習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『メタルヘッド』

2011-12-24 23:38:47 | 映画
 摑みどころがない映画だ。孤独な少年の姿を追う。彼の内面の軌跡を見せて行く。彼の今ある姿を、ただ何の説明もなく見せるから、よくわからない。状況はわからないまま、ただ、彼が行動する後を追いかける。人間関係もわからない。だいたいこの『ヘッシャー』(これがこの映画の原題だ)って何者なのか? 最後まで見てもわからない。だが、最初の出会いのインパクトは大きいし、その後彼が少年につきまとい、家まで押し掛けてきて、一緒に生活する。不法侵入なのだが、この暴力的な男の前では為す術もない。

 冒頭のスクラップになった赤い車を必死に自転車で追いかけるシーンの説明が、終盤までない。だが、彼の必死さは伝わる。死んだような父親。ただずっとソファーで横になり、仕事もせす、TVを見ている。半分ボケた祖母と3人暮らし。学校では身体の大きい男(少年よりずっと年上に見えるが)に苛められている。

 ヘッシャーは、彼の家に上がり込み、好き勝手にふるまう。父親は何も言えないし、祖母はこの男を少年の友だちだと信じている。居場所のない少年のもとに、土足で入ってきて、平気で居座る。なぜ少年につきまとうのか、わからない。少年は彼の暴力に、最初は怯えるだけなのだが、だんだんそれが日常になる。なんでも、慣れるんだ。人間って。

 簡単に言うと、母親を事故で失った少年の、身の置き場のない淋しさを描く、なんてことになるのだろう。そう言うと、わかりやすい説明になるのだが、この映画の見せる荒涼とした風景は、そんな生易しいものではない。突き放した描写で、謂れのない暴力と向き合う。ヘッシャーという男のわけのわからなさには、ついていけない。だが、彼はそこにいるし、出て行ってはくれない。

 少年は、いつものクラスメート(先に書いた身体の大きい男。まぁ、少年よりは、年上に見えるだけなのかもしれないが)からいつものように乱暴をされているところを、スーパーのレジをしているメガネのオバサンに助けられる。このさえない女をナタリー・ポートマンが演じる。少年たちからオバサン呼ばわりされ、少しショックを受ける。少年は、自分もオバサン呼ばわりしたこのついてない女に、だんだん心魅かれる。オバサンとはいえ彼女はナタリー・ポートマンである。

 祖母の死、ヘッシャーとレジの女のセックスを目撃してしまったこと、連続してショックな出来事に遭い、少年は衝撃を受ける。廃車されスクラップ工場にあった母の車の中で一夜を明かす。翌日、祖母の葬儀にヘッシャーが乱入してくる。

 こうしてストーリーを思い出しながら、書いているとなんだかわかりやすい映画に思えるが、無茶苦茶な映画なので、ただ圧倒されるばかりだ。最初に書いたようにこれは孤独な少年の魂の軌跡を描いた映画である。その一点だけはぶれることはないが、それを定石から逸脱するような暴力描写と展開で見せるから、よくわからないものとなるのだ。そして、そこがこの映画の魅力でもある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 堂場瞬一『ヒート』 | トップ | 『死にゆく妻との旅路』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。