久しぶりに万歳の芝居を見た。なんだか懐かしいし、ほっとする。昔は万歳や新感線の芝居は欠かさず見ていたけど、そのうち新しい芝居を見ることの方が優先して、しかも、彼らはどんどん有名になってしまい、特に新感線なんかチケットが手に入らないらしい、から無理して見ない。(それにああいう大劇場での芝居は苦手だ。)でも、南河内万歳一座は変わらない。いい意味で変わらないのがいい。20年経とうが、30年が過ぎようとも同じ。それを進歩がないとは、言わさない。そういう言葉のもとに断罪するのなら、そういう進歩なんかいらない。変わらない頑固さは、美徳だ。でも、その中に独自の味がある。だから、僕たちは信用する。内藤さんの芝居にはそういうよさがある。
場末の居酒屋が舞台だ。いつものメンバーが飲んだくれている。そこに道に迷った男がやってくる。駅まではどういけばいいのか、と聞く。彼はいつもそうだ。行かねばならない方向の反対へと行ってしまい、目的地にたどりつけない。今日もそうだった。そんな男を店の客たちはウエルカムと迎え入れる。ここは最後の楽園だから、と。
メニューはなんでも200円の居酒屋「最後の楽園」は駅前から寂れた町の、その最果てに位置する。この先にはもう店はない。ただの住宅地だ。会社に帰らなくてはと渋る男を尻目に常連客たちは、彼にまずイッパイ、と生ビールを勧める。劇中で役者たちはみんな気持ちよさそうにビールやお酒を飲む。枝豆を手にする。煙草を吸う。(たぶん、ノン・アルコールだろうけど、本当にうまそうだ!)
これはよくあるスタイルの「楽園もの」だ。ここは幻の場所で、一種のユートピア伝説が描かれる。見たところは何の変哲もない、どこにでもある、しがない、こぎたない居酒屋(店長はもちろん、荒谷清水)。でも、ここに来るとほっとする。一日の疲れを癒す。酒を飲んで、管を巻いて、はしゃいで、酔っぱらう。しかし、ここは・・・
お話のネタばらしはしないし、そこがこの芝居にとって重要なわけではない。重要な部分はもう書いた。ここにきて、一息つくこと。ただ、それだけだ。なんと単純な芝居だろうか。上演時間は90分。昔のプログラムピクチャーだ。場末で3本立(昔の日本映画は、ファーストランは2本立だが、2,3番館に来るころには3本になる)上映されるB級映画の1本。どうってことない映画なのだが、だが、なんとなく、気に入る。これはそんな映画のような芝居なのだ。だから、特別なことは何もなくていい。ただ、見終えた時、なんとなくいい気分で劇場を出られたなら、それだけで十分なのだ。これはそんな芝居。
でも、こういう作品があると、ほっとする。何の野心もいらない。ただ、そこにあればいい。もちろん、なんの仕掛けも、けれんもなく、静かに終わる。そこもいい。