Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

南極探検での蓄音機

2022-02-14 | 文化一般
先日演出家のハンス・ノイエンフェルツが亡くなった。この演出家が最も有名になったのはベルリンでの「イドメネオ」演出でモハメードの切り取られた首を舞台に出すことから公演を中止にされたことであった。演出自体が政治性を帯びていたとも言える。しかし個人的にはスルンカ作曲「サウスポール」での手堅い仕事ぶりだった。演出家も短い期間パリでマックス・エルンストの助手をしていたことからその美術的なセンスも語られる。

南極のアムンセンとスコットの極点一番乗りの物語においてもテントの内側の骨の形を利用した舞台作りなどにも、その舞台上での人の配置にも手堅さを見せていた。音楽監督キリル・ペトレンコ指揮の唯一の世界初演だったことでも明記されよう。作品も題材的にも作曲技法上もまだまだ再演されると思われるので、録画等もいづれ発売されるであろう。

舞台上での音楽もオクサーナ・リニヴが振っていて、アシスタントはデンマークの歌劇場の監督になったマリー・ジャコー が務めていた。

同じころ亡くなった作曲家のジョージ・クラムも若干新しい素材を使っていたかもしれないがネオロマンティシズムとして保守的な作曲家であったともいえるだろう。だから売れやすいのだが、創作として残っていくかどうかは疑わしい。そこが演出家などの再現芸術家と創作家との大きな相違である。

足の痛風紛いの状態は相変わらずだが、内履きを夏のサンダル型に変えて歩きやすくなった。最初は腫れていなかったのだが、二度目の走りのあと12時間ぐらいで腫れてきた。二晩目は寝室のヒーターを活かしたまま掛け布団を薄くしたので足に負担がかからなかったのでまずまずの睡眠となった。腫れは可也進んで痒くなってきた。痛風は風が吹いても痛いというイメージで可也敏感なものかと思っていたが、なにも足を痛めた時と状況は変わらない。更に親指だけでなくて人差し指も少し違和感が出てきた。痛みのピークアウトはしたようで、写真を撮ってどのようになっていくか観察したい。

確かに痛風は栄養だけでなくて、激しい運動の尿酸によっても生じるというから明らかにそれだとと思う。気を付けて水分も取っていたのだがビールと同じぐらいの量だったかもしれない。先ずは普通に歩行が出来るようになるのはどれ程かかるのか、また運動を再開出来そうなのかが目星になる。最初に走った水曜日のあとから違和感があって金曜日に走ったのがいけなかった。膝の関節なども疲れていた。

土曜日のベルリンからの生中継は、やはりスーク作品が面白かった。この二種類のプログラムは其の儘ヴィーンで来週演奏されるが、最初の「フォトプトーシス」と「円熟」の間に三曲が挟まれる形で、一晩目と二晩目がブラームスでブリッジを架けている ― 実は勘違いしていて、ヴィーンでは初日火曜日がシフの登場で、ブラームスがブリッジになっていない。そうなるとこの二日間の繋がりがまた異なる。ブラームスの二番でフィナーレとなり、それも注目される。最初の曲に比較しても最後の曲は中々鷲掴みにするのは難しい。更に管弦楽がとても密で、昨夏に「夏のメルェン」を生で聴いて、これは中々音だけ聴いていてもついていけないと思った。ペトレンコが夏のツアーにシュミットの交響曲四番も持って出たが、それなどはスカスカに見えるほどの管弦楽である。聴こうとすると睡魔に襲われるのはそういう理由である。既に三曲の録音が出来たことで、年内に室内楽なども込みでCD化されて発売されそうである。ハイレゾのダウンロードが出来るなら欲しい。



参照:
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
引用とかモンタージュとか 2022-02-02 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする