人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

ゆっくり読みたい・・・「猫を抱いて象と泳ぐ」

2009-07-11 03:49:00 | 


■ 芥川賞作家ながらダメにならない小川洋子 ■

芥川賞を受賞するとダメになる・・・。
これは世の常識の一つではないかと思います。
人気作家が受賞する直木賞に比べ
純文学に近い作品に与える芥川賞の受賞者は、
コンスタントに一般受けする作品を書き続ける事が難しいので
当然と言えば当の現象です。

しかし、小川洋子は例外的にコンスタントに良作を発表し続けています。
「博士の愛した数式」の映画が素晴らしくて、
小川洋子の小説を手にした方も多いと思います。

■ 最新作「猫を抱いて象と泳ぐ」・・・ちょっとネタバレ ■

「猫を抱いて象と泳ぐ」は小川洋子の新作です。

主人公は生まれながらに唇が癒着しています。
出産直後に医者によって、唇が切開され、スネの皮膚が移植されます。
出来上がった唇にはスネ毛がサワサワと生えています。
唇がくっついている事が本来の姿であったので、少年は無口です。
小学校では当然いじめられます。

主人公はある事件をきっかけに、バス会社の寮の管理人と知り合います。
彼は廃バスを改造して、猫のポーンと共に優雅に暮らしています。
管理人の趣味はお菓子を作って食べる事。
だから、管理人は恐ろしく太っています。

管理人のもう一つの趣味は「チェス」。
管理人は少年にチェスを教えます。
少年は管理人をチェスのマスター(師匠)として慕い、
いつしかチェスの才能を開花させていきます。

初めて少年がマスターに勝った時、
少年はチェステーブルの下に潜り込み、
猫のポーンを抱いて、盤下から次の一手を考えます。
そして、その後、それは少年のチェスのスタイルとなります。

少年は中学を卒業しても大きくなりません。
それは、少年が大きくなる事を恐怖しているからです。
大きくなりすぎて、デパートの屋上から降りれなくなった象のインディラ。
大きくなりすぎて、少年の家と隣の家の隙間から出れなくなったと少年が夢想する少女ミイラ。
大きくなりすぎてバスから出る事の出来なくなったマスター。
少年にとって大きくなる事は恐怖であり、
又、チェステーブルの下に潜れなくなる事を意味します。

チェス盤の下に潜り込む少年のスタイルは、チェスの世界ではルール違反です。
少年は公式なチェスの試合が出来ません。

しかし、少年の才能に目を付けたパシフィックチェス倶楽部の事務局長は
少年に一つの提案をします。
それは、機械仕掛けの人形の一部としてチェスを指す事。
チェスの神様のアリョーヒンをかたどった機械仕掛けの人形を操作するのに、
少年の小さな体は、うってつけでした。
そして、少年のたぐい稀なるチェスの才能は、
倶楽部の会員達を満足させるものでした。

こうして少年は、チェス人形の「リトル・アリョーヒン」として、
チェスの裏世界に身を投じていきます。
リトル・アリョーヒンは美しい詩の様なチェスを指します。
それが評判となり、多くの人達がリトルアリョーヒンと対戦します。
素人もいればプロ級の人もいます。
リトルアリョーヒンはそれらの人達と、チェスを通して会話し、
棋譜の上に美しい詩を織り上げていきます。

しかし、リトルアリョーヒンが表の世界に現れる事はありませんでした。
そしてリトルアリョーヒンは・・・・。

■ 海外小説としての小川洋子 ■

「猫を抱いて象と泳ぐ」というタイトルからチェスを想像する方はいないでしょう。
意味不明な題名です。
何だか海外の翻訳小説の様な台題名です。

確かに、「猫を抱いて象と泳ぐ」は海外の小説と言われれば信じてしまいます。
先ず、文体が翻訳文体です。
一度、英語で書いてから、翻訳したのでは無いかと思わせるような、
一種の律儀さを保った文章で構成されています。

小説の構造も、ある種の律儀さを持っています。
大きいことと小さいことの対比。
チェスという碁盤の目の様な、規律された世界。
小説は、これらの規律を外れる事無く、静かに進行していきます。

これらの手法は80年代のアメリカのミニマリズムの作家に散見されます。
ポール・オースターあたりの名前がふと頭に浮かびます。
又、少年の世界を描いているので、ステーブン・ミルハウザーにも近しいものを感じます。

しかし、ルールを偏愛するのは、小川洋子の個性なのでしょう。
「博士の愛した数式」では、「数式」が博士とルート親子を繋ぎ止めます。
「猫を抱いて・・」では、チェスの構造が、物語と不可分なものとなっています。

■ ゆっくり読みたい良作 ■

海外では珍しくない「構造美」に貫かれた、抑制の効いた作品です。
最近の若い作家も、ルールの外挿という手法を多様しますが、
作品はエッジが立っていて、物語の展開もスピード感を重視します。

一方「猫を抱いて・・・」は、ゆっくりとした時間が流れています。
人生の終末に漂う小休止のような時間の中で、
リトルアリョーヒンの成長しない成長が進行していきます。

ゆっくりと読みたい本です。