習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

超人予備校『フルーツ大コウモリがくる』

2008-11-16 22:54:02 | 演劇
 いつものことなのだが、とってもくだらなくて、たわいもないことを、あまり一生懸命ではなくやっている。そのくせやる気がないわけではない。見ようによってはとても必死になってそれをしている。これもいつものことだが、あまり役者たちが上手くない。だがそんなこともなぜかこの芝居にあっては好ましい。これを上手い役者がやっていたなら、きっと嫌味になる。そして「おまえら、こんなくだらなこと、するなよ」と思うだろう。「もっとやるべきことがあるだろ、あんたには」なんて言ってしまいそうにもなるだろう。でも、超人予備校の人たちがこれをやっていると、なんだかとてもいい感じだ。「あなたたちにはぴったりの芝居だ」なんて思ってしまう。

 以上。書いたことはこの芝居を侮辱しているのではない。もしそんな誤解を抱かせたならごめんなさい。この芝居への屈折した愛を文章にしようと思ったなら、こんなふうになってしまったのだ。

 これを最大限の褒め言葉のつもりで書いている。魔人ハンター・ミツルギさんのやろうとしていることって、きっとそういうことなのだ。へたうまとは微妙に違うがまぁ、同じような狙いがそこにはある。そして、そのことをこのメンバーはとてもよく理解している。ある意味彼らは最高のチームだ、とも思う。世の中には様々な芝居があっていい。シリアスなものからコミカルなものまで。だが、忘れてはならないことがある。何より大切なことは、作者が信念を持って自分の世界を語ろうとするかである。自分の世界をどれだけ大切に表現するかだ。

 ミツルギさんの芝居を見る度にそんな想いが強くなる。彼はこのたわいもない話をどうしても見せたかった。バカバカしいことを本気で見せる。そこには何の理由もないし、意味すらない。こんなものただの思いつきでしかない、とすら思わせる。でも思いついたことを彼はこうして芝居にしてる。それってふつうなかなか出来ない。

 ネズミとカラスが抗争を繰り広げる。それぞれのリーダーはみんなを幸せにするために、そして上手く生きていけるために、努力する。そんな2つのグループのお話だ。ラストではちゃんとフルーツ大コウモリもインドから日本にやって来る。でも、そんなことには何の意味もない。劇中劇として全体のバランスを崩しかねないくらいの長さでフルーツ王国の話が挿入される。これがまた、本編に輪をかけてほんとうにどうでもよいようなお話。見ていて脱力させられる。そんなところがとてもいい。つまらないことを大真面目にする。そこに生まれる不思議な世界。それがこの集団の魅力だ。ミツルギさんはトリオ天満宮と超人予備校を上手く使い分けて自分の芝居作りにいそしんでいる。なんだか微笑ましい。自分の趣味でしかない小さな芝居なのだが、そんな世界に共感できる。今回は童話のようなお話である。そのくせそこにつまらない教訓なんてない。そこもいい。

 スナフキン役のうべんさん、自分をパンダだという猫の役のなかた茜さん、2人のゲストもしっかりこの世界に馴染んでいる。いつもながらとても照れた表情を見せて、芝居の片隅にしっかり顔を出す(存在する)ミツルギさんの姿を目撃するとなんだかほっとさせられる。

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1 コメント

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Unknown (まじん)
2008-11-17 13:07:35
ありがとうございます。
私は10年以上前に後藤ひろひと大王に
「君のやりたいことに協力者はほとんどいないよ。」
と言われたことがあります。
でも、今は劇団として積み重ねることができました。
たくさんの幸運が重なって今があるので、
もっともっとやっていこうと思います。
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