ヴィスコンティの、「ヴェニスに死す」のマーラーは
印象的だったと先日書いたが、何故だか、印象的なの
というか、映画とすぐに結びつくのはクラシックが多
い。
聴き覚えがあっても、曲名が分からないのがクラシック。
自ずと限られてくるのだが、今ぱっと思いつくもので
も、大島渚の「日本の夜と霧」の中で使われたショス
タコーヴィッチの交響曲(勿論のこと、第何番とかは
はっきり分からない)とか、「ルイス.ブニュエルの
黄金時代」(無声映画)の中の、シューベルトの「未
完成交響曲」などが。
これらは、完全に映像とセットで記憶されている。
つまり、記憶の中では、その音楽とそれが流れている
シーンが直結しているのだ。
ショスタコーヴィッチより、シューベルトの方がより
ポピュラーなので、「未完成交響曲」を聴く機会とい
うか偶然耳にする機会の方が多い。
つまりそれは同時に、「黄金時代」のあのシーンを思
い浮かべる機会が多いということも意味する。
今まで何度あの、どこかの海岸での法王だかなんだか
分からない人物の、なんだか分からないシーンを思い
浮かべたことだろう。
「アンダルシアの犬」と同じくダリと組んだ映画なの
で、シュールリアリスティックな悪夢のような映画と
言えば、一番分かりやすいかもしれない。
というか、分かろうとしないほうが良いという映画も、
世の中には存在する、その一つの例として捉えた方が
良いかと思う。
そんなことより、そういう映像をなんどもなんども思
い浮かべるという行為は、少しは脳の活性化につなが
るのか、そちらの方が今となってはより関心ごとであ
る。