先日購入した7枚のCDの6枚の音出しが済んだ。なによりも気が付いたのは久しぶりにCDプレーヤーやLPなどから流れる音響の快さだ。それは192kHzのハイレゾ音響のHiFi感には及ばないが、如何にもオーディオファンや所謂メディア音楽オタクには喜ばれそうなモドキな響きが良い。勿論そこに録音再生芸術の美的な美しさがあって、その事なしには誰もオーディオやメディアを購入することなどは無い。逆にPCオーディオで生放送や生中継のハイレゾダウンロードなどを繰り返しているとそのような趣味の世界からは遠ざかるばかりで、リスニングルームでの偽音楽体験とは尚更遠ざかることになる。
実際の副調節の音はマイクロフォンからその場の音響をモニターするだけなので本当にHiFiなのだが、そうした夢の世界の音とはまた遠い。とても即物的な世界である。そこに初めて聴衆もいないところで音楽美が宿る。
言及したベルリンのイエスキリスト教会でのジュリーニ指揮の録音も素晴らしかったが、アバド指揮のマーラーの交響曲三番はまた別な意味でとても興味深かった。音響は1980年の黄金のザールのようだが綺麗に捉えられていて美的なのだ。それゆえに同シリーズのシカゴでの録音に比較して、音楽的にもあまりにも鮮烈に演奏しようとしていて、現在のマーラー解釈からするととても時代を感じる。要するに音楽のセマンティクな意味が欠落していて、演奏解釈として最早通じない。おかしなことにカラヤンが振ったマーラーの交響曲とそれ程遠くないところに位置する。但しエサペッカサロネンなどが指揮する明らかに音楽のイデオムを無視したものとは全く異なる。ショルティー指揮などよりも即物的でも、より中欧のイデオムに根差した音響となっている。
なるほどアバドは最晩年に「千人の交響曲」を振ることを拒否したのだが、彼の譜読みからすれば最早何もそこに引き出す内容も音楽も無かったのはこうして容易に理解できるようになった。こちらが勝手に無いもの強請りをしただけだった。そのお蔭で死の年にもバーデンバーデンでモーツァルトを振りに来たが行かなかった。「レクイエム」の指揮にも失望していたからだった。
20世紀に活躍したメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィッヒが亡くなったようだ。存命とは知らなかった。最後に聴いたのがザルツブルク音楽祭最終公演だった。1993年8月9日月曜日だった。それから三十年ほど経過している。その時に余り券があったので誘ったグラーツのおばあさんは生きているのかどうか。お礼に軽食を御馳走になった。確かピーターセラーズの講演で知り合ったのだと思う。オペラ歌手が脱ぐことは、「その人に覚悟があれば構わない」と話していた。今から考えると久しぶりに若い男とデートとなったので興奮していたのだなと思う。こちらはその話しぶりに「グラーツの人でしょ」とベームとの共通点を見つけたと嬉しくなっていた。
当夜のプログラムに纏めてあったように、音楽祭には「魔笛」の第二の侍女としてまた「アリアドネ」の作曲家として1955年にデビューしている。調べてみると前者はフルトヴェングラー指揮のプロダクションとの歌手の重なりがある。後者はベーム指揮でデラカーザとショックが歌っている。
そして最後の出場はシューマン、マーラー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスとそのものこの歌手のメインレパートリーであろう。マーラーはその年に二番の交響曲を歌ったのを聴いている。流石に若い時ほどの声に精彩は無かったと思うが、まだまだ歌えていたのは間違いが無い。
個人的には、ベーム博士の晩年にブラームスのアルトラプソディーを歌っていたのが印象に残っている。活躍時期もあってか彼女の深々とした声はまさにアルトだった。勿論様々な録音ではやはりベーム指揮の「コシファンテュッテ」のドラベラは外せない。全盛期は1960年代だったのではなかろうか。それを考えるとオペラこそは記憶していないが、日本公演でも日生劇場の杮落しのレオノーレぐらいでしか歌っていないのかもしれない。
Christa Ludwig bei Alfredissimo
Das Lied von der Erde: VI. Der Abschied, "Die Sonne scheidet hinter dem Gebirge" (Contralto)
参照:
公共放送の義務と主張l 2005-12-24 | マスメディア批評
詐欺の前に凍りつく聴衆l 2012-08-19 | 文化一般
実際の副調節の音はマイクロフォンからその場の音響をモニターするだけなので本当にHiFiなのだが、そうした夢の世界の音とはまた遠い。とても即物的な世界である。そこに初めて聴衆もいないところで音楽美が宿る。
言及したベルリンのイエスキリスト教会でのジュリーニ指揮の録音も素晴らしかったが、アバド指揮のマーラーの交響曲三番はまた別な意味でとても興味深かった。音響は1980年の黄金のザールのようだが綺麗に捉えられていて美的なのだ。それゆえに同シリーズのシカゴでの録音に比較して、音楽的にもあまりにも鮮烈に演奏しようとしていて、現在のマーラー解釈からするととても時代を感じる。要するに音楽のセマンティクな意味が欠落していて、演奏解釈として最早通じない。おかしなことにカラヤンが振ったマーラーの交響曲とそれ程遠くないところに位置する。但しエサペッカサロネンなどが指揮する明らかに音楽のイデオムを無視したものとは全く異なる。ショルティー指揮などよりも即物的でも、より中欧のイデオムに根差した音響となっている。
なるほどアバドは最晩年に「千人の交響曲」を振ることを拒否したのだが、彼の譜読みからすれば最早何もそこに引き出す内容も音楽も無かったのはこうして容易に理解できるようになった。こちらが勝手に無いもの強請りをしただけだった。そのお蔭で死の年にもバーデンバーデンでモーツァルトを振りに来たが行かなかった。「レクイエム」の指揮にも失望していたからだった。
20世紀に活躍したメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィッヒが亡くなったようだ。存命とは知らなかった。最後に聴いたのがザルツブルク音楽祭最終公演だった。1993年8月9日月曜日だった。それから三十年ほど経過している。その時に余り券があったので誘ったグラーツのおばあさんは生きているのかどうか。お礼に軽食を御馳走になった。確かピーターセラーズの講演で知り合ったのだと思う。オペラ歌手が脱ぐことは、「その人に覚悟があれば構わない」と話していた。今から考えると久しぶりに若い男とデートとなったので興奮していたのだなと思う。こちらはその話しぶりに「グラーツの人でしょ」とベームとの共通点を見つけたと嬉しくなっていた。
当夜のプログラムに纏めてあったように、音楽祭には「魔笛」の第二の侍女としてまた「アリアドネ」の作曲家として1955年にデビューしている。調べてみると前者はフルトヴェングラー指揮のプロダクションとの歌手の重なりがある。後者はベーム指揮でデラカーザとショックが歌っている。
そして最後の出場はシューマン、マーラー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスとそのものこの歌手のメインレパートリーであろう。マーラーはその年に二番の交響曲を歌ったのを聴いている。流石に若い時ほどの声に精彩は無かったと思うが、まだまだ歌えていたのは間違いが無い。
個人的には、ベーム博士の晩年にブラームスのアルトラプソディーを歌っていたのが印象に残っている。活躍時期もあってか彼女の深々とした声はまさにアルトだった。勿論様々な録音ではやはりベーム指揮の「コシファンテュッテ」のドラベラは外せない。全盛期は1960年代だったのではなかろうか。それを考えるとオペラこそは記憶していないが、日本公演でも日生劇場の杮落しのレオノーレぐらいでしか歌っていないのかもしれない。
Christa Ludwig bei Alfredissimo
Das Lied von der Erde: VI. Der Abschied, "Die Sonne scheidet hinter dem Gebirge" (Contralto)
参照:
公共放送の義務と主張l 2005-12-24 | マスメディア批評
詐欺の前に凍りつく聴衆l 2012-08-19 | 文化一般