■ 思春期特有の病 ■
「中二病」あるいは「厨二病」という病気をご存じでしょうか。
主に思春期の若者に発生する病気で、
自分が他人と違う特別な存在であると思えたり、
世界の真理に気付いているのは自分だけだと思い込む症状が見られます。
「・・・って、まんまお前じゃないか!!」と突っ込んだアナタ!
よーく自分の過去を振り返ってみましょう。
あなた、ノートの隅に、ポエムなんて書いてませんでした?
ヒーロになった自分を想像してにニヤニヤした事ありませんか?
モデルガンをコレクションして、近所の猫を狙撃していませんでしたか?
まあ、症状の差こそあれ、思春期には誰でも一度は罹ると言われる「中二病」。
語源は1999年に伊集院光がラジオの番組中に、
「自分は未だ中二病に罹患している」と発言した事によるそうです。(by Wikipedia)I
「思春期特有の自意識過剰やコンプレックスによる妙な言動傾向」が元の意味合いです。
しかし、ネットの中で使われ出してからは、意味が徐々に変化して
現在では年齢に関係なく「空気が読めない稚拙な言動」をする人物を
「中二病(厨二病)」と揶揄する事が一般化しています。
■ 『中二病でも恋がしたい』はイタオモシロイ ■
誰でも、自分のかつての稚拙な言動を思い出して赤面する事があるでしょう。
そんな「中二病」ですが、罹患者はその自覚が無いのが最大の特徴とも言えます。
会社の会議でで空気を読まずに正論を長々と語ったり、
居酒屋で出て来たワインの銘柄について得々と講釈してみたり、
昼飯時に、安倍政権の財政拡大路線の危険性を辛辣に批判したり、
まあ、社会人でも中二病は時として発症しますが、
本人に自覚が無いのが最大の問題とも言えます。(って、俺の事か?)
周囲には何なと迷惑な「中二病」ですが、
寛大な心を持って観察すると、これがなかなか興味深かったりします。
そう、中二病は意外と「イタオモシロイ」のです。
今期のアニメ『中二病でも恋がしたい』は、
そんな「イタオモシロイ」を存分に堪能できるチャーミングな作品でした。
■ 中二病まっただ中の女子と、中二病を卒業した男子 ■
小鳥遊六花(たかなしりっか)は小柄でシャイな高1女子。
彼女の右目はいつも眼帯に覆われています。
そう、彼女こそ「邪王真眼の使い手」、
そして彼女の魔具は「シュバルツゼクスプロトタイプマークII」。
・・・但し、これは彼女の脳内イメージ限定です。
実際は眼帯の下にはカラーコンタクトレンズ。
腕には、いつも包帯を巻き、
「シュバルツゼクスプロトタイプマークII」は単なるワンタッチ式折り畳み傘です。
可愛いけれど、とっても「中二病」の六花が何故か懐いているのは
クラスメイトで、団地の下の部屋に住む富樫 勇太(とがし ゆうた)。
実は彼こそが、「ダークフレイムマスター」を名乗る闇の魔王。
尤も、勇太は既に「中二病」を卒業し、
かつての自分の姿を知られないが為に、家から少し遠い高校に進学します。
そんな勇太にとって六花はかつての自分の姿を見せられる様でツライ。
だから、勇太は六花と関わりたく無いのですが、
どういう訳か六花のペースに巻き込まれ、
「極東魔術昼寝結社の夏」なる同好会に入る羽目に。
いつしか、勇太はすっかり六夏の世話係となってしまったのです。
そして、今日も六夏はベランダのロープを伝わって、勇太の部屋にやって来ます。
■ 中二病の「脳内イメージ」と「現実」のギャップに思わず吹き出す ■
このアニメ、今季のアニメの中では戦闘シーンが一番カッコイイと評判です。
「普通の学園ラブコメに何故に戦闘シーン??」とお思いでしょうが、
六花が眼帯を外して「爆ぜよリアル、弾けろシナプス」と詠唱した瞬間、
世界は闇の支配に屈し、魔法がさく裂します。
・・・彼女の脳内イメージでは・・・・。
実際に六花と彼女の姉のケンカは、折り畳み傘と台所のオタマによる攻防ですが、
六花の脳内イメージでは、魔法を駆使した壮絶なバトルとなるのです。
いきなり魔力による壮絶バトルが始まった時には
「エー、六夏って本当に魔力の使い手だったのーーーー!!」ってビックリしましたが、
その落ちは、オタマで頭をポコン・・・・。
このギャップはたまりません。思わず、ゲラゲラ笑ってしまいます。
■ 現実世界を中二病的に変換する面白さ ■
この作品の面白さは、現実世界を中二病がどう翻訳するかという面白さにあります。
とにかく、身の回りの出来事も、道具もどんどん脳内変換されてしまいます。
「難しいテスト」は「闇の世界の陰謀」。
「野良猫」は、羽を付けられて「キメラ」に変身。
玄関の扉に「電卓」を貼り付け、「オートロック」。
LEDイルミネーションを床に貼って、「魔法陣」。
「ローラーシューズ」を履いて「高速移動」。
「電車が通過」すれば「風を起した」。
数え上げればキリが有りません。
をれをいちいち勇太がツッコムから、さらに面白い。
■ 小さいけれど「大事な世界」を守る為の魔法 ■
六花が「魔法」や「不可視境界線」に拘るのには訳があります。
彼女は父親の病死を受け入れられないのです。
ですから、自分の空想の世界に逃避して、
父は「不可視境界線」の彼方できっと生きていると自己暗示を掛けています。
彼女とて、それが自分の幻想だという事は知っています。
しかし、そう思い込む事、信じる事でしか父親の死と向き合えないのです。
■ 「普通の事」「小さな事」を大事にするアニメ ■
折り畳み傘が、魔装道具になるなど、とにかく針小棒大なイメージの「中二病~」ですが、
実際は、「小さな事柄」を愛おしく思う気持ちで溢れています。
六花が彼女のコダワリで集めたガラクタに寄せる思いを勇太も共感します。
大人なら「そんなバカな事」と切り捨てる事も、子供にとっては大事な事なのです。
かつての勇太と同様に、中学時代中二病を患ていた
クラス委員の丹生谷 森夏(にぶたに しんか)は、
六花に表面的には醒めた視線を送りながらも、
その実、六花の最大の理解者です。
中二病的に歪曲された六夏の恋を全力で応援する姿には心温まるものがあります。
そこには、友人を思うささやかな友情がしっかりと存在します。
実は中二病を患う様な子供(大人も)は、繊細な神経の持ち主です。
現実と直接対峙すると、壊れてしまいそうな心を、
偽装の人格と、偽装の世界によって守っているだけなのです。
部屋に転がるガラクタも、偽装の世界を支える重要なアイテムなのです。
■ あくまでも六花の「小さな世界」を描き続けて成功した作品 ■
視聴者や読者の興味を引くために、
派手な演出やストーリーになりがちな日本のオタク作品にあって、
「けいおん」で名を馳せた 石原立也は、
あくまでも六花の「小さな世界」に拘ります。
所謂、「日常系」に分類される作品ですが、
脳内イメージシーンを適度に挟む事で、
作品がコジッンマリとする事を防いでいます。
「だから何?」と言われたら、それまでの作品ですが、
なんだか心が「ホッコリ」する、その生温かさを肯定するならば、
今期1位2位を争う、良質な作品であるとも言えます。
■ 「直る中二病」と「直らない中二病」 ■
思春期特有の「中二病」は、気が付けば直っている事が多い様です。
心の成長と共に、ヒトは世界を有りのままに受け入れる様になるのです。
それこそが、大人に成るという事なのでしょう。
一方、大人になってからも「中二病」は発生します。
この「晩成中二病」は、治療の難しい病気です。
原因はリストラや就職浪人の様な「社会的ストレス」ですが、
「晩成中二病」の罹患者は、ネットの中でその症状を露わにします。
尊大になって、他人を徹底的に攻撃したり、
中国や韓国を蔑視したりする事で、
自我を肥大化させて行きます。
しかし、肥大化した自我は、社会と接触すれば無残にも潰されてしまいます。
ですから、晩成中二病患者達は、社会との接触を嫌い
そして、社会では大人しい人の仮面を装着します。
「それはお前だろう」と言われてしまいそうですが、
バーチャルなネット空間の成長は、
多くの中二病患者に、居心地の良い住処を提供しています。
そして、スマホの普及により、ネットの世界が現実を浸食し初めました。
多くの若者が、誰かとリアルコンタクトしている最中でも、
バーチャル空間とコミニュケーションを取り続けます。
これが異常な事なのか、それとも人類の未来の姿なのか分かりませんが、
少なくとも「中二病でも恋がしたい」の登場人物達は、
リアルの世界でで必死に繋がり合おうとして努力していました。
「ネットを捨てて街に出る」。
これこそが、「晩成中二病」の唯一の治療方法なのかも知れません・・・。
何だか小難しい話になってしまいしたが、
このアニメ、とにかく六花ちゃんがかわいいのです。
実在していたらかなりイタイ子ですが、
アニメの中では輝いて見えます。
お正月、暇で暇でしょうがないというアナタ。
TSUTAYAで借り手きたら、思う存分「初笑い」する事間違い無し。
エッチなシーンも無いので、ご家族で是非!!