート指揮のレシエクレ演奏のコンサートで監督のカプサンも共演していた。フランス産のプログラムもあるが、メディアの賞や噂のような良さを期待していたが、残念ながらなかった。やはりメムバーの質を維持するのも困難であり、形態としても容易ではないことが知れた。なるほどティートス・エンゲルが語るようにそうした楽団が欲しいというのは分かるが、たとえ興業としては成り立っても芸術的に程度を向上させていくのはとても大変な事であることが分かる。兎に角、多角カメラ切り替えは使えるが、なによりもアクセスが集中すると画質が落ちて行くぐらいならやめとけと言いたい。フランスによくある、アイデアだけは最高で実質壊れているコインロッカーのようなものだ。
カラヤンの誕生日で湧いていたことから1988年のシュピーゲル誌の記事を読んだ。特別驚く内容は無かったが、カラヤンのベルリンでの在任が議会で問題になっていたことを読んだ。権力者の取り巻きが税金の支援で賄っている仕事に売値を上乗せして中抜きしているという内容だ。そこで最終的には権力者にも莫大な利益が入ってくるのだが、現在のヴィーナーフィルハーモニカーの様に団体としては儲からないようになっている。
その記事で日本の話題も勿論入っていて、当時既にメディアに狂っているのは日本ぐらいで、南米やオーストラリアなどは端から当てにされていないと書いてある。ソニーとかのと関係の下敷きにあるものだ。エミール・チャカロフと言うブルガリア人指揮者を使おうといたことも載っていて、本人は1991年に若死しているので、その試みは殆ど気が付かなかった。
当時モルティエ―監督が彼らをマフィア連中と名指していて、そこに入っていなかった音楽家などが冷遇されていたとあり、アバドなども権力者の死後に180度立場が変わった指揮者のようだ。成程アーノンクールなどもモルティエ―監督下で初めてザルツブルクに登場している背後関係も分かる。そうした背後にやられたマフィオーゾな影はモルティエ時代にも未だ感じることは出来た。
参照:
»Sie zahlen für Herrn von Karajan . . .«, Spiegel Politik vom 27.3.1988
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
今後どうなるのか?祝日中ではあるが死亡者数が50人にまで落ちてきている。全国で少なくとも一回接種した人は12%を超えているので、本来ならばもう死ぬ人はそんなにいない筈だ。要するに50人ほどの死者は社会が許容できるだろう。そこで出てきたのが、ブリッジロックダウンで、四月に二三週間完全にロックダウンをすれば全て終わるという意見だ。既にアビテューア試験の中止も議論されてきたので、やって仕舞えば、脱出が大分早くなるだろう。夏にはマスクからも開放される唯一の方法だと思う。是非やって欲しい。
エクサンプロヴァンスからの中継を観た。ロート指揮のレシエクレ演奏のコンサートで監督のカプサンも共演していた。フランス産のプログラムもあるが、メディアの賞や噂のような良さを期待していたが、残念ながらなかった。やはりメムバーの質を維持するのも困難であり、形態としても容易ではないことが知れた。なるほどティートス・エンゲルが語るようにそうした楽団が欲しいというのは分かるが、たとえ興業としては成り立っても芸術的に程度を向上させていくのはとても大変な事であることが分かる。兎に角、多角カメラ切り替えは使えるが、なによりもアクセスが集中すると画質が落ちて行くぐらいならやめとけと言いたい。フランスによくある、アイデアだけは最高で実質壊れているコインロッカーのようなものだ。
カラヤンの誕生日で湧いていたことから1988年のシュピーゲル誌の記事を読んだ。特別驚く内容は無かったが、カラヤンのベルリンでの在任が議会で問題になっていたことを読んだ。権力者の取り巻きが税金の支援で賄っている仕事に売値を上乗せして中抜きしているという内容だ。そこで最終的には権力者にも莫大な利益が入ってくるのだが、現在のヴィーナーフィルハーモニカーの様に団体としては儲からないようになっている。
その記事で日本の話題も勿論入っていて、当時既にメディアに狂っているのは日本ぐらいで、南米やオーストラリアなどは端から当てにされていないと書いてある。ソニーとかのと関係の下敷きにあるものだ。エミール・チャカロフと言うブルガリア人指揮者を使おうといたことも載っていて、本人は1991年に若死しているので、その試みは殆ど気が付かなかった。
当時モルティエ―監督が彼らをマフィア連中と名指していて、そこに入っていなかった音楽家などが冷遇されていたとあり、アバドなども権力者の死後に180度立場が変わった指揮者のようだ。成程アーノンクールなどもモルティエ―監督下で初めてザルツブルクに登場している背後関係も分かる。そうした背後にやられたマフィオーゾな影はモルティエ時代にも未だ感じることは出来た。
参照:
»Sie zahlen für Herrn von Karajan . . .«, Spiegel Politik vom 27.3.1988
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦