Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

抱かない間違った野心

2021-04-28 | 
フランクフルターアルゲマイネ新聞のクリスタ・ルートヴィッヒ訃報を読む。どこの訃報記事も同じような内容が重なるのだが、なんとなくその視点に共通点も見付かる。

なぜ彼女がプリマドンナで無かったのかに関しての興味がそれだ。ここではその若い頃の判断と声の特徴に言及されている。一つはその声色は決してとてもバランスが取れた声では無かったという限定である。フランクフルトやダルムシュタット時には「ドンカルロス」のエボリ姫や「ヴォツェック」のマリーを歌ったというが、自身その高声が凸凹道だったと述懐している。

因みにこの新聞は2018年に大きなインタヴューをしていて、その内容は他紙や放送局でも今回引用されている。その時のインタヴューアーがこれを書いているケスティング氏である。

それでベーム博士にダルムシュタットで請われてヴィーンに移ってからは、それ故にケルビーノだけを歌う様にアドヴァイスされたようだ。それもあって二年後にはタイムズ紙でブリギッテ・ニルソンと並んで欧州の歌姫とリストアップされたという。そして1959年にビングのもとでメトデヴュー、しかしその二年間で12回のみケルビーノでしか登場しなかった。

その後「影の無い女」でのバッラクの妻、バイロイトでの更なるソプラノへの依頼があり、バーンスタイン指揮でのイゾルデは録音オーディションまで始まって、「間違った野心」として固辞した。そのバーンスタインは、彼女がブラームスを歌えば最高、シュトラウスで最高と、ヴァークナーでまた最高、自作の「キャンディード」で「兎に角、最高の歌手」と語った。

その裏では、レオノーレを歌った後で声が枯れて医者の世話になったという。東京の日生劇場のこけら落としの後もそうだったのだろう。

ここでは代表的録音として、ブラームスの「アルトラプソディ」、「ツィゴイナーリーダー」の情熱的で、哀愁に富み、豪放にそして優しくの声の変化を、同じくマーラー「亡き子を偲ぶ」、録音の古典ヴンダーリッヒとの「大地の歌」。

シュヴァルツコップと組んでのヴォルフの歌曲「イタリア歌集」においても意識的なニュアンスを避けて成功している。そして、著書にあるが、あまり知られていなかったのは1971年の声帯裂傷の不幸で、それを繰り返した。

しかしザルツブルクの最終舞台1993年8月9日のお別れ公演では聴衆は誰もお別れとは思まなかったぐらいで、済々としていたと、シュトラウスの「モルゲン」というプログラムだった。これは既に先日言及したように、ここでも若い時の声の膨らみこそなかったが、決してそういう惜別を感じされるものでなかったと評してあり、なるほどそうだったと自分自身の記憶を振り返る。実際にクリスタ・ルートヴィッヒ自身、これで毎日声の健康を考える必要が無くなったと解放されたコメントを残しているようだ。

引退後はカンヌに引っ越して、その後ヴィーンに戻っていて、93歳で亡くなっている。個人的には93年以降もザルツブルクで見かけたが、シュヴァルツコップの様にその顔立ちは直ぐに分かっても目立つプリマドンナでは無かったことはよく覚えている。



参照:
Sie war einfach die Beste, JÜRGEN KESTING, FAZ vom 25.04.2021
あれから深々と三十年 2021-04-26 | 女
歴史に残るようなこと 2019-09-17 | 文化一般
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