大晦日には最後の荷が届いた。水曜日の夜中に発注したトレイルランニングシューズSertig II LowのサイズEU42 である。ヴェトナム製のフェアートレード商品であるが、製品はざっと見たところ完璧な品質である。スイスのライケル社をマムート社が買い取って、靴を出している。トレイルランニングシューズは最初の頃から同じ流れを購入しているのでその製品管理の向上を確認していた。
足入れをする。先ず紐がストッパーのつかないもので通常に蝶結びしなければいけない。専用ストッパも使いやすかったが、そこから切れて結び直すなどの不都合は一年ぐらいであった。だからどちらでもいい。
しかし踵の引っ張り紐がないのは足入れを面倒にしている。その分自分でしっかり緩めて絞めろということだろう。同時に製造の仕事量の増加やバラツキの防いでいる。それはフェアートレードならば価格に跳ね返るべきものだ。
購入価格が売れにくいカラーリングで90ユーロ以下ということで全て受け入れられる。しかし推奨小売価格120ユーロに近ければ不満が大きい。
実際に足入れすると若干窮屈感があるのは包み込み感があるからだろう。第一印象は一つ前のモデルに戻った感じで、MTR201IIMAXに近い。それでも重量は306G右、310G左で10G以上軽い。現用が200G台だったので、それに比較すれば重く分厚くなった。
走ってみなければ分からないが、底のプロフィールは変わっていて悪くはなさそうな気がする。つま先もある程度の反力があるので岩の足場の上に立つなどは問題がない。分厚さからしてもこれならば高峰の氷河でも歩ける。
印象からするともう一つ軽いタイプは用途が限られて市場がなかったのだろうと思う。価格はその時よりは高いが、分厚いのは90ユーロ以上支払っていたので、価格的にもフェアーである。
ブル―レイをPC経由でUSBからDACに直接繋いだ。32Bit,192kHzで出すと、矢張りいい音が出る。若干アップサムプリング傾向があるが、それでも実体感のある響きで、もう本当に驚きである。DCHのブルーレイもハイレゾで出すと、DLしたハイレゾファイルとはまた違うとてもしっかりした音が出た。
こういうペトレンコ時代の音を聴くと、今シーズン後任のユロウスキー指揮、エンゲル指揮と聴き比べて来て、本当に天才の仕事としか思いようがない。殆ど夢のような音響であって、散々悪口を叩いていても他とは比較のしようもない。本当に後任者は気の毒至極である。
技術的精査も芸術の核の一つであることは間違いない。なるほど芸術表現は決して職人的な芸術だけではない。当然である。しかし、職人的に精査してより技術の卓越を希求するところにこそ芸術が存在する。たとえ結果がどうであろうとも、その希求が薄れたところには芸術は存在しない。これだけははっきりしている。
参照:
新春に「死の街」からを想う 2022-01-01 | 暦
待望のランニングシューズ 2017-03-22 | アウトドーア・環境
足入れをする。先ず紐がストッパーのつかないもので通常に蝶結びしなければいけない。専用ストッパも使いやすかったが、そこから切れて結び直すなどの不都合は一年ぐらいであった。だからどちらでもいい。
しかし踵の引っ張り紐がないのは足入れを面倒にしている。その分自分でしっかり緩めて絞めろということだろう。同時に製造の仕事量の増加やバラツキの防いでいる。それはフェアートレードならば価格に跳ね返るべきものだ。
購入価格が売れにくいカラーリングで90ユーロ以下ということで全て受け入れられる。しかし推奨小売価格120ユーロに近ければ不満が大きい。
実際に足入れすると若干窮屈感があるのは包み込み感があるからだろう。第一印象は一つ前のモデルに戻った感じで、MTR201IIMAXに近い。それでも重量は306G右、310G左で10G以上軽い。現用が200G台だったので、それに比較すれば重く分厚くなった。
走ってみなければ分からないが、底のプロフィールは変わっていて悪くはなさそうな気がする。つま先もある程度の反力があるので岩の足場の上に立つなどは問題がない。分厚さからしてもこれならば高峰の氷河でも歩ける。
印象からするともう一つ軽いタイプは用途が限られて市場がなかったのだろうと思う。価格はその時よりは高いが、分厚いのは90ユーロ以上支払っていたので、価格的にもフェアーである。
ブル―レイをPC経由でUSBからDACに直接繋いだ。32Bit,192kHzで出すと、矢張りいい音が出る。若干アップサムプリング傾向があるが、それでも実体感のある響きで、もう本当に驚きである。DCHのブルーレイもハイレゾで出すと、DLしたハイレゾファイルとはまた違うとてもしっかりした音が出た。
こういうペトレンコ時代の音を聴くと、今シーズン後任のユロウスキー指揮、エンゲル指揮と聴き比べて来て、本当に天才の仕事としか思いようがない。殆ど夢のような音響であって、散々悪口を叩いていても他とは比較のしようもない。本当に後任者は気の毒至極である。
技術的精査も芸術の核の一つであることは間違いない。なるほど芸術表現は決して職人的な芸術だけではない。当然である。しかし、職人的に精査してより技術の卓越を希求するところにこそ芸術が存在する。たとえ結果がどうであろうとも、その希求が薄れたところには芸術は存在しない。これだけははっきりしている。
参照:
新春に「死の街」からを想う 2022-01-01 | 暦
待望のランニングシューズ 2017-03-22 | アウトドーア・環境