習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』

2010-07-05 20:18:17 | 映画
 これはもうイベントムービーだ。だが、それはこの映画を貶める言葉ではない。事実は事実として受け止め、その中でやれることをやるのが大事で、本広克行監督は冷静にこの超大作をドライブしている。とても立派だ。ファンの期待にこたえることは当然の責務だが、それだけではない。この映画に関わったスタッフ、キャストはみんなこの「踊る」の世界が大好きなのだ。だからこの世界を大事にしながら、でもそこに甘えることなく映画を作り上げる。こういうプロの仕事を見ると、なんだか嬉しくなってくる。

 織田裕二は青島刑事のことが大好きだ。だから、この企画に二の足を踏む。自分たちの作った「踊る」の世界がルーティーンワークになることを恐れる。だが、この企画に於いて新機軸なんて、意味はない。常に同じでなくてはならない。だって彼らは湾岸署の刑事で、警察の仕事はいつの時代になろうともその本質は変わらない。変わったりしたらそのほうが怖い。「踊る」の世界観を引きずりながら、そこに新しいものを盛り込み、でも観客にはいつも同じという安心を楽しんでもらう。それが娯楽映画の使命だ。当然のことながら、それはいいかげん疲れる作業だ。しかもこれは日本映画界の興行記録を塗り替えた空前絶後のモンスター映画である。だが、そんなプレッシャーをものともしない。

 この映画は、それだけの期待を背負って作られねばならない。凄まじいことだ。そして、映画はそんな様々な思惑を秘めながら2時間21分の大作として完成した。だいたい「踊る」の世界は実に卑小なもので、大作映画とは相容れないものだった。だが、この小さな世界はたくさんの人たちの支持を受け巨大なものに膨れ上がった。もう誰にも止められない。

 今回は湾岸署が新庁舎に引っ越しする日の話である。そんな日に最悪の事態が起きる。凄まじいスケールの《凶悪犯罪》と、日常的な風景である《お引っ越し》、それが同時進行で描かれていく。この引っ越しのさなかの3日間が今回の映画の舞台となる。映画版はいつもこのパターンだ。TV版の1話完結とは違う切り口を提示しなくてはならないし、もうこれはあの日常の風景を描くTVシリーズではない。だが、あのドラマが描いた世界なくしてこの作品は存在しない。

 基本に忠実に作ろうとしている。初心を引き継ぎ、その先に今がある。係長になっても、青島刑事は変わらない。熱血で、トラブルメイカーだ。今回再び小泉今日子を対極に据えて、青島との対決を見せる。彼女の存在感がこの映画を支える。この作品の性格上、犯人サイドからのドラマは作れないから、彼女のようにキャラクターが立った相手がいなくては映画が動かない。上手い選択だ。

 閑話休題。青島たちは仕事が大好きだ。ここの仕事はきついけど、彼らはこの仕事に誇りを持っている。だが、それは正義感とかとは、微妙に違う。職場に来て、事件を追って、くたくたになりながらも、充実している。このシリーズの面白さはそこに尽きる。朝から晩まで仕事をして、いつもカップめんばかり食べている。(ご飯を食べる時間もない)でも、不満はない。職場に行けばいつもの仲間がいて、冗談ばかり言ってる。日常としての警察をリアルに描くのが「踊る」の身上だ。そこを引き継がなくては意味はない。事件は日常の中で起きている。人々の生活の中に入っていくことが基本だったのだ。

 なかなか映画版はそういう展開は作れない。大きな事件がなくては、映画にならないからだ。でも、この背後にはたいした事件もない、いつもの時間がある。そこをちゃんと背景にしてあるのがいい。もちろんそんな生易しいものではないことはわかってる。でも、心地よいルーティーンワークの繰り返しの中で、人は生きている。それが犯罪を相手にしたものであろうとも、である。そこを忘れないから感動できる。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Gフォレスタ『誰もが自分を... | トップ | ボヴェ太郎舞踊公演『消息の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。