なんとも不気味な映画で、劇場で最初に予告編を見た時から気になっていた。デビット・リンチの『イレイザーヘッド』のような映画に出会えるのではないか、という興奮。そこで、公開してすぐに見てきた。見終えた瞬間、これで終わりなの、って気分になった。なんだか騙された気がした。
最初は予告編通りで、この不条理劇に付き合い、どこに連れていかれるのか、とワクワクしていたのだけれど、途中からテンポが悪くなり、明らかに失速しているのがわかる。でも、せめて最後になんらかの結末があり、驚かされることを期待した。このまま終わるわけはないはずだという期待を抱きつつ、終盤の展開、大逆転を待ち望んだにもかかわらず、肩透かしもいいところのありきたりのオチに収める。
宇宙人とかありえないわ、とあきれる。悪夢のようなあの同じ家が立ち並ぶビジュアル。誰もいない町の静寂。運ばれてくる赤ん坊。わけのわからない状態での育児。ここから逃げ出せない恐怖。これはホラー映画ではなく、日常の中にぽっかりと穴が開いてそこに落ち込んでしまったような悪夢だ。ここで穏やかな日常生活が繰り返されることが恐怖になる。
それだけにその悪夢がどこに行きつくのか、気になる。映画だから何らかの決着はつくはずだ、と一縷の望みをラストに賭けたはずなのに。
見終えた瞬間の落胆は大きい。それだけで、もう何も書く気が失せた。ということで、3月の13日に見た映画のことを今頃書いている。しかも、何も書く気はない。残念過ぎる映画だった。過剰な期待をした自分が悪かったのだけれど、それにしてもあの予告編のインパクトは強烈すぎた。あれはそれほどに期待を抱かされる出色の出来。残念も半端じゃない。
タイトルの意味だけれど、調べると
ビバリウムとは元々「生き物の住む環境を再現した空間」を意味していましたが、現在は爬虫類や両生類の棲む環境を再選したケージのことをビバリウムと呼ぶことがほとんどのようです。 観葉植物や苔などを使用して作られたビバリウムは見る人に癒しをもたらし、またビバリウムで飼育する生体にはストレスの少ない環境を提供することができます。
と、書かれていた。
なるほど、と思う。確かにそんな映画だ。看板に偽りはない。でも、ねぇ。