Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

安定作動で目指す10時間

2022-08-17 | テクニック
発注した充電池が届いた。受け取って先ず重いと思った。包装を開けるとネットにあったように形状が違う。先ずは挿し込めるのかどうかが気になったので早速嵌めてみた。問題がなかった。

あとは間違いなく充電可能か、以前以上に使えるのかどうかである。先ずその前に重量をはかるとオリジナルが430g、そして今回の容量が増えているものが600g弱。その差は、100%迄充電して残り時間をみると比例している様だった。10時間以上使える表示が出ていた。実際に使えるかどうかは別にして破格の長時間使用であろう。

そこから四時間程使うと60%で五時間強となっていたので、ほぼ10時間弱が計算できる。もし使うとすればコンチネンタル間移動の機内でとなるが、嘗ての様にPCを以ての気持ちはもうあまりない。タブレットで殆ど用が足りるからである。そのノイズキャンセリングフォーンもブルーテュ―スで10時間使えればいいところだ。

重くなって嵩張る分は明らかにハンディ―だが、旅行用つまり宿泊地での作業にはこれでもいいような気がする。旅行時の傾向の便を考えるだけである。

それはそれで先ずは使えることが判明。そこから続けて旅行用に使えるように整備しようとした。すると画像が壊れたり落ちたりする、ネットを調べるとドライヴァー等がよくない可能性があると書いてある。あれこれ試すと酷くなってきた。そして思い出した。音楽専用PCとして使っていた最後には動画には全く使えなくなっていたことをである。画像が壊れるからだ。その時よりも悪くなっている。またしても部品を直して他の場所が駄目になって使えなくなる例かと思った。

そこで長くサボっていたアップデート化に挑んだ。それが途中で落ちて上手くいかなかったが、何とかなった。何もしていなかったのはキャパシティーを節約する為だった。そして音楽ファイルを進めている。これで150G程は余分に余裕が出る筈だ。


現行の主にリモートコントロ―ルしている音楽専用PCに比較すると可也貧弱なのだが、少なくともそれにの様にモニター自体にハードウェア―上の問題はないと思っている。しかし、ノートブックのモニターにおいてもハードとそのグラフィックカードそしてドライヴァーは頻繁に問題の起こっている様で、特にウィンドーズからLinuxに乗り換えるとマニュアルで対処することが増える。その分長く使えるような気もしている。

現在のところ状況は安定しだした。この調子なら使える。そもそもザルツブルクに持って行ったときには一度も起らなかった。だから全く忘れていたのだ。壊れた充電池を試す時に電源を落としたり入れたりで、ソフトを痛めた可能性も強い。更に何らかの形でのネットからのアタックも少なくなかったかもしれない。やはり必要最小限のアップデートは必要だと思った次第だ。月末の旅行には携行する予定なので何とか快適に使えるようにあって欲しい。



参照:
理に適った扱いを 2022-08-13 | 生活
32Bit処理のHDオーディオ 2021-06-10 | テクニック
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プッチーニの純効果

2022-08-16 | 文化一般
承前)週末の生中継を堪能した。想定以上の出来だった。先ずはディレーの時間差も感じさせなかった。バイヤー監督以下が入念に準備していたのだろう。カメラのスイッチも見事だった。更に殆どドロップアウトもなく18時始まりの二回の20分の休憩を挟んで殆ど会場に出入りするように楽しめた。TVで感動することなども無くなったが、中継映像で引き込まれたのも珍らしい体験だった。

音響は舞台に近いメインのマイクロフォンの集音なのだろうが、会場にいるよりも反響が多く長くあった。恐らく扇の中心だからそうなるのだろう。演奏者が舞台の上と下で聴いている音に近いのだろう。結構ジューシーなのだ。その音で思い起こしたのはカラヤンが振っていたころのザルツブルクからの中継だ。

指揮者のヴェルサーメストも晩年のカラヤンの練習を備に見ていて沢山の事を盗んでいる。彼が素晴らしいオペラ指揮者になって愈々ザルツブルクにおいて中心的な指揮者になってきたことを示す指揮であった。勿論昨今のエンゲル指揮などの活動も観測しているには違いないのだが、ヴィーナーフィルハーモニカーの力を出し切ってここまでの舞台とその効果を出してくるとは、先の「エレクトラ」でもその前の「サロメ」でもなかった。その背景には様々な要因があるのだろうが、プッチーニとリヒャルトシュトラウスを履き違いしているという批判とは正反対で、まさしくここに来てアスミク・グリゴーリアンとの協調の果実がこの効果だったとしても然程違わないであろう。

「私の愛しいお父さん」でまたしても泣かされてしまった。その朴訥な印象の娘の衣装もいいのだが、その表情や演技にも益して、歌がその心情を余すことなく表し、管弦楽がまさしくカラヤン指揮ばかりにつける。そそもそもこの歌自体はとても有名なのだが、演出によっては様々な色付けが可能である。例えば2017年のミュンヘンでは、親父を騙す娘の演技として歌われた。ローザ・フェオーラのその敢えて作り物の心情とした歌唱もペトレンコの指揮と共に見事であったが、今回の演出ではその真摯な娘心こそが三部作を繋ぐ。それをどのようにそこで表現するかの芸術なのだ。

舞台芸術のまたはオペラの神髄はそうした心情を表現して伝えることに意味があって、それをどれだけ見事に効果的に表現できるかが芸術家の音楽家の仕事である。誰かが書いていたが、グレゴリアンの歌声は平素は音楽やオペラなどには無関係な人の心も打つ力があるとされている。芸術が広く社会に影響を与えるとすればそういうことを指すのであって、市場が大きいから影響力が大きいというのは本末転倒なのである。

上の歌の拍手の呼吸からして、明らかにこの中盤のハイライトにおいてその聴衆の質が落ちるかは分かった。やはり間が違うのである。会場のそれがフィードバックすることで劇場空間が芸術が形成される。今更断ることもないであろうが、無観客公演中継として全ての人がその差を如実に感じたコロナ禍下の公演の数々だったのだ。

プッチーニのオペラがそうした大衆性に負っているとか今でも絶えない議論である。それゆえに反面教師的な上の批判でもあったのだろう。しかしそれゆえに今日劇場にてプッチーニのオペラが本当に心を揺さぶったりするような効果を上げるのは難しいということにもなる。(続く)


ロシアのサイトのコピーから:「私の愛しいお父さん



参照:
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
百年祭記念の映像制作品 2021-02-25 | 音
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晩夏から実りの秋へと

2022-08-15 | 雑感
週明けからお勉強である。ルツェルン音楽祭迄二週間になる。昨年の事を考えれば計算できる事ばかりで、車さえ動けば予定通りに進む。それだけで平常化がとても喜ばしい。月末までの事務処理も同時に片付けて、涼しくなりそうなので筋力回復のリハビリが可能かどうか。

昨晩のARTE生中継は知る限り初めての試みだった。完全生中継ストリーミングでナレーションもなにも入らなかった。更に第一人者のバイヤー監督で、この陣営で撮れるのは喜びだと語っていた。その内容に関しては改めてとなるが、NHKが共同制作者に入っていて当然日本などへはブロックが掛かっていたようだ。アスミク・グリゴーリアンの初訪日の秋までには放映されるのだろう。

その裏でラディオ放送を録音しておいた。ヤナーチェック作「カティア・カバノーヴァ」でとても評価が高い。成程トレイラーなどをみれば成功していることは分かるのだが、音だけを流してみると、作曲家の地元のブルノ出身のフルージャ指揮のヴィーナーフィルハ―モニカーは、「三部作」のヴェルサーメストの様には掌握していない。当然かもしれないが、それだけで「三部作」に軍配を上げたい。

批評にはヴィーナーフィルハーモニカーから決してシャープな音は出していないのだがと書いてあったが、若干怠いと感じた。そこ迄楽団が積極的に演奏していないということで、それはそのスタイルの問題ではないと感じた。ヤナーチェックの音楽特にオペラは様々な条件があってなかなかいい演奏が聴けないと思う。

夕飯時になって火を使うと暑いようなのは早く終わって欲しい。規則正しい生活がしにくくなるからで、やはり夏時間がない方が夕食が楽になる。更に冷たいものを飲食するので虚弱になって、毎年のことながら八月中盤には疲れが出てくる。所謂夏バテである。今年はそれ程水太りなどをしていないが、いい加減に暑いのは終わって欲しい。乾燥していて比較的室内では過ごしやすい夏であったが、もうそれも結構だ。総体的に暑い夏となって水不足から味わい深いワインになる筈だ。特にいい地所のリースリングは根の深い深いところから水を吸おうとするので、その土壌深くのミネラル成分の味わいが出てくるとされている。

ライン河の中州にあるプファルツの城に歩いて渡れるようになるらしい。水不足で船が通れなくなった事はあるが、通常は渡し船で渡る中州がとは信じられないほどの水量である。2009年6月の写真と比較すれば、その程度がよく分かる。どこかでそれらを補うような降水があるのかもしれないが、余り過激な気象になるとまた被害が起こる。
Niedrigwasser an der Pfalzgrafenstein bei Kaub am Rhein.


ワインの事を考えれば、まだ暑い晩夏にまだ皮がしっかりしているときに降って、実が熟成する9月頃から適当な降雨があって、10月に再び乾燥するというのがいいだろうか。恐らく今年は熟成が早く進行しているので適当な時期に摘み取りが終わるのがいい。地面にある湿気からすれば結構いい実りの秋になるのではなかろうか。



参照:
逢瀬の地、中ノ島へと渡る 2009-06-26 | アウトドーア・環境
アンサムブル劇場とは 2022-07-19 | 文化一般

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生中継される「三部作」

2022-08-14 | 文化一般
承前)今晩はザルツブルクからプッチーニ作「三部作」の第四回公演が生中継される。その前に初日をもう一度振り返っておこう。更に当日のプログラムにも目を通した。そこには、大きく三つの文章しかなく、その一つは演出のロイへのインタヴューと彼自身による粗筋である。その演出同様に必要最小限での表現を意図しているのだろう。

インタヴューで本来のダンテの神曲「地獄」、「煉獄」、「天国」の作品順番の入れ替えについて、指揮者のヴェルサーメストと話した結果決めたと語っている。その理由として、今迄の上演での様子を見るからに最も印象に残る作品は「煉獄」である筈の「修道女アンジェリカ」であって、最も単独上演機会の多い「天国」の喜劇「ジャンニスキッキ」ではなかったとして、「修道女アンジェリカ」を最後に、そしてその前に「地獄」である「外套」を持ってきたとある。

ロイの粗筋では、それで始める「ジャンニスキッキ」の貴族の悲劇のドナティの死のベットに取り敢えず集まる親類は、個人の資産が修道会に寄付されると知り、従妹のリヌッチョの恋人で法的整理を扱う父親スキッキの助けを借りることにする。そのリヌッチも父親がフィオレンツェ出身ではない平民の娘との結婚が儘ならないことからその芝居に乗ることになる。そして元々役者でもあるスキッキは声色を使って公証人を騙し、ベットから遺言を筆記させる。その前に、先ずは娘を部屋から出して無関係として、「全ての財産を友人のスキッキに」と遺言を残す。一同騒然とするも、不正を働くことによって、右手を切断、街を追放の罰を受ける事を改めて、皆を所払いする。残るは戻ってきた娘ロレッタとリヌッチとなり、スキッキは観客に向かって許しを乞う。

「外套」はセーヌに岸付けされた曳き船、その船長と嫁のジョルジェッタは幼い子供を亡くしてからその影を背負っている。彼女は旦那に、船を売って、パリに、彼女の育った小さな町ベルヴィーユへと引っ越そうと勧める。このところ船を手伝うルイージとの浮気に落ちていて、その腕に抱かれることで不幸から解放される。旦那のミケーレも不審に気が付いているのだが、相手が誰なのかは分からない。晩に嫁さんに嘗ての幸せを思い出すようとするが、嫁さんにとっては想い出は痛みを伴うものでしかない。彼女自身も縁りを戻そうと思うのだが、それが出来ない。ジョルジェッタはルイージとの逢引きを約束している。ミケーレは呆然として嫉妬から床に付けない、そしてパイプに火を点ける。それを潜んでいたルイージがジョルジェッタからの合図と勘違いして、ミケーレの逆鱗に触れる。嫁は起きて来て旦那に近づくと、彼自身の外套の覆いをのけるとルイージの骸。驚愕するジョルジェッタ、未来を破壊したと悟るミケーレ。

女子修道所、侯爵の娘アンジェリカは成人前に両親を亡くしている。その直後に私生児を生み、後見人である叔母にその子供を取り上げられて、修道所に送られている。七年が経過している。そして子供からの知らせを待ちつつ、その為にも難しい試練に挑んでいる。取り分け、修道所において医者として薬草の仕事を任せられている。そして年に数日しか修道所に光の当たらない日々がやって来た今、待ちに待った訪問客である。しかしそこには侯爵の叔母が、遺産相続の署名を迫ってやってきた。堪忍袋の切れたアンジェリカに、叔母は二年前に患った息子が亡くなってしまったことを告げる。底無しの苦しみに、もはやあらゆる祝福は朽ち、死に至る薬草を合わせるアンジェリカは息子のいるパラダイスにありたいと願う。最後の死との戦いにおいても、自殺への永遠の罪を恐れ、その時に聖母によって息子が送られる。

あらすじは、粗筋なのだが、その演出の骨格がよく分かる。そうした仔細諸共を除いた所に劇の本質があるとするのが演出家ロイの仕事とされている。初日からのち細かな微調整は演出にも為されていると思われる。全般的に横長の舞台における集団の扱いはより整理されてくるのだろう。若干焦点が暈けていた。同様の経験は復活祭でもあったので事情が分かる。

歌ではやはりなんといっても一人三役のアスミク・グリゴーリアンが特に最後のアンジェリカで高音で更に冴えた声を出してこれるかどうか。その薬草園のカメラを通さない見え方なども課題であった。その他、既に健闘していたミケーレとルイージに若いスキッキの準主役までが手馴れた歌として来れるかどうか。管弦楽のヴィーナーフィルハーモニカーがもう少し繊細な味を出してこれるかどうかも注目される。(続く



参照:
地盤沈下の音楽の都 2022-02-09 | 生活
オペラのメソード 2022-06-21 | 女
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理に適った扱いを

2022-08-13 | 生活
リチウムイオン電池を発注した。旅行用のミニラップトップの電池が壊れたからだ。先月のザルツブルク行には電池を外して使っていた。録音の予定があったからだが、Linuxミントに文書機能も入れてなかったのでそれ以上には使わなかった。その録音もアナログ回路をパスして録音するにはブルートュ―ㇲに送るしかなかった。勿論デジタル発信する前に録音するのでブルーテュ―ス品質は関係していない筈だ。実際に録音を高ビットにしなかったが遜色ないものになっていた。

本来ならば旅行用にミニDACが欲しいと思ったのだが、旅行先で最高音質ヘッドフォーンでとまでは現在は考えていない。精々お勉強の為にノイズキャンセル付きでちょこちょこと聴くぐらいである。それでも音楽用として使えることは確認したので、出来る限りコムパクトの儘も月末のルツェルンに持って行きたい。

電池の重さもあり、必ずしもとは思ったが、やはり一時間でも電源無しで、テラスや車中で使えるだけで助かる。そこで替えの電池を探すと36ユーロで見つかった。大抵こうした部品を購入すると古いものの他の部分が壊れて役に立たなくなることが多いのは承知で、ドイツ製造という興味もあって試してみることにした。

勿論電池を長持ちさせるための充電の仕方や管理は考える。そもそも使えていた電池も平常の音楽専用PCとして定期的に使わなくなって、何時の間にか空っぽになっていたので、旅行に出かけない時の電池の保存法を考えるしかない。

PCはASUSのもので機能が最小化されている分純正の電池駆動時間が長いのを最初のユーザーは評価していた。壊れたものを貰ってきて直して使ていても十分に使い良かった。そして新しいものでどうなるのかも楽しみである。ボックスの形状を少し変えているので置いた時の角度もついて使い易くなったとの評価もあった。そんなこんなで少し楽しみだ。

もう一つアンドロイドのタブレットの内臓メモリーが95%を超えるようになって久しかった。その為作動も不安定さが増していた。通常の消去プログラムなどは回していたが減らなかった。自身のファイル類はマイクロSDカードに入れているのでシステム以外にはない筈だった。キャッシュ類が消せていないことは分かっていたのだが、いいプログラムが見つからなかった。しかし、既にインスト―ルしていたアプリの中から回すと、映像などを観たりした後でキャッシュとして入っているのが分かったので、どんどんと消した。お陰で80%以下迄消去出来た。

最近は車で出かけるときにいつも持ち歩いているタブレットである。車装備のナヴィが役立たずになってからは、これによってスピード違反等から守られている。道を迷うことも最小限になった。だから確実に作動して呉れないと命取りなのである。

箱に入ったプラムトルテは中にクリーム層があって若干もちゃもちゃするのだが、酸味と甘みでうまく調和して、決して悪くはなかった。これはこれでパン屋のスイートとしては理に適っているのではなかろうか。



参照:
無用の長物TV受信機 2018-11-18 | 生活
SSD初インストール準備 2018-10-18 | テクニック
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ベルヒテスガルテン眺望

2022-08-12 | 
承前)ブラームスの交響曲三番は1883年に作曲初演された。その年の二月にヴァ―クナーがヴェニスで客死した。ブルックナーが推されたのはその後である。そのような時代背景であった。2007年にハムブルクで同じようにツィクルスを指揮したフォンドナーニのインタヴューと練習風景が残っている。

そこでもまさしく交響曲三番一楽章の動機の扱い方を念を入れて練習している。そのエンゲルの指揮が見事だった三和音の露払い動機から、同音進行の四分音動機が弦から木管へと、和声外音が挟まれる長短和声の移ろい感が全てだ。それがヨーデルとして吹かれ、そしてコントラプンクトの中で解決されるときにこの作品のそして恐らくブラームスの歴史的な評価へと繋がる。

木管に受け継がれると明らかに里社会的である。より具体的にはヴィーナーのユーゲントシュティールへのビーダ―マイヤー風となる。その通り弦の上に撥ねる音形、またはこれまた重要なA菅クラリネットの音形の必然性も生じてくる。つまり、シュタインバッハ若しくはブルーメのコメンタールにおいても明確にされていないコントラストとは、明らかに「ブレヒテスガルテンの雷」と「グリュンダーツァイト*の里」の対照だろう。ここがこの交響曲演奏の最大のポイントだと思う。そして移り行きの最も素晴らしいアンダンテと有名なポコアレグレットが「ファウスト」の情景としての草案であったとなると成程と思う。そしてそこに流れるウィットな表情と作られたロマンティズム。

来る復活祭ではハイドンの主題による変奏曲とシェーンベルクの変奏曲が並べて演奏されるが、今回のエンゲル指揮が示したものはまさにその歴史的な音楽であった。だから上でもフォンドナーニの語る二番と三番の繋がり、そしてヴァ―クナーからシェーンベルクへと繋がるのである。

更に名指揮者は、文献を研究したりその当時の楽器を使ったりで音楽に迫ろうとしたら余計に分かり難くなるだろうとしている様に、エンゲルは実際的な判断で立奏を止めただけではなく、決してそうした耳に新しい響きを作ろうとしたのではないことは明らかだった。その傍証として例えば評価の高いフルトヴェングラーがその死の前の1954年にベルリンで指揮した録音がある。やはりそうした和声の繋がりとアーティキュレーションの明晰さはそこでも見事である。惜しむらくは耳が聞こえているときの録音ではないことだろうか。

キリル・ペトレンコがベルリナーフォルハ―モニカーとブラームスのツィクルスを始めているが、残念ながらフィルハーモニカーとマイニンゲンの伝統の折衷として成果を残せていない。その伝統がカラヤン時代以降の伝統であることはフルトヴェングラー指揮の録音の数々で明らかなのだ。要するにそのサウンドでしかないブラームスの演奏実践を指しているに過ぎない。ティテゥス・エンゲルの名曲レパートリーは限られたものでしかないが、悉く大成功をしている。カルロス・クライバー並みの準備をしているからに違いないのだが、勿論その活躍の場も限られている。しかし十年単位で見るならば、音楽劇場の場だけでなくこうした名曲演奏会においてもとてもユニークな位置で活躍していくことは明らかとなった。個人的にもまさか名曲の演奏を友人の指揮で聴くことになるとは考えもしなかった。(終わり)

*グリュンダーツァイト:ビーダ―マイヤーとユーゲントシュティルを繋ぐエポック



参照:
音楽劇場指揮者の実力 2022-08-01 | 文化一般
ムード溢れる環境 2022-07-29 | 音
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週中日にドナウの漣

2022-08-11 | 生活
そろそろ月末迄から九月初めまでの準備となる。それで一先ずワクチンの有効期間を終える頃までである。しかし最早アプリにはその様な機能が無くなっているので、その頃には証明書類を一切消去できる筈だ。税金関係など事務仕事も片付けないといけない。まだ夏の終わりに着る可能性のあるシャツなどは洗濯屋に出した。早朝は摂氏15度ほどになってきたので就寝は深くなってきた。昼の陽射しは強くても朝晩は肌寒くなってくる。

次の旅行はルツェルンで、都合二回往復となる。シニトケのヴィオラ協奏曲もお勉強しておかないといけない。その間にワインの試飲会などもあり計画を立てておかないと日程的にも厳しくなる。

ルツェルンでの旅行準備に入っている。理由はお呼ばれもにもなるからで、食事の用意などをいつも以上に考えている。最初の二泊三日行程で、二食の夜食と朝食、お昼一回はこれまた他の人との繋がりで変わる。一寸ややこしいが基本は変わらないと思う。但し早めに決めておかないと人の都合があったりで困ることになる。二回目は仕事を兼ねてアポイントを入れるかどうか、これも先方次第だがどうなるか。

朝晩は涼しくなってきたので運動が出来るような状況になっている。あとは意欲と時間の都合だけだ。朝いつものように走りに行くと、月曜日に見かけたのと同じところに小ウサギがいた。前を走っていく姿をみるとやはりウサギとは違い四足歩行に近い鮮やかな走りっぷりだ。更に左の森の方を覗きながら走っていて何かを探しているのが明らか。こちらは目覚めももう一つでただただ苦しんで走っているに過ぎないので、頭が空っぽである、

しかし折り返しから下りてくると今度は番いで走っていて明らかに追いかけごっこをして遊んでいる。きっと先ほどのエサを探すというよりもかくれんぼのような事をしていたのだろうと想像すると馬鹿らしくなってきた。

週末には中継などが目白押しとなって、ザルツブルクの音楽祭も大統領などが臨席してのハイライトを迎える。初日に出かけた「三部作」も公演が生ストリーミングされて、翌日には一部TV中継録画放送。ラディオでは「カティア・カバノーバ」公演の中継録音放送、また日曜日にはチャールズ・アイヴス作マルターラ演出「ユニヴァースイムコムプレート」の再放送。

一方バイロイトの音楽祭は二巡目に入っているので、これでその批評は出揃ったことになる。なによりも関心が高かったのは新制作「指輪」であるが、結局若い世代のペシミズムの言葉で区切られそうで、あまり今後話題になりそうにもない。演出家シュヴァルツ33歳世代の支持が急に高まればであるようだが、初日の最後にはいざござだけで最早ブラヴォーが続かなかったとされる。そうした熱狂は前回のカストルフ演出の時にはあったように思われ、その証拠に二年目の第一クールでは既に熱狂的な支持があった。今回の場合は演出上の技術的な稚拙さも指摘されていて、梃入れが急務とされている。やはりネットフレックスでは劇場では駄目なのだろう。



参照:
バイロイトのアンデルセン 2020-08-11 | 音
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般

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塗り潰されていた感興

2022-08-10 | 
承前)所謂名曲をあまり耳にすることはない。耳にタコが出来てしまうからだ。それでもここぞという時に機会を逃さないようにはしている。最近では半世紀ぶりぐらいの「運命」交響曲があった。その他「悲愴」交響曲とかそういう愛称が付いているような大名曲は大演奏でしか聴かないようにしている。既に決定版的な演奏が録音されていたり過去に定評がある演奏が存在して、それ以上のものが期待できないからだ。

それでもそんな機会があれば新たな出合いとなって、今迄の意識が覆されるような体験に繋がる。名曲とされるにはそれだけの内容がある。だから新聞評は楽しい聴学習が可能となったとしたが、なにも会場の周りの環境が素晴らしいからではない。

そして記者が伝えた核心の様に交響曲二番ニ長調の特にフィナーレが快活に晴れやかに終わって休憩に入った。そのトロンボーンら金管の掛け合いが上手く嵌まった時に会場の鼓動は一気に高まった。同時にそれが決して轟とはなっていないのが素晴らしいとしていたのだが、その背景には指揮者エンゲルのテムポ設定と同時に上手さが開花していた。それは会場の聴衆にも分かり、それがフィードバックした。その様な瞬間は交響曲演奏会でもそれ程経験していない。同様な例は昨年のフランクフルト「サロメ」再演公演でも後半に入ると一瞬に空気感が変わったのを感じた。

そして後半に交響曲三番ヘ長調を持ってくる。全ての楽章が静かに終わる異例の交響曲である。だからこの曲で演奏会が終わるのは珍しいと思う。しかし違和感がなかった。

先ずは一楽章の「ライン」のテーマも若しくは雷の動機とされるもので、そしてそれに続く動機の扱いが味噌だったのだ。第二主題の三拍子系のヴィーナー調は明確なのだが、そこへの繋がりである。それによって最初の英雄的な色合いが去勢されると同時にコントラストとなる。

ここがシュタインバッハのコメンタールにも書いてある様にブレヒテスガルテンのヨーデルとして、それは丁度第一交響曲の終楽章のアルペンホルンの様に作曲者自らが採譜したようで、ドルツェへのつまり続く里への流れへと通常は不明確に演奏されていると思う。この交響曲はラインに近いヴィ―スバーデンに1883年5月からの滞在中に作曲されている。そして有名な三楽章の落葉感はまさしくそこの秋の風情である。

この交響曲の二楽章アンダンテの長短調への揺れ動きや半音階的な進行が、新聞評で交響曲二番の終楽章と比較されたように、方々で鳥が囀り、大気の揺れがその断章が美しく靡く。

至る所でエピソードのような上昇動機のウィットが華を咲かせるのは、リズム的な精査とそこからのアーティキュレーションに配慮することでのみ音化されるからだ。特にこの楽章に拘わらないのではあるが、ブラームスに於けるムードの多様性と変化は我々が知っている、恐らく「ブラームスがお好き」的なものより遥かに精妙で多様ではないか。

そのような事をブラ―ムス厳選の中欧における風光明媚な自然の中でのスケッチのその当時の創作に近づくことでより、より身近に感じるのではないかというのが、まさしく記者が言及した快い聴学習なのである。(続く



参照;
お品書きから推敲 2022-07-26 | 料理
ブラームスが歩いた風景 2022-04-24 | アウトドーア・環境
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アウフタクトの置き方

2022-08-09 | 
オクサーナ・リニヴ指揮のウクライナユース管弦楽団を聴いた。創立者の指揮であり、その活動はヴィデオを通して初期から知っているので興味があった。そのリニヴがお手本にしたドイツのブンデスユーゲント管弦楽団の名演は復活祭月曜日に聴いた。ベートーヴェンの運命交響曲だった。

個人的な関心は、リニヴがどのようにその楽団を育成しているのか、または要するにリニヴの指揮にも関心があった。なぜならばペトレンコは下拵えした楽団を公演前に少しだけ練習をつけただけだが、可也の効果を上げていたからだ。勿論その背景には、ダイシンやらその他のベルリナーフォルハ―モニカーが手取り足取りとやっていた様子が伺われた。

モーツァルトの音楽祭を主催しているリニヴ指揮モーツァルトにも興味があった。今後レムブルクでのその音楽祭の将来も占いたかった。そして最終的には、シュットガルトで問題を感じた点を確認したかった。

折角普段は生演奏を聴くことのない名曲であるから、モーツァルトのプラハ交響曲を少しお勉強した。今後一生の間で生で聴ける可能性があるかどうかわからない名曲だからである。故ハイティンクが2017年にヨーロッパ室内管弦楽団を振った映像が見事だった。その指揮ぶりや楽員の面々を見ると成程この指揮者が当時指揮セミナーを行っていたのが分かる。とてもいい指揮をしている。次いでに同曲を当時カルト的な人気を誇ったザルツブルクの祝祭劇場で貰ったサンドラ・ヴェーク指揮のカメラータザルツブルクの演奏CDでも比較した。その教えは良く伝わるのだが、効果は一面的だった。詳しくは改めて言及する。
MOZART "Symphony No.38 in D major K504" (Prague) BERNARD HAITINK (2017)


さてリニヴの指揮であるが、その練習からしてやはり当方の批判点を本人も認識していると感じた。その一点を挙げれば総奏でどれぐらいコントロール出来ているかに尽きるかもしれない。

その為にもテムパニーやコントラバスのアインザッツにも配慮していた様である。しかし全体としては、教会のようなところで演奏するのに慣れている感じで、真っ当に演奏できていた。いい場所で聴くとそれなりの音響は得られた。それ以外にも指示が結構通っていて、更に本番となると集中力もあるので、中々いい仕事ぶりだとは思った。

モーツァルトの演奏方法としても勿論ハイティンク指揮のような至芸には遠いのだが、古楽奏法を取り入れながら全体のバランスもとれていた。問題はやはりアインザッツへのアウフタクトの持って行き方ではないかとも思うのだが、それを勿論ペトレンコのようにもやれなく、更にドイツ風のそれも儘ならないのが最大の問題点だろう。成程傷とされているマイスターの「黄昏」の最後の間が空いたゲネラルパウゼもアウフタクトの置き方にも関係すると思う。

ヴァイオリンとのシムフォニエッタはリニヴの旦那のムルザとの共演だった。成程アマティーを借りているのは練習の音でも分かったが、十分に鳴らし切れているかどうか。独奏もこうした機会にソロをやるのはいいのだろうが、やはり室内楽などでやっていかないと厳しいかもしれない。オクサーナが強拍で、旦那のアンドリは弱拍で間違いない。

昨年の演奏ぶり ー Oksana Lyniv & the Youth Symphony Orchestra of Ukraine play WA Mozart, FXW Mozart and Hubarenko




参照:
SP三人の圧力に抗する 2022-08-08 | アウトドーア・環境
大喝采のそのゆくへ 2022-06-06 | 女
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SP三人の圧力に抗する

2022-08-08 | アウトドーア・環境
日曜日の晩にキルヒハイムボーランデンのコンサートに出かけた。お目当てはオクサーナ・リニヴ指揮ウクライナユース楽団の演奏だ。そのパウルス教会はモーツァルトが演奏したオルガンで有名である。マンハイムからパリへの寄り道でそこでオルガンを弾ている。だからそのオルガンを聴きに行ったのが30年程前だと思う。それ以降は40km程の距離にしても出かけていなかった。さしたる用事がなかったからだ。もう一つには道がもう一つ連絡がよくなかった印象があった。一時間では着けなかった。

今回走ってみるとワイン街道の北端グリューンシュタットまでもバイパスが半分以上できていて、開通すれば信号無しでパリ郊外まで走れる ― 全自動運転ならシャムパンを傾けながら車窓を愉しめる。ザルツブルクなどと同じ感覚で出かけられる。今回は未だ目的地までは何回か信号待ちをしたので50分ほど掛かったのだが、ヴァケーションシーズンで近郊の行楽客が少ないのか渋滞はなかった。

但し私のオールドタイマー車をゆっくり走らせて愉しめるようなドライヴではなかった。先ずはグリューンシュタットの街中で道に迷ったり、そこを過ぎてからはワイン産地ではないのでさしたり明媚な風光もない。それは致し方がない。

目的地の街の面影は変わっていたが、無料ガレージも直ぐに分かり問題なく停めれた。教会の下にはウクライナユース管弦楽団のバスが駐車してあった。お陰でそこは駐車不可になっていた。

開演75分程前に教会に着いた。既に何人かの人は集まっていた。自由席だからだろう。そしてサウンドチェックが始まっていた。ここの主催者が委嘱した作品でコロナ中に初演は済んでいた。その関係もあって今回ツアーはバイロイトで始まり、その次にこちらにやって来て、翌日月曜日にはルツェルンの中ホールで演奏会を行う。

練習風景を30分以上観ていたのでとても参考になったが、更に興味深かったのは、眼つきの悪いSPを見つけてその警護対象を探した。挨拶の声が聴き取れなかったがウクライナのフランクフルトかどこかの総領事だと思われる。三人がイヤフォーンをしてソフト警護をしていたが、直ぐに拳銃に手が届くように上着の中に手を入れるのが不気味だった。

一人は運転手兼なのだろうが、一介の領事としてはあまりにも完全警護で、余程狙われると考えているのだろうか。成程ベルリンの全権大使ぐらいに嫌ドイツ連邦政府を打ち出している無礼者ならばドイツの国粋主義者にやられるかもしれないが、こうした少なくとも発言を見るとそれ程の特異な外交官ではなかった。飽く迄も援助をお願いベースにしていたと聴き取った。

しかし何よりも効果は、先ずは指揮者のオクサーナ・リニヴに圧し掛かっていたと思う。どうも国防省の許可を取っていたかのように思えて男子楽員も頑張っていたが、プログラムに対する圧力や飽く迄も体制よりの態度は求められていただろう。そこに圧力をかけるかのように3人ものSPが付けば殆ど強制的な圧力を感じないわけがない。サウンドオブミュージックのトラップ男爵がナチの旗を引き摺り破る気持ちが分かる。



参照:
アホをギャラリーする 2019-08-17 | 文化一般
オープンエアーの季節 2022-07-10 | 暦
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美しい中山での風景

2022-08-07 | アウトドーア・環境
今週もお勤めはこなした。週に10㎞も走れないのが情けないが、回数を一回増やしたのは健康的だ。総合高度差も減っている。久しぶりに摂氏20度以下で走れた。来週あたりかラもう少し運動量を増やしたい。足の調子がよくなれば頂上往復もしたい。

先週の中山への登りでは久しぶりに使っていない筋肉を使った。やはり大きな落差の足場を登るのは走るのとは全然違う。幸い後遺症はなかったが、普段使っていないことに気が付いた。それを鍛えておかないと高山には登れない。標高が低くとも石灰質地盤でそれが経験できたのが良かった。更に頂上岩壁帯はガラ場は短ったのだがルートファインディングを間違うと結構面倒なところに出る。

上から下りて来た親仁が苦労していたのも足場が石灰でつるつるになって覚束なく、手に力が入ってしまうからだろう。長めのストックを上手に使いこなす人ならいいのだろうが、使っていなかった。自分自身もアルプス行にはストックは欠かせないのだが、今回は走ることを目的としたので荷物も殆ど無しで、久しぶりに手ぶらで出かけた。やはり同じようなトレイルランニングシューズを履いていても大分異なるなと改めて思った。

すれ違った婆さんが頂上から主張したという意味もよく分かった。ハイキングだけにしてもアルプスなどでも歩いていた人なのだろう。恐らくアルパイン協会の会員だろう。単独で往復五時間ぐらい歩くのは偉い。

ゴンドラの山上駅からならば頂上往復はそれなりに時間を掛けても家族連れで楽しめるのだろうが、下からとなるとやはり時間配慮しなければいけないからだ。本当に街からのハイカーもいた。個人的には長い時間を掛けて歩くと足が草臥れるので苦手なのだ。

このキムゼーのカムペンヴァントはその頂上の十字架が大きいだけでなく、アウトバーンなどからも目に付きやすいので人気があるらしい。そのことをで直ぐに思い出した山並みとほぼ同一だった。ミュンヘンの環状を出てローゼンハイムの谷に降りていくときのその風景が一番美しい。今迄もザルツブルクに通うときに何回も通っていて、そして今後も何回も通るだろう。最近はキムゼーの北側のアウトバーンも完備していて、今回の定宿のような場合はそちらを通った方が早い。その国道沿いも信号が殆どなく美しい。


夏季の中山にはあまり興味はなかったのだが、こうしてティロルの谷を覗いたりするとやはりそれなりに美しい。そして、音楽祭などの日程と上手に組み合わせることが出来るのもいい。

日曜日のユース管弦楽団演奏会の次はルツェルン音楽祭に二回出かける。二回目は日帰り往復を考えているが、場合によっては何かを組み合わせられないかと考えている。



参照:
下から目立つ大きな十字架 2022-07-31 | アウトドーア・環境
天使が空から降りてくる 2022-08-02 | 雑感

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虹色のバイエルン通い

2022-08-06 | 生活
新聞評が面白かった。それはエアル音楽祭の説明部分だ。そこでMeTooで辞めた前音楽監督時代からのヴァ―クナーの楽劇上演に関してだ。要するにバイロイトのヴァ―クナー祭に対抗しての田舎の程度の悪い上演のことを指す。同様な例はブタペストなど同様な企画で行われている音楽祭の典型であり、そもそも音楽とか芸術に疎いものだから、ヴァ―クナーの楽劇などを漁って訪れる聴衆とショーソンのオペラの聴衆と対照化して揶揄している。

我々が言う要するに芸術的趣味の良さというものだ。それは目標となっているバイロイトの音楽祭でも同様で、趣味の良い音楽ファンにはバイロイトと言えば馬鹿にする言葉となる。要するに趣味も悪く、音楽的程度も低く、芸術的価値が低いことを指す。同時にバイロイトのヴァ―クナー音楽祭はドイツにおいても国民の文化祭的な位置づけがあるので、それはそれで結構なことだ。

そこの作曲家の曾孫のカタリーナが2025年から変革をしていくというような発言をしているようだが、詳しくは今後明らかになっていくことだろう。そもそもカタリーナ・パスキエ姉妹に対して、対抗馬として打って出たおばさんのニケとモルティエ博士は改革を訴えていて、その構想の中には音楽劇場的な改革が含まれていたとされる。

今その流れの顔の一人であるティテュス・エンゲルが2025年に「ローエングリン」でデビューすると仮定すると、一体どのような演出家と何をするかである。昨年はオ―ストリアのアクション芸術家が「ヴァルキューレ」を演出したので既に小さな試みは為されている。「ローエングリン」にへんてこな新曲を沿えて劇場で演奏すれば初の試みとなるが、成功する可能性は殆どない。または「タンホイザー」で外のカメラを利用したりとあったようだが、その様なものも手間だけ掛かってのただの遊びでしかない。音楽芸術的にはエンゲルの腕にかかる。

さて日曜日はウクライナのユース楽団が創立者のオクサーナ・リニヴと共にやってくる。改めて調べると近所とは言いながら最短で走行距離40kmあって、50分ほど掛かる。日曜日の行楽客があるので嫌だが、態々70kmもアウトバーンを使って走って二三分短縮しても仕方がない。渋滞さえなければ燃料代は流石に安いだろう。復路は圧勝だ。

プログラムは、ウクライナのフベレンコの室内交響曲、アルマーシの新曲、そしてプラハ交響曲。ボンからの中継で流れるようだ。

序に年内のネット券を全て印字した。忘れていた予約も二件も済ました。それで手元に9枚も入場券がある。そしてまだ最低二回はミュンヘン往復するのが決まった。今年はザルツブルク行を入れると三回こなしているので、年五回になる。明らかにペトレンコ監督時代よりも増えている。

指揮者エンゲルのミュンヘン登場も大きいが、イザールフィルハーモニーが出来て音楽監督が代わったことも大きいかもしれない。チューリッヒのトーンハレより良ければそれでよい。そして既に来年六月の宿泊などの予約を入れた。ワイン祭りからの避難は重要である。



参照:
禍難の時を踏み越えて 2022-03-31 | アウトドーア・環境
晩夏日和の忙しさ 2018-09-28 | 暦
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エリカ薫る夏の草原の風

2022-08-05 | マスメディア批評
承前)エアル音楽祭でのブラームスのツィクルスがフランクフルターアルゲマイネ紙で評じられた。開催時間変更を余儀なくしたショーソンのオペラと音楽祭自体の紹介と三等分弱の記事であるが、通常は演奏会はこの新聞では取り上げられない。1月にペトレンコが第二交響曲を振っても報じられない、ブラームスツィクルスはガーディナー指揮の其れしか記憶にない。しかし最終日の交響曲四番には触れられていないので筆者も私と同じように翌日はザルツブルクへと回ったか。

幾らかは広報にも寄与した自負はあるが、フランクフルトの支配人が音楽監督であるとか様々な事情もあって、そしてもしかするとバイロイトへデビューも内々に出ているのかもしれない。

さてその批評を先ずは読む。そのあとにより詳細を付け加えれば、その演奏内容を報告できることになるのではないか。

引用始め:

中略。ショーソンとは異なりブラームスはしばしば腑分けされ、引き出しに整理されている、当然の事ながら、あらゆる重要な芸術においては、それは勘違いであるのを兎も角認識すべきである。全くを以て、その意味において指揮者ティテュス・エンゲルとカメラータザルツブルクとの協調を聴く。その中心には、北ドイツ人の四つの交響曲が合唱交響曲部類との烙印が捺されている。同時代音楽の秀逸なプレパラートの作成者であり紹介者であり、同時により多くの従来の世紀のレパートリーへと参入しているエンゲルは、当然、隅から隅まで何千回も繰り返された様な作品に於いて容易に流す筈はなく、四日間に全曲を通すという機会を利用して、それら独自の精神的、音響的なアトモスフェアーを各々対峙させる。

最初に持ってくるという方法で、交響曲一番の荒ぶりをまるで歯を食いしばったように一息で、救いようのないから徒労迄を、しかしそこでは目標が定まり苦悩の祭典とはしない。三交響曲の重ねられたアコードのアウフタクトを全体の動きに於いて、高木が揺れ動く様のように若しくは波の砕波の様相を示すことになるのは、各声部が分析的にその主張が透明に描かれ、テムピが自在に息づきながら流されるからであり、贅肉の無いしばしば殆ど菜食的に、憧憬に満ちたオーボエやクラリネット、ホルンソロによって繰り返し重ねられるからである。

この演奏実践にあたって、指揮者は晩年のブラームスによるマイニンゲンでの演奏実践の資料を調べた。その耳に知覚可能な室内楽的な伝統は、三十人にも至らない弦楽陣での活き活きとした透明性だけではなくて、濁って渦巻くよりも寧ろ軽く終わる交響曲二番のフィナーレでのまるでエリカの薫る夏の風の雰囲気と、それとは全然異なる三交響曲のアンダンテの渋く美しく夢見る心地を想定を超えて近づけた。一時たりとも発見の無い所がない、最高級に快適な聴学習だった。

引用終わり。(続く



参照:
Heidekrautmusik in den Tiroler Alpen, GERALD FELBER, FAZ vom 3.8.2022
オペラ賞ノミネート推薦 2022-08-04 | 文化一般
ムード溢れる環境 2022-07-29 | 音
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オペラ賞ノミネート推薦

2022-08-04 | 文化一般
オペラアワードノミネートに投票した。シーズン最初の2021年9月1日~2022年8月31日までのカテゴリー別ベストを書き込む。聴衆からのそれらも参考にして9月にノミネート選が発表される。

世界の賞なので我々の分からないものも出てくるのだが、過去の受賞を見れば、やはりいいものは選択されている。ニューカムマーとしてアスミク・グリゴーリアンや指揮者のルスティオーニ、演出のロッテデベーアが選ばれている。特に最後のは2017年の「三部作」をミュンヘンで演出したが、既にヴィーンのフォルクスオパーの支配人になっていて、どちらかと言えば企画の人である。ルスティオーニはリオンの音楽監督でミュンヘンに客演しても成程評判がいい。だから押さえているところは押さえている。

先ず指揮者は、疑いようがなくティテュス・エンゲルで、復活祭でしか振らないペトレンコは最早オペラ指揮者としての影響力はない。しかし美術には「スペードの女王」のクリスティアン・フノヤーを推した。演出グループの一人であるが、映像化されたそれを観ても嘗てのジャンピエールポネル時代とはまた異なる美意識を示していて、結構新しいスタイルのように思う。美学的な豪華絢爛としたものだ。ロココシーン以外にも長テーブルにも美意識が感じられた。

演出も「ジュディッタ」のマルタ―ラーで迷いはなかった。「ブルートハウス」のクラウス・グートもよかったのだが、また「マスケラーデ」でのクラッツァーも、「三部作」のロイも「ルードンの悪魔」のサイモン・ストーンも皆実力者である。その中の三人の演出でエンゲルが三つも振っているだけでも彼が音楽劇場における第一人者であることを傍証している。彼の振る新制作に通っていればそれで事済むような塩梅さえある。

バーデンバーデンのコロナ支援についても入れておいた。女性歌手は再びアスミク・グリゴーリアンに匹敵するような歌手はいない。最後に何とか三部作を聴けて大満足だった。

フェスティヴァルに関してはバーデンバーデンしかないが、復活祭とするのを忘れた。生涯成果は、まだこれからだがフリードリッヒ・ハースしかいない。この十年程のオペラ三曲だけでオペラの歴史の頂点に君臨する。この様な名前をどこかに入れない訳にはいかない。男性歌手は見つからなかった。昨シーズンならばカウフマンで良かったのだが、それに匹敵するような歌手は聴いていない。

勿論新制作は今世紀の前半の音楽劇場を代表して金字塔に輝く制作「ブルートハウス」以外にないだろう。最悪、エンゲルが最高の指揮者にならなくても、「ブルートハウス」が選ばれないような賞に何の意味があるのか。残念ながら初日にニューヨークタイムスは来ていなかったか。

オペラカムパニーはシュターツオパーのシュトッツガルトが「ボリス」再演を含めて断トツだろう。再発見にも「ブルートハウス」と敢えてして、「ルーダンの悪魔」を外した。ライジングスターには、「ボリス」を歌ったアダム・パルカで間違いない。既にその活躍の場が広がっている。



参照:
クリスマスイヴの準備 2019-12-24 | 暦
旨味を引き立てる香味 2017-12-26 | 料理
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美学的な豪華絢爛

2022-08-03 | 文化一般
今回のザルツブルク訪問はその大劇場に二十年以上ぶりに足を踏み入れたことになる。最後は覚えていないが、サリアホのオペラではないかと思う。ザルツブルクが嫌になっていかなくなったのではなくて、ヴィーンの副首相故ハイダー博士が少女凌辱を起こしたベルギー人モルティエ監督を追い出したからボイコットしたに過ぎない。

それで久しぶりの大劇場を堪能した。この間私自身も様々な会場を経験していて更にオペラ上演に関してはお勉強させて貰った。だからオペラに必要な要素を学んだ。先ずは視覚的に、フォンカラヤンが大阪の当時のフェスティヴァルホールの印象をもとに舞台からの距離の大きくない客席を実現するために、大阪に倣って横幅15mとして更に扇状に広げることで等距離も実現させた。

今回は特別いい席を配券されたので、バルコン五列目は初めてだった。その視覚的な利点はとても実感された。同じ距離感をミュンヘンやバーデンバーデンで得られるのは特別な座席しかない。勿論安い席だったので、一番端に追いやられたので音響的には若干壁からの反射があったのだが、歌手の歌う向きなどによってであって苦には殆どならなかった。そして高さからしてもテキストは明瞭だった。これもミュンヘンの上階よりは良かった。実際に同じ価格で、ミュンヘンならばバルコンに座れるのでそれはそれで悪くはない。但し眼鏡があってないものだから遠い方のテロップの独語は読めずに近い方の英語で我慢した。

音響に関しては収容人数もバーデンバーデンほど大きくないので、比較的小ぶりな容積乍音がそれほど残るようなことがなく癖はない。日本から来る人などがコンサート会場としては悪いとか評価するのはそうなのかもしれない。その点では昔のフェスティヴァルホールよりもドライだが、ザシムフォニーホールの様に飽和はしない。但し静雑音が大きく喧騒感があるかもしれない。ケルンのフィルハーモニーなどでも似たようなことは聞くので形状上の欠点なのだろう。

オペラ上演上の特徴はその舞台形状であろうが、カラヤン劇場だっただけに平土間がスロープしていて、指揮者がそこからでも見やすい。それは正直今回迄気が付いていなかった。カラヤン指揮ベルリナーフィルハ―モニカーもこんな距離感でやっていたのだ。因みにバーデンバーデンでそれに匹敵する席はサイドのバルコンぐらいか。また、ローゲも使ったことはないのだが、悪くはないとも思った。反対に正面バルコンの最前列は現在はカメラやら照明装置があって決して良くない感じだった。その意味からも今回の席は取り分けよかった。来年も同じようなものを配券して貰えるのかどうかは分からないが、今年はコストパフォーマンスは良かった。


独仏文化放送局Arteが復活祭の「スペードの女王」を流す日程を発表した。8月21日である。メディア発売化などは出ていないので、しっかり観てDLしておかないといけない。出来るだけいい音質で流して欲しい。それに伴って制作会社からトレイナーが出された。それを観て、なによりも映像が美しいのに驚いた。確かに舞台を売春宿に移してネオロココを上手に舞台演出化したので豪華絢爛である。同時にカラヤン時代とは異なる美学的な視点がある。本公演は四回全て通ったが、またカメラは二回しか回していなかったが、音響的には当然のこと映像的にもとても期待される。ザルツブルクとの音響的な利点はこれでも分かるような放映水準を待ちたい。
Festspielhaus Baden-Baden: Tchaikovsky: Pique Dame - Trailer



参照:
音楽劇場指揮者の実力 2022-08-01 | 文化一般
百年祭記念の映像制作品 2021-02-25 | 音
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