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映画・演劇のレビュー

燐光群『宇宙みそ汁』『無秩序な小さな水のコメディー』

2012-08-10 12:13:50 | 演劇
 久々に燐光群の芝居を見た。以前は必ず見ていたのだが、最近は芝居自体を見るのが億劫になり、自分から進んで見に行くことが少なくなった。呼ばれたら行くけど、そうじゃなければ、ついつい見逃す。映画も同じだ。どうしても見たいものですら、時間の関係で見逃すことも多い。でも、今回この作品を見れてよかった。こういう刺激的な作品と、出会うと、自分自身のリフレッシュにもなる。

 清中愛子さんの詩を構成、演出した『宇宙みそ汁』がすばらしい。いつもの坂手さんのお芝居とはまるで違う。それは、これは自分が書いた作品ではなく、しかも戯曲ですらない、いくつもの詩をコラージュさせたものだからだ。だが、原因はそれだけではない。ひとつの演劇作品として見事に完成されている、ということも大きい。

 坂手さんは、散乱する個々の作品をつなぐのではなく、1本の戯曲として再構成している。清中さんの目線を最大限に重視しながらも、自分の視線からまとめる。2人の作家がぶつかるのではなく、作者、演出家というそれぞれの領域を侵犯せず、リスペクトしながら、自分の世界に引き寄せるのである。そんなこと、この作品に限らず、すべての作品に於いて当然為されるべきアプローチであろう。何を今更、と言われても返す言葉はない。だが、そんな当然のことを、こんなにも鮮明に見せられた時、驚きを禁じ得ない、ということなのだ。プロの仕事とはこんなものなのだろう。

 主婦の生理が根底にある。理屈では理解し難いものを、生活の実感の中で見せる。先日見たコキカル『シュレーディンガーの女』に必要だったのは、この客観性だったのではないか。「女子会」と銘打ち、女性であることの様々な悩みや、問題をコラージュさせたあの作品の物足りなさは、描かれるものへの批評性の欠如である。ただ、様々な女性を巡る問題をコラージュさせたなら、何かが見えてくる、というのものではない。みそ汁の宇宙というイメージから始まるこの作品は同じようにコラージュでありながら、その核心には、主婦であり、母である清中さんの生活実感がある。それが作品の底辺を流れるからぶれない。どんな状況であれ、彼女は彼女である。その視点は損なわれない。エッセイ風の芝居なのだが、生きる実感や、生活者の逞しさが、あるから、どんなエピソードからも、目が離せない。流されないのだ。

 これとは対照的に、同時上演された坂手さんの作による短編集『無秩序な小さな水のコメディー』の方は、同じく短いエピソード集にはなっているのだが、まるで感触が違う。観念的で理詰めである。これがいつもの坂手さんのパターンだ。見ていて安心する。それはもちろん『宇宙みそ汁』が不安になる、ということではない。こちらの3本は、観念的で理詰め、と書いたが、観念的という意味では『宇宙みそ汁』もそうである。ただ、それが生理的なものなのか、否か、という違いだ。坂手さんはテーマを明確に提示する。こんな短編集でも同じだ。そこから、話を発想する。


 坂手さんが、素材によってちゃんと料理の仕方を変える様が心地よく、この2本を、連続同時上演(休憩をはさまない)して、これだけ肌触りの違うものを、一気に見せても、まるで問題なくトータルで1本の作品として提示出来る。すごい。

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1 コメント

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ありがとうございます (清中愛子)
2012-08-15 01:51:43
『宇宙みそ汁/無秩序な小さな水のコメディー』をご覧頂き、また感想まで頂きまして、ありがとうございます!観て下さった方々がどのような思いを抱いたのか、中々知ることが出来ませんが、とても心に伝わってくる感想を戴き、大変嬉しいです。これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。清中
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