Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

歴史のポリフォニー今日

2022-02-23 | 文化一般
予想通りの足の回復だ。細い靴が履けた。つまり腫れは治まった。しかし歩くと肝心の肉球が当たる感じで違和感が強い。その辺りは張っていた皮が痛んでむず痒い。水虫症状などに近い。あれだけ腫れていたのだから当然かもしれない。

これで少なくとも普通に歩いて出かけるのは問題がない。問題は走れるかどうかで、無理して走って再び腫れるのが怖い。様子を見ながらのリハビリとなる。既に血圧が上がっているような感じで、このままであると全身症状が悪くなって病気になりそうだ。

3キロほど一時間ほどワイン山から裏の森の道の無いところを歩いた。最初は足の当たりが悪かったが、歩いているうちに温まって登りは爪先迄力が入るようになった。但し走れるほどには解れていない。歩いても降りになると親指の肉球のところが痛痒くなる。痛みより痒みで傷口が癒えてきているのだろうが、これが無くならないと走るとぶり返すと思う。

シュトッツガルトの劇場は既に2Gになっている。入場者を半数にしているからだろう。バーデンバーデンの祝祭劇場が未だにプ2Gプラスになっているのと差である。それも3月4日で全て統一される筈だ。

「ボリス」再演に出かけるのは3月5日の土曜日なので未だ一週間以上のお勉強の時間がある。しかし思ったより手強いの気が付いた。既にムソルグスキー作品自体の多層性に加えて、そこに小話が六つと「歴史のポリフォニー」として曲が付けられていて、そのものベルント・アロイスツィムマーマン作曲「ディゾルダーテン」以上に複雑になっている。ドラマテュルギー的には音楽劇場体験でしかないのだが枝葉迄を吟味するとなるとどこまで手に負えるか分からなくなってきた。民謡の利用の本歌取りも指揮者のエンゲルはルネッサンスフランドル派の天才作曲家ジャヌカン・デュプレをモデルにするとしている。

なるほどティテュース・エンゲルがなぜ同じシーズン前半にミュンヘンで大成功の「死の街」を指揮したキリル・ペトレンコと並び称されたかがこれで分かるのだが、その成果を本当に評価できた専門家がどれぐらいいたのかと訝る。資料を見ると2020年2月2日の初日のあと3月までの公演は何とか実行されたようだが、更に再演されることで更なる評価に繋がると思われる。

それ以上にこのプロジェクトへの評価は委嘱作品を含めての評価となると到底そこいらのオペラ評論家では手に負えなくなっているに違いない。少なくともヴィデオで聴く限りは狙い通りの作曲となっているようだ。この辺りもライヴで確認しないと楽譜も何もないところでは評価しにくい。

このプログラム冊子において、また西ウクライナの指揮者オクサーナ・リニヴが出身のリヴィヴに先週アメリカ大使館などが移動したそのレムブルクのヤノヴィスカの強制収容所について言及されている。そこで扱われた音楽としてタンゴが前述のインテルメッツォとして使われているようだ。元々の史実であるゴドノフの新しいツァーの物語に、そのムソルグスキーの不完全なドラマテュルギーを埋めるように、ソヴィエト時世下での「セカンドハンズの時代」のエピソードがそこに付け加えられている。

このような音楽劇場作品と公演を今日一体どのようにエンターテインメントとして受け止められるだろうか。そのようなものではないからこその音楽劇場なのである。こうした音楽芸術や舞台芸術が現在にも活きるというのはそういうことを指すのである。



参照:
単純化しない重ね方 2022-02-21 | 音
いざシュトッツガルトへ 2022-02-11 | 文化一般
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