Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

歴史的な思い出話し

2022-02-03 | マスメディア批評
ノイエズルヒャ―新聞にウラディミール・ユロウスキーのインタヴューが載っている。ティテュス・エンゲルに続く記事である。書いているのはペトレンコの日本デビューに同行したマルコ・フライである。

ミュンヘンの新音楽監督としての仕事ぶりについて、興味深い話しが書かれている。一つは契約時に最初の一年は様子見として、二年目からは本格的にという事で保留となり、最終的には合意したと語る。ある意味最初のシーズンへの言い訳にもなっている。具体的な「鼻」から「ルドンの悪魔」への渡しには触れてはいないのだが、管弦楽団がどのようなスタイルでも適合することが求められているとしている。

そしてあくまでも指揮者としては、父親と並んで重要な先生であったロジェストヴィンスキーの言葉を挙げて、モットーとして繰り返す。つまり、「楽譜に書いてあることに関しては全て君たちの責任で、楽譜間に書いてあることが私の仕事」を例に挙げて、管弦楽団の自由とそして締めることのバランスが最重要であると発言している。

その具体例としてクラウディオ・アバドで、もう一人はハイティンクとしている。そしてあくまでも準備では遊びのスペースを置いておいて、その場での創造とかインスプレーションとかの意を述べている。成程アバドに関してはそれはよく分かる話だと思うが、恐らくユロウスキ-ならばハイティンクの隅まで追い込めない所に共通点を感じる。

そういうことを自覚しているからこその最初の言い訳であったとも思うのだが、確かに2028年まで契約を延長したベルリンの放送交響楽団との演奏にはそうした趣があって、そのような雰囲気をミュンヘンの劇場で醸し出せるかどうか。やはりこの話からすれば劇場でも上手くいくときはアバドのようにとなるのだが、それだけ準備も整っていなければ駄目だろう。アバドにおける当時スカラ座でアシスタントだったシャイーの立場に女流のシュレキーテがあると思うのだが、「鼻」においてはそこ迄の成果は確認できなかった。

兎に角毎度のことながら話しが上手過ぎる。昔話が歴史的な意味を持つのは名門の特権かもしれないが、本当に話しているようなことが出来ているのかどうかがこちらは気になるのである。その為の猶予期間と理解している。

なにか指揮者ばかりのことを扱っているが本当は何もそんなものを専門にはしたくはない。しかし放送番組などを紹介していると、これまた昨年日本デビューしたフランスの指揮者が呟きをリツイートして呉れた。ここでも扱ったザルツブルク音楽祭のイザベル・ユペールの出るジャンヌダルクでSWR放饗を指揮するマクシム・パスカルである。金曜日に放送があるのでその紹介である。昨年のザルツブルクでの録音なので今年の販宣に重要な情報だった。勿論そのお手並み拝聴での関心だ。YouTubeなどを聴くと一寸危うい感じもしている。そもそもSWRの地元でしっかり活動していないのが怪しい。怪しい奴らばかりである。
Grisey : Les Chants de l'amour • Le Balcon


バーデンヴュルテムベルク州知事クレッチマンが、コロナ禍解放なんて復活祭過ぎで、四月中旬からと気炎を上げた。確かカトリックの人で余計に教会歴に拘る。こちらは二月中には目星をつけて、少なくとも四月からは通常通りでなければバーデンバーデンの復活祭が影響を受ける。先ず定員が半分になれば早めに再配券しなければいけなくなるのである。



参照:
So führt man, ohne zu herrschen, Marco Frei, München/Madrid, NZZ vom 1.2.2022
引用とかモンタージュとか 2022-02-02 | マスメディア批評
キャリアを目指す指揮 2022-02-01 | マスメディア批評
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