紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

もっとレトロな話…小樽運河今昔

2009-04-10 09:00:00 | 日記
小樽観光の中心となっている、小樽運河は、大正12年に完成したといわれています。記録によれば、全長1300m、幅40mの水路となっております。運河は、港湾設備が整っていなかった時代、大型船が接岸できないために荷揚げ用として作られました。

しかし、その後港湾設備が整い、大型船が埠頭に接岸できるようになると共に、運河の役割は縮小して来ました。決定的だったのは、戦後小樽貿易の中心であった、樺太との交易が途絶えたことでした。

更に、太平洋岸の、苫小牧港の整備、発展により、小樽港の荷役量が減少したことでした。これらの要因から、運河方式の荷役スタイルは、衰退して行きました。

もはや小樽運河は、無用の長物と化した訳です。使われない運河は、廃船が沈み、汚泥が堆積し、メタンガスが噴出して、運河不要論、埋め立て論が台頭してきます。私も学生時代よくこの付近を通りました。ヘドロの中をぷすぷすとガスが噴出しているのを見たことがあります。

小樽市も、これらの声に押され、運河全面埋立て・港湾道路の建設プランを発表しました。昭和40年代初めの頃でした。しかし、市民の中に運河を保存する運動が起き上がって、昭和48年に小樽運河を守る会が発足し、市側の全面埋め立てと真っ向から対立したのです。

この運河論争は、一地域に留まらず全国に波及し、約10年間続きました。そして、両者の意見が折り合わないまま、半分埋め立てて半分を残すことで、昭和57年に工事が着工され、61年に今の形になりました。

標題の写真は、運河が半分埋め立てられるということで、昭和55年に、小樽に帰省した際に撮影したものです。(オリンパスOM-1+ズイコー50mm+サクラカラー)
下の画像は最近撮影したものです。撮影場所は、いずれも小樽駅から真っ直ぐ下がってきた中央橋です。(EOS40D+TAMRON18-200mm)

 

55年の画像では、見にくいですが、運河観光の中心地の浅草橋がまだ出来ておりません。右側の建物は様変わりしておりますが、左側の倉庫群は昔のままです。
下の二枚の画像は旧運河を、同じ撮影場所(中央橋)から手宮方面のいわゆる北運河方面を見たものです。(オリンパスOM-1+ズイコー50mm+コダックセイフティフィルム)

 

 

上段の画像では左側から、運河プラザ、飲食店(2F観光協会)、博物館と現在も同じ形を保っております。しかし下段の画像を見ると、かなり多くの倉庫がありましたが、現在ではその数は半分以下でしょうか。多くは取り壊されたようです。下の現在の画像と比較してみてください。ツインドーム(運河工芸館)の建物は旧運河時代にはありませんでいたが立て直されたようです。(EOS40D+TAMRON18-200mm)

 

新旧画像を比較してみると、新しい発見があります。写真って面白いですね。

 
コメント (4)
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