■ 技術会社SONYの落日 ■
SONYの決算は良くも悪くも今後の日本の家電産業の行く末を暗示しています。
甘利氏は「SONYの一人負け」と表現していますが、SONYもPanasonicもSHARPも同じ道を歩んでいる様に見えます。
彼らの陥った落とし穴は「技術信仰」。
「進んだ技術は善であり、消費者は優れた技術にはお金を惜しまない」
これはある意味において真理ではありますが、消費者のお金は有限なので、この真理が適用されるのは裕福な人達限定となります。
日本の家電企業は、町工場からスタートして技術を積み上げ世界的企業に成長してきました。始めは「安かろう、悪かろう」という製品しか作れなかった工場が、戦後の内需に支えられて成長して行く過程で、技術や品質を極める事で、雨後の筍の様な企業を淘汰してブランドを確立して行きます。
冷蔵庫もTVも電気洗濯機も戦前には存在しませんでした。国民は所得の多くを「三種の神器」などと呼ばれた家電品購入に充てます。当時としては決して安い買い物ではありませんでしたので、これらの商品を製造る企業は利潤率が高く、やがては潤沢な研究開発費を投入できる様になります。
こうして、他社より優れた技術を確立した者が生き残り、経営を拡大します。まさに「技術」こそが成長の原動力だったのです。
■ 安い円によって世界市場を席巻した ■
この時期、円は1ドル360円から240円で推移しています。アメリカから見れば新興工業国日本の製品は米国製品よりも格段に安く、技術も段々と向上していったので、ドイツと日本の家電品はアメリカの家電品メーカーを駆逐して行きます。
アメリカのRCAは初めてカラーTVを開発するなど高い技術力を誇っていましたが、その技術を日本法人を通じて日本の企業にパテント供与していました。結果的に安い日本のTVに負け、RCAは親会社のGEに吸収されて消滅しました。
これは正に、現在の日本と韓国、あるいは中国の関係であり、製造コストの安い国に技術移転した結果、製造コストの高い国の工業製品は淘汰されます。
一方で、アメリカの国民は安くて性能の良い輸入品を大量に購入して生活レベルが向上します。
■ ウォークマンの成功から抜けられなかったSONY ■
戦後、通貨の安い国は日本やドイツに限りませんでしたが、日本やドイツが工業立国に成り得た背景には、日本人やドイツ人が真面目で、細かな事に拘る性格が無関係では無かったはずです。
工業製品は精度が品質に大きく影響しますから、他国の工業製品よりも精度の高い物を作れる事は競争上優位です。日本やドイツは妥協を許さない品質を「善」として成長を続け、世界の工業製品市場を席巻します。
しかし、先進国がある一定の生活レベルに到達すると、家電製品の市場も飽和します。他社と違う何かを提案する必要が生まれたのです。
ここでカセットテープレコーダーに着目してみます。
音楽用のテープレコーダーはオープンリール方式からスタートしますが、取扱いがデリケートで大型であった為、コンパクト化してケースの中に収められる様になります。所謂、カセットテープと呼ばれるものですが、最初は様々な形態の物が乱立します。しかし、次第にフィリップスが開発したCカセットに統一されて行きます。パテントを公開していた事もシェア拡大に貢献しました。
Cカセットは1970年代から普及し、最初は据え置き型のオーディオセットに、そして次第に手軽さからラジカセへと活用される様になります。自分で好きな曲を編集する事は現代としては当たりまえの事ですが、レコードの時代にはカセットに録音する事で初めて編集が可能でした。
カセットと安価で小型なラジカセの普及は、音楽を家の外に持ち出せる物へと変貌させます。
そうなると次に消費者は、もっと小さな携帯用カセットプレーヤーが欲しくなります。SONYは元々、デンスケと呼ばれる高性能な小型カセット録音機を得意としていました。このデンスケから録音機能を省略して小型化をすれば、小型の携帯用カセットプレーヤーが作れます。
1979年の初代ウォークマンTPS-L2は1979年に発表されますが、私自身はそれ程小さいとは思いませんでした。
ビックリさせられたのは2代目ウォークマンでした。
これは明らかにデンスケとは異なる何かでした。iPodを始めて見た時と同じ衝撃を持っていたと思います。ウォークマンは世界的なヒットとなり、世代を重ねる毎に小型化して行きます。各社がこれに追随しますが、ウォークマンはデザインも性能も常に一歩リードしていました。壊れる頃に新製品が登場するのも絶妙です。耐久性の設定が製品の開発サイクルに見事にシンクロしていました。
ウォークマンの成功は「小型高性能」こそが日本製品の最大の武器という神話を確立したと思います。「軽薄短小」が時代のキーワードになりました。
その後の日本の製品の開発コンセプトには「小型高性能」が必須になります。
■ 姿を失って失敗したSONY ■
その後、デジタルオーディオの時代に突入しますが、ここでSONYはAppleの後塵を拝する事となります。
その敗因の一つが「小さくし過ぎてしまった事」
SONYはウォークマンの成功体験から、携帯音楽プレーヤーは小さい方が売れると思い込んでいました。ですから、技術の粋を結集してとにかく小さなプレーヤーを作りました。
一方Appleは液晶画面の表示機能と操作性を重視しました。
携帯端末としてはデジタルプレーヤーは既に十分な小ささでした。これをさらに小さくする事でSONYのプレーヤーは液晶表示を最低限の大きさにして、さらに操作性を犠牲にしました。
これに対してアップルは操作性と情報表示を重視します。
そして何よりもハードディスクによって容量を大きくした事で、他の先行するデジタルプレイヤーとの差を明確にしました。iPodは部屋で音楽を聴く環境をそのまま外に持ち出せる様にしたのです。その為には膨大な音楽ライブラリーから好みの曲を見つける為の表示画面や操作性は不可欠でした。
結果的にSONYのプレーヤーは「小型だけれど容量も小さい」事で単なる小さなプレーヤーでしか無く、一方、iPodはハードディスクの「量量の大きさ」のメリット、デジタル技術の「小型化のメリット」の折衷点を上手に見つけて、携帯プレーヤー以上の物へと進化して行きました。
デジタル時代のウォークマンとiPodの勝敗の最大の原因は、著作権に対する扱いにある事は疑い様はありませんが、この事ばかりが注目される事で、プロダクト戦略の失敗にSONYの開発陣が気付くのが大きく遅れたのでは無いかと私は妄想しています。
「小さい事が善」というウォークマン神話は、究極の小ささの携帯プレーヤーを生み出しましたが、同時にそれはプロダクトとしての終焉を意味していたのでは無いでしょうか。
■ iPodの実力はiTunesの実力 ■
もう一つ、SONYの敗因があるとすれば、iTunseを作れなかった事でしょう。
ここでも音楽のネット配信というアキレス腱が影響はしていますが、音楽管理ソフトとしてのiTuneの便利さと楽しさは他を圧倒しています。
決して新しい技術では無いのですが、音楽を楽しむ人の身になってソフトが作られているので、痒い所に手が届きます。
そして、ダウンロードで自由に音楽が手に入る手軽さは、それを禁じられていたSONYとの差を決定的にします。
■ 文化の主導権を失う怖さ ■
SONYの現在の苦境の原因は決してウォークマンの失敗に起因している訳では有りません。TV部門の衰退が最大の原因です。
一方で、若者でも気軽に手に入る携帯音楽プレーヤーはマスマーケットであると同時に、一つの文化とも言えます。
かつてSONYはウォークマンで文化を作り出し、現在その座をAppleに譲り渡しています。Appleは、iPodで培った画面タッチの操作性を活かしてiPhoneを開発し、スマートフォン市場という大きな果実を手に入れました。
iPhoneの成功は、iPodという「文化」の延長線上のあります。
そしてAppleはPC上のでiPhoneのプラットフォームをiTunsにする事で文化の統一と継承に細心の注意を払っています。
SONYにとってTV事業は会社の根幹です。しかし、現在の若者はTVを見る時間よりもスマホを操作している時間の方が長いかも知れません。こうして、事業の主軸と文化の主軸がズレていった事が、文化を武器とする企業であったSONY衰退の最大の原因となったのかも知れません。
SONYは技術に拘るあまりに、自分達が何故支持されていたかの理由を見失ってしまったのでしょう。
■ 商品サイクルが早くて利潤率の高い商品は儲かる ■
韓国や中国との間で価格競争が激化した薄型TVは既に利潤率の少ない商品です。普及価格帯の商品を一台売っても大して利益は出ません。その一方で、商品が大型なので製造ラインの設備投資は安くはありません。
さらに、TVは一度購入すれば10年は買い替えないので、商品のサイクルが長い。結局、販売量に限界があるので、一定のパイを奪い合って利潤率はどんどん低下して行きます。現在ではサムソンですらTV事業で利益を出す事は難しくなっています。
一方、スマートフォンは小型なので製造ラインも安く、さらに人気商品は値崩れしないので利潤率が高く確保出来ます。さらに、商品のサイクルが早いので、買い替え需要が常に発生します。
こうしてTV事業は儲からない事業に、スマホの勝ち組は(Appleやサムソン)儲かる事業となって行きます。
当然、事業の主軸であるTV分野の利潤率の低下は、日本の家電産業の体力を一気に奪う事になりました。
■ 日本の家電産業の未来 ■
だいぶ悲観的な記事になってしまいまいしたが、それでは日本の家電産業に未来はあるのでしょううか?
韓国や中国が技術力を高めて行く中で、彼らは潤沢な開発費を投入出来ますが、日本の企業は開発費を削らざるを得ません。この差はボイディーブローの様にジワジワと効果を表して来ます。
PanasonicやSHARPの業績が回復している様に見えますが、リストラによるスリム化で改善しているだけで売り上げが伸びている訳ではありません。むしろシェアの奪い合いによる安売りで体力を消耗しています。
結局、従来の家電製品という枠組みで日本の家電メーカーの復活はあまり望めません。ただ一つの生き残る道は、本社や開発部門も含めてアジアに移転する事です。日本の技術開発の伝統と、アジアの安くて豊な人材を活用すれば、日本の家電企業は再び世界を席巻するかも知れません。しかし、それには「日本国内の雇用」という重荷を下ろす必要があり、この決断が遅れた企業から淘汰されて行きます。
もう一つの生き残りの道は、大企業を一度バラバラに解体して、生き残った分屋がそれぞれ成長して行く道です。医療分野に期待が寄せられていますが、家電に比べて圧倒的にパイが小さいので、現在の企業規模を維持する事は出来ません。
多分、日本の家電企業はこのままジリジリと衰退を続け、好むと好まざるとに関わらず、バラ売りされ、新興工業国の資本がこれらを吸収して行くはずです。
これは、かつて日本とアメリカの間に起きた事であり、世界の経営者の描くロードマップなのでしょう。
最後に、iPhoneもipodも中国製品であるという意識が日本人には欠けています。技術移転の結果とは言え、日本は既に情報家電や携帯電話の分屋で中国に負けているという事実を認識する所から、私達は再スタートする必要があるのでしょう。