全編、歌だらけのミュージカルは、さすがにうるさい。セリフのシーンと、歌のシーンのバランスを考えて、構成して欲しかった。ドラマを見せるシリアスなパートと感情のうねりを歌いあげるミュージカルパートを分けて見せるタイプのミュージカル映画の方が、感情移入しやすい。しかし、この作品はそうはしなかった。2時間38分もの大作を、セリフの部分まで、すべて歌って見せるという姿勢を貫いた。悲惨な話を、壮大な歌物語として見せていくというこの選択は、ひとつのやり方として、悪くはないだろう。
しかし、これでは映画としての、緩急がなく、踏ん張るところと、流すところとの、区別もなくなり、全体がとても単調になったのも事実だ。まるで、超大作のダイジェストを見ている気分だ。そのくせ、歌うシーンが長くなり、ドラマとしての展開が遅くなる。ところどころが、弛緩した流れになる。いろんな意味で欠陥も多い映画だ。しかし、ユーゴーの原作をコンパクトにまとめてある。この膨大な超大作をなんとか1本の映画として成立させた。
子どもの頃、初めて『あぁ、無情』を読んで衝撃を受けた。たった一切れのパンを盗んだがため、生涯苦しみを背負い生きることとなるジャンバルジャンの人生と向き合う体験は子供心に深いトラウマを植え付ける。中学生になり、旺文社文庫版上下2巻からなる、縮訳版だが、それでも分厚いその小説を読み、堪能した。それは単純にジャンバルジャンとジャヴェールの話というわけではなかったが、それでも結局これは、罪を背負い生きていくことであり、幼心にこの作品が与えた影響は計り知れない。オリジナルの5巻もの(だった、ような)はさすがに読まなかったけど、舞台版も見たし、ついつい劇場版も公開初日に見に行ってしまうくらいに、今でもこの作品は僕の中で、影響力があったようなのだ。
『英国王のスピーチ』のトム・フーパーは、舞台版のイメージに忠実に見せていく。正直言うとこれはそんなには面白い映画ではないけど、壮大な人間ドラマとして、なんとか成功する。それはこの作品の持つシンプルな構造を重視した成果だ。善と悪の対立を軸として、何が善で何が悪なのか、それをそれぞれの側面から追っていく。ジャヴェールは必ずしも悪ではないということだ。彼の自殺のシーンも重くも軽くもなく流したのがよかった。ジャンバルジャとの対比ではなく、2人を別々の悩める存在として、分けて見せたため、図式的なドラマが、その束縛から解放された。ジャンバル・ジャンの正義のみを際立たせるわけではないのがいい。ミュージカル映画として、困難な内容にも関わらず、なんとか、成立したのはよかった。
しかし、これでは映画としての、緩急がなく、踏ん張るところと、流すところとの、区別もなくなり、全体がとても単調になったのも事実だ。まるで、超大作のダイジェストを見ている気分だ。そのくせ、歌うシーンが長くなり、ドラマとしての展開が遅くなる。ところどころが、弛緩した流れになる。いろんな意味で欠陥も多い映画だ。しかし、ユーゴーの原作をコンパクトにまとめてある。この膨大な超大作をなんとか1本の映画として成立させた。
子どもの頃、初めて『あぁ、無情』を読んで衝撃を受けた。たった一切れのパンを盗んだがため、生涯苦しみを背負い生きることとなるジャンバルジャンの人生と向き合う体験は子供心に深いトラウマを植え付ける。中学生になり、旺文社文庫版上下2巻からなる、縮訳版だが、それでも分厚いその小説を読み、堪能した。それは単純にジャンバルジャンとジャヴェールの話というわけではなかったが、それでも結局これは、罪を背負い生きていくことであり、幼心にこの作品が与えた影響は計り知れない。オリジナルの5巻もの(だった、ような)はさすがに読まなかったけど、舞台版も見たし、ついつい劇場版も公開初日に見に行ってしまうくらいに、今でもこの作品は僕の中で、影響力があったようなのだ。
『英国王のスピーチ』のトム・フーパーは、舞台版のイメージに忠実に見せていく。正直言うとこれはそんなには面白い映画ではないけど、壮大な人間ドラマとして、なんとか成功する。それはこの作品の持つシンプルな構造を重視した成果だ。善と悪の対立を軸として、何が善で何が悪なのか、それをそれぞれの側面から追っていく。ジャヴェールは必ずしも悪ではないということだ。彼の自殺のシーンも重くも軽くもなく流したのがよかった。ジャンバルジャとの対比ではなく、2人を別々の悩める存在として、分けて見せたため、図式的なドラマが、その束縛から解放された。ジャンバル・ジャンの正義のみを際立たせるわけではないのがいい。ミュージカル映画として、困難な内容にも関わらず、なんとか、成立したのはよかった。