■ 「朗読者」の映画化 ■
以前、このブログでも取り上げたベルンハルト・シュリンクの
「朗読者」が映画化されました。
原作を読んだ後に映画に行くと、だいたい失望します。
「愛を読む人」というタイトルからして、ベタ過ぎるタイトルです。
原題は「The Reader」。
小説の日本語題の「朗読者」はストイックで素晴らしい題名。
「愛を読む人」では、何だかハーレクイン・ロマンスみたい・・・。
しかし、映画も広告用のスチルが悪くない。
「ベットに裸で横たわり、本を読む少年と、金髪美女。」
今、この文を読んで、ベットの真上からの映像を想像された方は
かなりエッチな方か、ヨーロッパの文芸系エロ映画に毒された方でしょう。
「愛を読む人」のスチルは、裸の二人を正面から捕らえています。
さらに、二人はうつ伏せ。
エロティックというよりが、親密さが伝わる写真です。
これは、作品の内容の良さを端的に表現しています。
もし、全裸の二人を真上から捕らえた写真で、
腰の辺りにシーツでも掛かっていたら、絶対に観に行かなかったでしょう。
■ 15歳の「ぼく」とハンナの関係 ■
15歳の「ぼく」は、街頭で嘔吐をしている所を
中年女性のハンナに助けられます。
ハンナの着替えを覗いてしまった「ぼく」は、
本能に導かれるままに、再度ハンナの元を訪れ、
二人は肉体関係を持ちます。
ただ、ハンナは「ぼく」に本の朗読をせがみます。
「オデッセイ」を、「チャタレイ夫人の恋人」を、
「犬を連れた奥さん」を、「ドクトルジバゴ」を、「ぼく」は朗読します。
しかし、ハンナは突然、「ぼく」の前から姿を消ます。
次にハンナを見つけたには、ナチの戦犯として被告席に座る彼女でした。
法廷で、「ある事柄」を隠す為に、ハンナは不利な状況に追い込まれます。
その「ある事柄」とは・・・。
ここからはネタバレになるので止めにします。
興味のある方は、本屋さんか、映画館にGO!!
■ 本の悦楽 ■
「朗読者」=「愛を読む人」は、本を愛する人の為の作品です。
作品の中にちりばめられた、作家や書物の題名だけで、ドキドキしてきます。
主人公「ぼく」(映画ではマイケル)の朗読を「音」で聞く事で、
ハンナの気持により近くなれます。
残念ながら、映画は英語ですが(ドイツ語の硬い響きで聞きたかった・・)、
耳をくすぐる、数々の名著の一説には、心揺さぶられるものがあります。
学生時代に無理して読んだ本も多く、その多くは記憶の底に埋没していますが、
改めで、朗読という形で聞くと、なんと甘美に耳に響く事でしょう。
(ただ、英語の語感が新鮮なのと、俳優の声が素敵なだけですが・・。)
この「朗読」を聴くだけでも、この映画は観る価値があります。
■ 「観る」より先に「読んで」欲しい ■
願わくば、映画を「観る」より先に本を「読んで」欲しい。
(映画は、原作の世界を全く裏切りませんので、安心下さい。)
小説の後書きにもありましたが、
原作者のベルンハルト・シュリンクは、この小説を二度読んで欲しいそうです。
私は一読して、歴史認識の多層性に感銘を受けました。
恋愛小説としても、心ときめくものがありましたが、
法学者でもある作者が、現代の視点から、
ナチの戦犯法廷を再評価している点に興味を引かれました。
一読した限りでは、ハンナというナチの戦犯を擁護している様にも感じられました。
ところが、映画は、ナチの戦争犯罪を徹底的に突き放して描きます。
主人公の「ぼく」は、ナチの戦争犯罪とハンナへの気持の間でゆれ動きます。
映画では、「ぼく」の「朗読」を、ユダヤ人の娘達の「朗読」に
より一層シンクロさせる事で、ナチの戦争犯罪に対する安易な解釈を否定します。
■ 「ぼく」はハンナを許したのか ■
映画を観て、今、気になるシーンを原作で読み返しています。
「読書百遍、意自ずから通ず」だなと反省しています。
本来なら、何回か読み返して、会話の一語一語の意味に気付くのでしょうが、
映画は実に慎重に、そして雄弁に、我々の理解を高めてくれます。
映画化には、原作者の「思い」も託されているとい思います。
一読された方も、もう一度、「映画」で再読される事をお勧めします。
その際、ハンカチはお忘れなく。