(承前)金曜日のベルリンからの中継を流した。前半一曲目のベルントアロイス・ツィムマーマンの「フォトプトーシス」が大変評判だった。キリル・ペトレンコはミュンヘンでの任期においても早めの2014年に「ディゾルダーテン」で大成功したように、好きな作曲家の一人に違いない。その時に学んだものが大きかったとは予てから語っているが、今回のインタヴューはまだ観ていない。
それでも2018年に出版された作曲家の娘さんが纏めたcon tutta forzaに多くの証言などが挙げられていて、ペトレンコの名前も演奏歴としてまた索引として載っているようにこの書籍を献呈されている筈だ。詳しくは改めて紹介したいが、先ず興味を持つのは、そこで引用されている楽曲で、第九、パルジファル、法悦の詩、(ピーターグライムス)などはペトレンコの既に披露したレパートリーでもある。それではなぜここでこれらの曲を引用しているのか。
ツィムマーマンの楽曲のモンタージュ手法の意味合いを考える前に、ノイエズルヒャー新聞のティーテュス・エンゲルへの紹介記事に戻る。それは音楽劇場の表現の可能性としての複雑さは、従来の「ボリスゴドノフ」などの楽曲上演での問題点を他の楽曲によって補ったりの結果として生じている。新聞が書くように昨年の「ジュディッタ」の指揮に飛び入りできるのはエンゲル以外になかったのは明白で、一体最初予定されていた指揮者の病状はと今では余計に気になる所でもある。
しかしそうした複雑性によって示されたのは必ずしも演出家の意図だけではなくて、レハールの楽曲もしくは音楽やその創作者像などが浮き彫りにしたという事であり、その通り同時代の作曲家との共通点と差異を明確にしていたと書かれる。勿論それだけに終わらず、演出のコンセプトからその一夜の劇場空間で表現されたことは、楽曲を取り巻く世界までを垣間見せてくれたことで、そこに音楽劇場の意味がある。
リヨンにおいては、観逃したのだが、バルトークの「青髭公」を二種類の演出によって一夜に上演するという方法で、最初に性的にそして心理的な劇としたとある。それを振り分けたのがエンゲルの腕であり、指揮者と演出家の協調作業という事になる。
その為には、演出家と指揮者の信頼関係に基づいた協調作業こそがというのはまさしくモルティエ―博士の遺稿集「情熱のドラマテュルギー」にある通りだ。そこには残念ながらエンゲルの名前は登場しないが ― 弟子のドルニーも載っていない反面、マルターラーについては沢山の記述がある ―、上演作品録として2011年のマドリッドのレアル劇場でのユラドの新曲にエンゲルが大劇場デビューしたものが記載されている。道理で時期が時期なので私は全く気が付かなかった。
そしてエンゲルは、自分自身は演出に同一化出来る人だと語っていて興味深い。これはペトレンコがなぜモルティエ―とはあまりしっくりこないようにしか見えないのと対照的だ。それどころか、エンゲル自身が初演魔のような現代音楽分野での限定的な活動にならないように、様々な分野でクロスオーヴァーな活動をしているというのも、若干フランスのフランソワサヴィエー・ロートとも古楽分野の活動でもよく似ている。(続く)
参照:
«Ich bin jemand, der sich gern mit einer Inszenierung identifiziert», Michael Stallknecht, NZZ vom 28.12.2021
ブラジル遠征旅行の土産話し 2020-02-16 | 文化一般
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
それでも2018年に出版された作曲家の娘さんが纏めたcon tutta forzaに多くの証言などが挙げられていて、ペトレンコの名前も演奏歴としてまた索引として載っているようにこの書籍を献呈されている筈だ。詳しくは改めて紹介したいが、先ず興味を持つのは、そこで引用されている楽曲で、第九、パルジファル、法悦の詩、(ピーターグライムス)などはペトレンコの既に披露したレパートリーでもある。それではなぜここでこれらの曲を引用しているのか。
ツィムマーマンの楽曲のモンタージュ手法の意味合いを考える前に、ノイエズルヒャー新聞のティーテュス・エンゲルへの紹介記事に戻る。それは音楽劇場の表現の可能性としての複雑さは、従来の「ボリスゴドノフ」などの楽曲上演での問題点を他の楽曲によって補ったりの結果として生じている。新聞が書くように昨年の「ジュディッタ」の指揮に飛び入りできるのはエンゲル以外になかったのは明白で、一体最初予定されていた指揮者の病状はと今では余計に気になる所でもある。
しかしそうした複雑性によって示されたのは必ずしも演出家の意図だけではなくて、レハールの楽曲もしくは音楽やその創作者像などが浮き彫りにしたという事であり、その通り同時代の作曲家との共通点と差異を明確にしていたと書かれる。勿論それだけに終わらず、演出のコンセプトからその一夜の劇場空間で表現されたことは、楽曲を取り巻く世界までを垣間見せてくれたことで、そこに音楽劇場の意味がある。
リヨンにおいては、観逃したのだが、バルトークの「青髭公」を二種類の演出によって一夜に上演するという方法で、最初に性的にそして心理的な劇としたとある。それを振り分けたのがエンゲルの腕であり、指揮者と演出家の協調作業という事になる。
その為には、演出家と指揮者の信頼関係に基づいた協調作業こそがというのはまさしくモルティエ―博士の遺稿集「情熱のドラマテュルギー」にある通りだ。そこには残念ながらエンゲルの名前は登場しないが ― 弟子のドルニーも載っていない反面、マルターラーについては沢山の記述がある ―、上演作品録として2011年のマドリッドのレアル劇場でのユラドの新曲にエンゲルが大劇場デビューしたものが記載されている。道理で時期が時期なので私は全く気が付かなかった。
そしてエンゲルは、自分自身は演出に同一化出来る人だと語っていて興味深い。これはペトレンコがなぜモルティエ―とはあまりしっくりこないようにしか見えないのと対照的だ。それどころか、エンゲル自身が初演魔のような現代音楽分野での限定的な活動にならないように、様々な分野でクロスオーヴァーな活動をしているというのも、若干フランスのフランソワサヴィエー・ロートとも古楽分野の活動でもよく似ている。(続く)
参照:
«Ich bin jemand, der sich gern mit einer Inszenierung identifiziert», Michael Stallknecht, NZZ vom 28.12.2021
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