Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

天使が空から降りてくる

2022-08-02 | 雑感
先週の旅行でイワナを食した。スイスのズルヒャー湖でも有名なサイブリンクだ。日本のイワナとは違う気がする。でも氷河湖産には違いない。チューリッヒで食するものと今回のキムゼーものは明らかに味が違った。新鮮味とかは関係ないと思うが、水の質が違うようにも感じる。キムゼーの方がどちらかと言えば硬度高いと思う。廻りの土壌から推測するだけだが、ほぼ正しいだろう。

スイスで出し方はハーブクリームソースが多く、なにかもっちゃり感があって、下手をすると臭みもある。しかし今回のは品書きに皮から焼いてと書いてあって、おかしな拘りと思っていたらそこがクスプリーに焼け上がっていた。更にサフランソースでピリ感があって、レモン迄添えてあるとなると新鮮であれば不味い筈がない。

折角湖の近くで昼食なので、ネット検索すると「いつも満足」と書いてあるレストランがあった。宿泊もできるようだが、なによりもパラソルの下でのビアーガルテンが最高だった。未だ暑さの訪れないお昼前に座ったので、予約無しにいい席に座れた。

お品には丸侭のイワナもあったのだが、面倒なものよりもヴァイツェンビーア一本飲みを愉しむ為のあてでよかったのだ。こういう食事ならばやはり外食がいい。なかなか温め直しぐらいではこのレヴェルには至らない。前夜に腹を空かして食事をしたのだが、これほど感激はなかった。

風光も絶景で、昨晩に頂上に立ったその岩山が真っ直ぐ見えて、その横にはキムゼーの輝く湖面が光っていた。ウォータースポーツファンには有名なキムゼーマークのTシャツが眼に浮かぶのではなかろうか。ビールはそれほど遠くはないトラウンシュタインのレーヴェンブロイ産であった。


ザルツブルク通いも数え切れないほどしているが、この地域に滞在するのは初めてだった。いいところだとは思っていたのだが、盛時にはウォタースポーツ客が多過ぎて到底立ち寄る気がしなかった。今回の様にバイエルンの夏休み直前の静けさが良かったのだろう。ミュンヘンに通うにもザルツブルク往復するにしても少し遠く、また本格的なアルプスの高峰にアプローチするにしても遠いのだが、一日ぐらいザルツブルク往復には全く問題がない。三泊出来ていれば良かったのだが、国境手前の定宿も改装されて良くなっていた。またテラスの良い席に朝食席を取っておいてくれたのでまた行きたくなる。

日曜日のバイロイトからの「指輪」前夜祭「ラインの黄金」時差生中継は想定通りの出来だった。シュトットガルトとの違いは、歌手は有名人が多くてやや大柄で、楽団も屋根がついていることから可能性が増えていたが、手兵ほどではなくても、その音楽の特徴は紛れなく出ていて、とても評判も良かった。大柄な音楽ではないが、家庭劇の様にしたシュヴァルツの演出に寄り添うもので、舞台が目に浮かぶようだった。テキストのその音感に色付けをしていく手腕も見事で、言葉の聴き取り易さは何も活舌やイントネーションの良さだけではないと示していた。現在のドイツ連邦共和国が求める全てはここにあって、「指輪」の成功で、ベルリンの州立歌劇場の次期音楽監督にほぼ決定だと思われる。音楽自体は詰まらなくても、キリル・ペトレンコが出来なかった音楽をやれているだけで十分じゃないですかね。あとは天使の降臨を待つだけか。



参照:
音楽劇場指揮者の実力 2022-08-01 | 文化一般
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
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音楽劇場指揮者の実力

2022-08-01 | 文化一般
ミュンヘンで最も有名な劇場評論家がシーズンベストを挙げた。先月のズルヒャー新聞に続いてハース作「ブルートハウス」を挙げて、歌手陣から演出、指揮者エンゲル迄と書いた。友人としても、とても喜ばしい。それどころかミュンヘンの劇場を越えてと書き添えている。個人的には復活祭の「スペードの女王」も捨てがたいのだが、音楽劇場表現としてはペトレンコとエンゲルの指揮では大分差がある。

期間を長くとっても年内にそれ程の公演があるだろうか?少し気になるのは今晩から始まるシュヴァルツ演出マイスター指揮の「指輪」がどれだけ新機軸になるかである。いづれにしてもマイスターやエンゲルが将来のバイロイト音楽祭を切り回していくことは殆ど固まっていると思う。エンゲルがデビューするにしても昨年のエアル「ローエングリン」初指揮以降の話しであるから、早くても2025年頃か。2023年に「パルジファル」も新しくなるので、2024年「マイスタージンガー」、2025年「ローエングリン」ぐらいだろうか。

今回のザルツブルク音楽祭でのヴェルサーメストの「三部作」指揮も見事だった。バイエルン放送局は全てが良かったが、指揮だけに傷があたっとして、プッチーニとリヒャルトシュトラウスを履き違えているとまで怒っている。この件に関しては改めて議論が必要である。しかし、メストが示した指揮はもっと大切な音楽劇場としての仕事であった。それに関しては、スタイル以前の問題で、そもそもアスミク・グリゴーリアンに三つのオペラの三人の女性を歌わす企画から二回の休憩が必要になり、その演出の都合で作品の上演順番を変える必要があった。先ずはその時点で正統性を議論してもいいだろう。

2017年にこの作品をミュンヘンで二回聴いた。特に「修道女アンジェリカ」を十八番としているエルモネーラ・ヤホがコンディションが悪かったので再訪したようなものだった。よく覚えているのは二回目の帰路にスピード違反で減点されたからだった。それを消すのに三年掛かった。また喜劇「ジャンニスキッキ」もオールスターキャストで良かったのだが、最初の「外套」を含めて音楽的には異物感が多かった。それだけの名歌手が揃うとどうしてもでこぼこが多くて様式的な統一性も薄くなってしまうからでもあり、演出の枠組みはしっかりしていたのだが、ペトレンコ指揮の音楽自体はあまりに抒情的で劇性は薄かった。

今回の演出のロイが優れていることもあったのだが、ドラマテキュルギー的な位置づけが明白で、その分音楽的にもはっきりした意味付けがなされていた。それはテキストの節々にも色彩がまぶされていたりと、ヴィーナーフィルハーモニカーの木管の音色が見事に表情を作っていた。こうした指揮でこの座付き楽団の演奏を聴くとやはり個々の力量はとても高いことが知れた。その水準は全体としてはともかくミュンヘンの劇場では求められないものだった。その意味から中々これに匹敵する座付き楽団はやはり求め難い。

音楽劇場のそれが分からない時分は、ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏ということである程度信頼してザルツブルクに通っていたのだが、今回のような程度の演奏は一昨年のエレクトラではコロナ期間中もあってか難しく、漸くそれを堪能した。ヴェルサーメストはオペラ指揮者としては当代随一の立場であろう。



参照:
Wir fremdeln noch: die erste Saison von Serge Dorny an der Bayerischen Staatsoper, Markus Thiel, Merkur vom 30.7.2022
ブラームスの弟子筋 2022-07-31 | 文化一般
歴史的に優位な音楽語法 2022-07-07 | 音
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