何よりもまず、この映画の事を書かなくてはならない。黒沢清によるこの不快な映画はある意味で『キュア』そして『カリスマ』以来の衝撃だと言える。もちろん初期のあの2作品以降、すべての映画が衝撃の連続だとも言える。だが、ここまで異様な雰囲気を醸し出す映画はなかった。徐々に慣れてきたというのもあったかもしれない。ウエルメイドとなり、黒沢印の映画としてブランド化してきたことも事実だろう。
これは、彼にとって久々の家庭劇である。少なくともそういうパッケージングである。特別な異常事態は起こらない(はずだ)。日常の描写の積み重ねで家庭崩壊が描かれる。だが、ここに漂うこの不穏な空気はなんだろうか。見ていてそのざわざわした空気に侵食され、気付くとその如何にも嫌な気分に取り込められ、身動きが取れなくなる。神経を逆なでするような描写が続く。別に異様なことをしているのではない。だが、その光景のひとつひとつが不安と不快感をあおる。それは表面的なストーリーではない。
これは新手のホラー映画だ。それは黒沢が撮ったから、そういうのではない。ここにある過剰な描写とショッキングな表現はただの家庭悲劇なんかでは括れない。そして、映画の終盤、「3時間前」という文字が画面に出てきた瞬間から映画は現実を逸脱したカタストロフィーを迎える。
役所広司の強盗が唐突に乱入してくる。その瞬間映画はリアルを完全に喪失する。もちろんそういう兆候は最初からあった。家庭劇に見せかけながら歪みと捩れを強調していく描写が、この映画からリアルの感触を奪っていた。あと少しやりすぎるとキューブリックの『シャイニング』になってしまう。その直前くらいで止めている。だが、香川照之の父親は明らかにジャック・ニコルソン並みのモンスターと化して妻子を苛む。不自然な描写は作為的行為だ。津田寛治の友人が「この国はゆっくり沈んでいく船のようだ」と言う。香川と彼は同じように失業している。2人は炊き出しの列に並び、ハローワークでも並び、どろんとした目をしたまま、ただ待つ。津田の家に行き食事をご馳走になるシーンの異様さ。あの場面での津田の娘が階段から香川を見つめる場面にはぞっとさせられる。終盤の階段を後ろ向きに落ちてくる息子のシーンともどもホラー映画の演出である。
だが、本当の逸脱は役所の登場を皮切りに家族4人それぞれに起こる。(中東の戦場に行った兄については直接的な描写はないが)3人が体験する一夜の物語は凄まじい。強盗と海を見に行き彼に身を任せる妻(小泉今日子) 次男は、友人の家出を助け、引き戻される友人を見送った後、自分もまた遠くに行くため長距離バスに無賃乗車しようとして捕まる。この後の警察のシーンが凄まじい。(日本の警察は小学生に対してここまで酷いことはしないはずだ)そして、妻にショッピングモールの清掃員をしているところを見つかった夫は、町をさまよい車にはねられる。あきれるようなあれよ、あれよの展開である。だが、問題はこの阿鼻叫喚のラストの一夜ではない。
その翌日3人が再び家に帰り朝食を食べる。何事もなかったように、憑き物が落ちたように日常が戻る。だが、映画はそれだけでは終わらない。あの幸福なラストシーンはハッピーエンドではない。映画は次男の中学入試のピアノ演奏の場面で幕を閉じる。
この映画はやはり異常だ。見終えたとき、凄く嫌な気分になった。凄い映画を見た、ということよりもこんなにも嫌な映画を見てしまったということにショックを受けた。だが単純に嫌な映画だ、なんて言うつもりはない。この嫌さは快感でもある。なんだか複雑な気分なのだ。
もう一度、落ち着いたときにこの映画の話を書きたい。
これは、彼にとって久々の家庭劇である。少なくともそういうパッケージングである。特別な異常事態は起こらない(はずだ)。日常の描写の積み重ねで家庭崩壊が描かれる。だが、ここに漂うこの不穏な空気はなんだろうか。見ていてそのざわざわした空気に侵食され、気付くとその如何にも嫌な気分に取り込められ、身動きが取れなくなる。神経を逆なでするような描写が続く。別に異様なことをしているのではない。だが、その光景のひとつひとつが不安と不快感をあおる。それは表面的なストーリーではない。
これは新手のホラー映画だ。それは黒沢が撮ったから、そういうのではない。ここにある過剰な描写とショッキングな表現はただの家庭悲劇なんかでは括れない。そして、映画の終盤、「3時間前」という文字が画面に出てきた瞬間から映画は現実を逸脱したカタストロフィーを迎える。
役所広司の強盗が唐突に乱入してくる。その瞬間映画はリアルを完全に喪失する。もちろんそういう兆候は最初からあった。家庭劇に見せかけながら歪みと捩れを強調していく描写が、この映画からリアルの感触を奪っていた。あと少しやりすぎるとキューブリックの『シャイニング』になってしまう。その直前くらいで止めている。だが、香川照之の父親は明らかにジャック・ニコルソン並みのモンスターと化して妻子を苛む。不自然な描写は作為的行為だ。津田寛治の友人が「この国はゆっくり沈んでいく船のようだ」と言う。香川と彼は同じように失業している。2人は炊き出しの列に並び、ハローワークでも並び、どろんとした目をしたまま、ただ待つ。津田の家に行き食事をご馳走になるシーンの異様さ。あの場面での津田の娘が階段から香川を見つめる場面にはぞっとさせられる。終盤の階段を後ろ向きに落ちてくる息子のシーンともどもホラー映画の演出である。
だが、本当の逸脱は役所の登場を皮切りに家族4人それぞれに起こる。(中東の戦場に行った兄については直接的な描写はないが)3人が体験する一夜の物語は凄まじい。強盗と海を見に行き彼に身を任せる妻(小泉今日子) 次男は、友人の家出を助け、引き戻される友人を見送った後、自分もまた遠くに行くため長距離バスに無賃乗車しようとして捕まる。この後の警察のシーンが凄まじい。(日本の警察は小学生に対してここまで酷いことはしないはずだ)そして、妻にショッピングモールの清掃員をしているところを見つかった夫は、町をさまよい車にはねられる。あきれるようなあれよ、あれよの展開である。だが、問題はこの阿鼻叫喚のラストの一夜ではない。
その翌日3人が再び家に帰り朝食を食べる。何事もなかったように、憑き物が落ちたように日常が戻る。だが、映画はそれだけでは終わらない。あの幸福なラストシーンはハッピーエンドではない。映画は次男の中学入試のピアノ演奏の場面で幕を閉じる。
この映画はやはり異常だ。見終えたとき、凄く嫌な気分になった。凄い映画を見た、ということよりもこんなにも嫌な映画を見てしまったということにショックを受けた。だが単純に嫌な映画だ、なんて言うつもりはない。この嫌さは快感でもある。なんだか複雑な気分なのだ。
もう一度、落ち着いたときにこの映画の話を書きたい。