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映画・演劇のレビュー

桃園会『中野金属荘、PK戦』

2012-09-04 20:44:40 | 映画
 ほんの8年前の作品なのだが、とても新鮮な感動があった。あの頃の深津さんのタッチなので、それが懐かしいということもあるのだが、それだけではなく、今、こういうタイプの作品が少なくなっていることも、そんな印象を与える理由だろう。今、こういう混沌としたものを見せられると、以前以上に不安な気持ちにさせられる。

 以前はよくわからないことが、あたりまえだったのに、今ではそれがこんなにも居心地の悪いものになっていることにも驚く。芝居の描こうとするものが、どんどんクリアになって、わからないことを、素直に受け入れられなくなっている自分がいる。観客の嗜好はどんどん単純化して、理屈でわりきれないものに拒否反応を示す。だから、こんな曖昧な世界を受け入れられない人が増えている気がする。それは僕も含めてである。

 時間が前後し、意識が混濁していくなかで、ひきこもる男の見た幻影の先にある一条の光、それをとても心地よいものとして受け取ればいい。この作品のわからなさを、引き受ける覚悟さえあればいい。だが、ものごとを頭で理解しようとすると、支障をきたす。昔は、よくわからなくても凄いものが、たくさんあった。それを感覚的に受け止めるすべを観客は持っていた。だが、今はそれができない人が多い。そんな時代にこの作品がどう映ったのか。気になるところだ。

 狭い世界で毎日同じ作業のくりかえしの中で生きてきた男が、工場の閉鎖、今住んでいる寮の取り壊しを通して、一時的にパニックに陥ってしまう。布団の中に入ったまま出ることもなく過ごす日々。そこを訪れてくるいくつもの幻影たちとの対話。実はこれはとてもわかりやすい作品である。そんなふうに単純に読み解くことは作品理解が浅すぎると、お叱りを受けるかもしれないが、そんな単純な図式の先に見えてくるものこそが、この作品の本質をとてもよく捉えるのではないか。

 初演時よりも、今こそ、この作品のストレートな生への渇望はリアルだ。そしてその先にむけて足を踏み出すことに深い意義を感じる。実はこれはとてもオーソドックスな作品なのである。それが今の目にはとても刺激的で新鮮なのだ。その事実に驚く。


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