『伊勢物語』の東下りを題材にした能の『杜若』をボヴェ太郎のダンスによって見せていく。7人の能楽師を従えて、アイホールに作られた特設能舞台で舞うボヴェ太郎の美しさに魅せられる。
とても現実とは思えない美しい空間がそこには立ち現れる。この夢幻の世界に酔う。回廊式の空間。少し傾いだ舞台。正面から見ると幾分斜めに設置されてある。闇の中からそれが浮かび上がる瞬間の興奮。下手から4人の囃子方が登場する。やがて、始まる謡い。3人の謡い方が上手から登場する。だが、いつまで待ってもボヴェ太郎は現れない。
かなり長い時間が経ってから、手前下手に忽然と現れる。そしてゆっくりと舞台周辺の廊下を歩いていく。4分の3周したところで、舞台の上にようやく立つ。能のスタイルをそのまま踏襲した。だが、能舞台を正確に作るのではない。優れてアレンジされた空間と設定は、スタイリッシュかつシンプルで美しい。そこに立つボヴェ太郎の美しさはそれすら凌ぐ。
彼はほとんで動かない。静かに静かに舞う。ある時は杜若の妖精となり、やがては在原業平の悲しみを体現する。ここにドラマを見る必要はない。もともとコンテンポラリーダンスというもの自体が、物語ではないのだし。
いつものようにボヴェさんの指先にまで研ぎ澄まされた彼の想いがとどまる。その繊細な動きをみつめていく至福を噛みしめる。理屈ではなく魂が共鳴する。そんな瞬間が味わえる。最高の舞台だ。
最後に再び闇に消えていく彼の姿を噛みしめて劇場を去る。(時間の都合で志賀さんとのアフタートークが見れなかったのは残念だったが、余韻を噛みしめながら現実の世界にいきなり出てこれたのは、それはそれでよかったかもしれない。)
とても現実とは思えない美しい空間がそこには立ち現れる。この夢幻の世界に酔う。回廊式の空間。少し傾いだ舞台。正面から見ると幾分斜めに設置されてある。闇の中からそれが浮かび上がる瞬間の興奮。下手から4人の囃子方が登場する。やがて、始まる謡い。3人の謡い方が上手から登場する。だが、いつまで待ってもボヴェ太郎は現れない。
かなり長い時間が経ってから、手前下手に忽然と現れる。そしてゆっくりと舞台周辺の廊下を歩いていく。4分の3周したところで、舞台の上にようやく立つ。能のスタイルをそのまま踏襲した。だが、能舞台を正確に作るのではない。優れてアレンジされた空間と設定は、スタイリッシュかつシンプルで美しい。そこに立つボヴェ太郎の美しさはそれすら凌ぐ。
彼はほとんで動かない。静かに静かに舞う。ある時は杜若の妖精となり、やがては在原業平の悲しみを体現する。ここにドラマを見る必要はない。もともとコンテンポラリーダンスというもの自体が、物語ではないのだし。
いつものようにボヴェさんの指先にまで研ぎ澄まされた彼の想いがとどまる。その繊細な動きをみつめていく至福を噛みしめる。理屈ではなく魂が共鳴する。そんな瞬間が味わえる。最高の舞台だ。
最後に再び闇に消えていく彼の姿を噛みしめて劇場を去る。(時間の都合で志賀さんとのアフタートークが見れなかったのは残念だったが、余韻を噛みしめながら現実の世界にいきなり出てこれたのは、それはそれでよかったかもしれない。)