アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

そしょく…♪

2014-09-20 13:01:01 | Weblog
早朝、ぐがっ と胃に異変を感じて目が覚めた。
「うあぁぁぁ~、お腹がすいたぁぁぁ~、あ゛ぁぁぁ~
胃のあたりが大きな空洞になったような空腹感。
まずい、これを放っておくと飢餓感に変わり、いずれは、デブのもと
ご飯が炊きあがる時間はまだもっとあとだから…。
ここはひとまずシリアルで落ち着こう。いつもの段取りが数時間早まるだけのこと。
私は、起床後の空腹時にはまず豆乳をかけた“玄米フレーク”をお腹に入れるようにしている。
そうして空腹状態を抜けてからご飯が炊きあがるのを待ち、朝食の支度をするわけです。
メニューはいつもたいして変わらない、変わり映えがしないといえばいえるけど、それでよろしいと思っている。
家庭の、たとえ一人暮らしであろうとも家庭の賄いというものに、ことさらな変わり映えは必要ないと考えている。
もちろん三度三度、毎日毎日レトルトカレーだ、出来合いのコロッケだ、冷凍のハンバーグが続くってのは、いくら変わり映えがないとはいえそれは間違いだ。
要は、おもてなし料理=会席料理、料理屋の料理のような華やかさはなくてもよろしいということなの。
日々の賄いは“そしょく”でいい。
そしょくとは“粗食”と書く。
だから粗末な食事とか貧しい食事を連想しがちかもしれない。
でもね、私は思うのです。
“そしょく”“素食”そして“礎食”なんじゃないかな。
素食の“素”は栄養素の“素”、礎食の“礎”は基礎の“礎”
きちんと栄養素を摂取出来て身体の基礎を作る、そんな“そしょく”が正しいのだと解釈しています。
“そしょく”で身体の基礎がきちんとできていれば、まれにコンビニ飯を食べたくらいでは基礎は揺らがない。
でも日々の食事がファストフードやジャンクフードであった場合、確実にそして早々に身体の基礎は揺らぎ崩壊していく。
ファストフードやジャンクフードこそ、まさに文字通りの“粗食”=粗末な食い物
朝昼夜のどこでもいいから、一日に一度だけでもいいから、きちんとした食事をする。一日に一度が無理なら三日に一度、週に一度でもいい。
どんなに忙しくても、何か一つ、きちんとしているものがあれば、それが自分を見失わないでいられる拠り所ともなるんじゃないかしらね。
“しょくじ”という音は同じだが一つは“食事”と表わし、一つは“食餌”と表わす。
“食事”は食べること、食べて身体を育むことであり、また食をとおして他者と向き合い心を通わせ、楽しみを共有することでもある。
“食餌”とは、字のごとく“エサ”を食べること。本能の領域の作業であって知性や教養とは関わりないもの。
ま、これは私の勝手な解釈ですけどね
あぁ、“食餌”だって間違いではないんですよ、体を肥やすから。牛さんも豚さんも食餌してるでしょ
可能な限り、自分が摂るのは“食事”でありたい、と思った朝でした。
よっぽどお腹が空いてたんだわねぇ
コメント
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