プレ20周年イベントのリーディングシリーズ第2弾なのだが、この企画は、思いがけないことだが、それまでのあみゅーずとは、一味違う世界を指し示すことになった。作品世界としっかり向き合うことで、実に興味深いものが出来ている。本公演以上に面白い、というと、問題ありだが、確かにそんな一面はある。
今までの華やかで、甘い世界から、地に足の着いたものへと、微妙に変化した。もちろんキャストも、アプローチも、基本は同じなのだが、取り上げた作品を出来る限りそのままの形で「読み聞かせる」ことに徹したのが成功の理由だ。動きを最小限に抑えることで、(もともとあみゅーずはダンスシーンも含めてオーバーアクト気味で、そこが特徴だ)内面のドラマをしっかりと立ち上げることに成功した。
この企画のよさは、テキストをとても大事にして、その世界観をそのまま提示することを第1義とするという姿勢にある。そんなこと、あたりまえのアプローチじゃないか、と言われると、それまでだが、どうしても自分たちのスタイルにこだわって不必要なアレンジを施してしまうことが多々ある。できるだけフラットな印象を与えるようにしたのも、今回のシリーズの特徴だ。
前回の向田邦子の昭和編もよかったが、今回3人の現代を代表する作家を取り上げての平成編も、かなりバランスをとることが難しいラインナップなのに、ちゃんと平成の気分を醸し出すことに成功したのは立派だ。条あけみさんは、数ある作家たちの中から、川上弘美を中心に据えた。そこで、全体のバランスを取るためにサポートとして、少し軽めの設定をする。そこで、三浦しをん(『優雅な生活』)、唯川恵(『ロールモデル』)である。彼女たちの作品の軽やかさと、その底にある不安。それが平成の気分だろう。若い二人の今を描く三浦作品。安定した大人の女性を描く唯川作品。でも、そこにあるのは、今の時間はずっと変わらず続くわけではないという恐怖にも似た不安だ。
最後に条さんと笠嶋千恵美さんがひとりの女をふたつに分けて演じる作品(『天頂より少し下って』)を持ってきて、全体を締める。川上弘美の軽やかさは前述の2人とは少し違う。ふわふわした摑み所のない気分。長い時間を生きて、いろんなことがあったけど、今もちゃんと女性として現役で生きている女の強さと美しさを彼女たちがしっかりと見せることで3つの短編連作をちゃんと引き締めて終わらせる。お見事。
今までの華やかで、甘い世界から、地に足の着いたものへと、微妙に変化した。もちろんキャストも、アプローチも、基本は同じなのだが、取り上げた作品を出来る限りそのままの形で「読み聞かせる」ことに徹したのが成功の理由だ。動きを最小限に抑えることで、(もともとあみゅーずはダンスシーンも含めてオーバーアクト気味で、そこが特徴だ)内面のドラマをしっかりと立ち上げることに成功した。
この企画のよさは、テキストをとても大事にして、その世界観をそのまま提示することを第1義とするという姿勢にある。そんなこと、あたりまえのアプローチじゃないか、と言われると、それまでだが、どうしても自分たちのスタイルにこだわって不必要なアレンジを施してしまうことが多々ある。できるだけフラットな印象を与えるようにしたのも、今回のシリーズの特徴だ。
前回の向田邦子の昭和編もよかったが、今回3人の現代を代表する作家を取り上げての平成編も、かなりバランスをとることが難しいラインナップなのに、ちゃんと平成の気分を醸し出すことに成功したのは立派だ。条あけみさんは、数ある作家たちの中から、川上弘美を中心に据えた。そこで、全体のバランスを取るためにサポートとして、少し軽めの設定をする。そこで、三浦しをん(『優雅な生活』)、唯川恵(『ロールモデル』)である。彼女たちの作品の軽やかさと、その底にある不安。それが平成の気分だろう。若い二人の今を描く三浦作品。安定した大人の女性を描く唯川作品。でも、そこにあるのは、今の時間はずっと変わらず続くわけではないという恐怖にも似た不安だ。
最後に条さんと笠嶋千恵美さんがひとりの女をふたつに分けて演じる作品(『天頂より少し下って』)を持ってきて、全体を締める。川上弘美の軽やかさは前述の2人とは少し違う。ふわふわした摑み所のない気分。長い時間を生きて、いろんなことがあったけど、今もちゃんと女性として現役で生きている女の強さと美しさを彼女たちがしっかりと見せることで3つの短編連作をちゃんと引き締めて終わらせる。お見事。